2025年1月26日日曜日

2025年1月25日(土)

2025年1月25日(土)

朝早めに起床。今日は予定がたくさんある日。

昨夜雨が降って、外は曇っており寒い。夜に寒いところに行くので暖かい格好をして出かける必要があるが、シャツを着てセーターを着てお気に入りのウールのジャケットを着てマフラーを巻いて行こうかな、と考えていたところ、ウールのジャケットが思った以上に薄手でこれで出かけるのはさすがに寒いだろうということで、代わりにダウンジャケットを着ることにする。
かわいくて暖かい冬物のアウターをあまり持っていないことに気づく。

家を出ると、やっぱり外はとても寒く、ダウンジャケットを着て正解だったと思う。

電車に乗り病院。
今担当していただいている先生が独立してご自身の病院を開業されるとのことで、この日が最後の診察となった。
この先生には今までとても親身になって診ていただいていたので、今までありがとうございました、とお礼を言って診察を終える。
薬は少しずつ減っている。

診察の後は半年に一度の採血と尿検査。
先日レジェンダリーなロック・ギタリストのジョン・サイクス氏が亡くなってしまったとのことで、ジョン・採血という無意味なフレーズが頭によぎる。
血と尿をしこたま採られた後、薬局で薬をもらい電車に乗り移動。

松屋にINして1ミリも食べたくないな……と思いながら牛めしの並・生野菜・生卵のセットをもそもそと食べる。『もそもそ』という擬音はまじでおいしくなさそうな響きがあるのですごいと思う。

食後喫茶店にINし、コーヒーを飲みながら少し本を読む。今は永井玲衣さんという哲学者の方の『世界の適切な保存』という本を読んでいる。
あらゆる事象を前にし、1秒ごとに少しずつ薄れて消えてしまっていく心のゆらぎ、目の前の人の発する言葉、考え、思いなどをいかに適切に保存するか、という途方もないような、祈りのような試みについて書かれた本。
とても瑞々しい筆致で書かれており、文章のなんてことのないような部分にも読んでいて思わず泣きそうになってしまう瞬間がある。

この喫茶店は禁煙なのだが人ひとりがやっと入れるみたいな小さな喫煙ブースが店の隅にあり、入った目の前の金属製の壁一面に排気口の細長い口がたくさん付いており、そこに『こちらに向かって煙を吐いて下さい』との注意書きが書かれている。
宇宙船内の喫煙ブースみたいだな、とここでたばこを吸うたびに思う。

時間がきて喫茶店を後にし、床屋。
この床屋さんに通ってもう10年になる。ここの店主のお兄さんの腕を完全に信頼している。
お兄さんもスケートをやっていて、私も最近スケートをがんばっているので、ノーコンプライ180ができるようになりたくて練習してます、とお兄さんに言ったら「それは足を降ろすときに身体をひねってこう……」と髪を切るのそっちのけでジェスチャーまじりに説明してくれたので、思わずにこにこしてしまう。

髪を切ってかっこよくしてもらったので電車に乗り遠出。人に会う約束がある。

電車の中では自分でつくったApple musicのプレイリストをずっと繰り返し聴いている。

最近は電車の中であまりスマホを見ないようにしている。ツイッターを見なくなったのが大きいが、インターネットの通信量を抑えたいという気持ちと、あとは普段の生活の中で何も考えずにぼーっとしている時間があまりにも少ないことに気づき、電車に乗っているときはスマホを見ず、本も読まず、音楽を聴きながらただ窓の外を流れる景色を見て過ごしている。

人に会い、ご飯を食べ、話をして、楽しい時間を過ごす。

その人は、人が書く日記を読むのが好きだ、と言っていた。何の変哲もない日常を書いたものを読むのが好きで、noteなどで書かれているものを定期的にチェックしている書き手の人が4人くらいいる、とのことだった。

自分も元ブロガー(?)で、このブログを見返したらけっこうな量を書いていて少し驚いたけど、人の目に触れるところで日記を書くって不思議なことだな、というシンプルなことを思った。

カート・コバーンは日記に自分の思いの丈やそれ以上のものを書いていたそうで、そしてその日記をわざと人の目に触れるような場所に置いていたという。
自分のことを分かってほしい。自分のことを知ってほしいという思い。話しても伝えられないこと、伝えきれないことを文章にし、それを読んでほしいという思い。

カートの気持ちはなんかちょっと分かる気がするけど、それってなんだかちょっとずるいな、という気もする。

日記を公開するということには、ある種の答えを自分から人に開示してみせる、という側面もあると思う。言葉で伝えきれなかったんですけど、あのとき自分はこう考えていて、こう思っていたんです。それを知ってください。分かってください。と人に開示すること。
それってやっぱりちょっとずるい気がする。

私は昔このブログであったこと全部を、自分が思っていること全部を書いていて、それは自分のスタイルだと思っていたのだけど、それはある種の暴力性もはらんでいて、誰かを傷つけることもある、ということを人から言われて知った。
全てを書く必要はないし、書くもの書かないものを選ぶことができる、ということを知った(バカ)。

39年生きてきて、もうすぐ40になるけど、人と話して人のことを知るのはとても難しいな、といまだに思う。
何かを間違えてしまったらすべてが壊れてしまうような気がして、壊れてほしくないものが壊れてしまったら自分も壊れてしまうので、大切に扱いたいと思って、発する言葉もすべてがおそるおそるといった感じになってしまう。
ひどく脆いものをおっかなびっくり扱って、それは簡単に壊れてしまいそうで、でもそれに触れたくて、そっと手を伸ばす。

割れものは手で運ぶ。

帰宅し友達とチャットで色々話して、上に書いたような自分の考えも伝えて、友達から「ただ幸せになればいいんだ」と言われてハッとする。
一番大事なことは驚くほどシンプルだったりする。

なんとなくThree 6 Mafiaを聴きながら友達とチャットして、風呂に入るの面倒だな、と思ってうだうだしていたけど、今日は床屋で整髪料をつけてもらっていたので、それを落として寝たほうがいいので、がんばってシャワーを浴びる。なんと3日連続で風呂に入っている。

過去の自分のブログに書いた日記を読み返していたら3時近くになってしまい、布団を敷き床に就くが疲れているはずなのになかなか寝付けない。

眠りがとても浅く、夜中何度も目が覚める。



■今日聴いた音楽
Rex Orange County / WHO CARES?
Apple musicの自作プレイリスト
Three 6 Mafia / Mystic Stylez
The Beatles / ACOUSTIC complete esher tapes
ほか