2018年1月1日(月)
12月ずっと体調が悪く、年末になってかなり悪化し正月休みは何もできず寝込んで過ごす。病院でもらった抗生物質等の薬を飲むがあまり効いている気がしない。2017年リリースの新譜を聴くがあまりピンとこないものが多い。家でうだうだしていたが正月の雰囲気にやられて鬱が激悪化し、また食事をとるのも面倒でならず、このままでは死んでしまうと思い急遽帰省することに。実家に帰り家族に新年の挨拶しおせちと雑煮を食べる。狂ったように寒い。鬱の薬を持ってくるのを忘れたため死ぬ。夜中実家の自分の部屋にて持っていきたいCDを整理するがきりがない。
2018年1月2日(火)
昼家族でファミレスへ行き外食。昨日今日といきなり栄養のあるものを食べてお腹が驚いたのか帰宅後盛大に腹をこわし何度もトイレへ。また鬱の薬忘れたため離脱症状っぽいのも出て地獄。何とか実家ディグを終え、それなりの量のCDとレコードを抱え夏休み前の終業式の日の小学生スタイル(あさがおの鉢とか抱えて帰るやつ)で実家を後にする。
イトーヨーカドー春日部店でクレヨンしんちゃん25周年展をやっているとの情報を入手していたため大量の荷物をコインロッカーに預けて見に行くことに。軽い気持ちで見に行ったが原画など貴重な資料もたくさん見ることができかなりの満足感であった。クレヨンしんちゃんヘッズの友人のためにみやげとしてグッヅを複数購入する。また帰途にあったゲーセンにドラえもんのどらやきふわふわクッションがUFOキャッチャーの景品としてあるのを発見し、ふらふらと引き寄せられるように挑戦。何度もトライアンドエラーを重ねる自分を見かねて店員さんが助け舟を出してくれ、取りやすい位置まで調整してくれた。そこからさらに挑戦すること複数回、ついにクッションをGET。うれしい。しかし体調はくそ悪く今にも死にそう。死にながら帰宅し薬飲み寝る。
2018年1月3日(水)
連休最終日。特に何をするでもなく静かに落ち込みながら音楽を聴いて過ごす。
2018年1月4日(木)
仕事初め。体調良くならず胃が石のようにカチコチでつらい。
2018年1月5日(金)
仕事。夜は溜まったごみをまとめて出す。玄関が気持ちすっきりする。
2018年1月6日(土)
ひと月ぶりの病院。新しい薬が増える。相変わらず体調悪。一度家に帰り機材等準備しライブのため鶯谷へ。立っているのもやっとという感じだがリハを終え駅前のいい感じのそば屋兼食堂兼飲み屋みたいなとこでとろろうどん食べる。その後ドトールでコーヒー飲みながらライブのセットリスト考えるが中々決まらず。あれこれ考えた結果新曲中心のセットでいくことにした。ライブ前に体をほぐすため準備運動するがこの時点で体調激悪く死にそう。そしてライブ。久しぶりにisolationという感じのライブになってしまったが終演後何人か直接「ライブ良かった」というようなことを言ってもらえて一安心 & ありがたい限り。主催のsix line eleven feetののりさんと昨年あった色々なくそみたいなこと(身近なコミュニティーの中で起こった性暴力事件のこと)について色々話す。対バンの人たちみなカッコよく、良いイベントだった。この日の夜に阿佐ヶ谷ロフトAでやる田島ハルコさん主催のオールナイトイベントに行きたかったが満身創痍のため遊びに行くのを断念。
2018年1月7日(日)
用事あり朝からまた実家へ戻る。用事終えて夜に東京へとんぼ帰り。
2018年1月8日(月)
疲労がすごい。一日音楽を聴いたり本を読んだりして過ごす。最近は70年代のいわゆるスウィートソウルといわれるボーカルグループたちのアルバムを好んで聴いている。昨年末に急激に自分内でよみがえったG-RAPブームからの流れということで。レコードで音楽を聴くのは本当に楽しい。時代はもう2018年だが自分は最新の音楽シーンを追うところから遥か遠く離れた場所にいる。そんなFRESHさも微塵もないようなノスタル爺状態ではいかんのでは、とも思うがそんなときはビースティーズのアドロックのこのインタビューの言葉を思い出す。夕方雨の中用事あり出かけてその帰り道ユニオンに寄ってまたしてもスウィートソウル中心のCDレコード買ってしまう。でも最近の音楽も聴いてみようと思ってトラヴィス・スコットという人の2016年リリースのアルバムを買ってみたがまだ聴いていない。色々やらなくてはいけないことがいくらでもあるが疲れてしまい全てあきらめて薬飲み寝る。
****************************
2018年はアウトプットの年にしたいと思っているのでたくさん音楽を作りたい。
また2017年はSATURDAY LABというレーベルを始めたり色々なことがあったのだが、こちらのブログに全く情報を載せていなかったので今年はツイッターからブログ中心にシフトしていきたい。
去年はフェミニズムについて色々考える機会が多くあった。
男性が無意識に行っている無神経な「普通の振る舞い」がいかに普段から女性を追い詰め抑圧しているか、また日本社会の「一般常識」や「伝統」というのが基本的に男尊女卑の思想を元に設計された時代遅れのとんだポンコツだということに気づいた。
また、身近なコミュニティーで性暴力の被害に遭った方がいて、その方が勇気を奮い立たせて被害を告発したにも関わらず、事態がうやむやになっているままなのが物凄く腹立たしい。
この事件が起きたコミュニティーの周辺にいる「尖った音楽」を好んで聴き、また「最先端のパーティー」をオーガナイズし、日ごろから「差別や性暴力にはNO」というスタンスを表明していた人たちでさえ、この事件に関してだけは「当事者同士の問題」として内々で済ませようとする圧がものすごく、「臭いものには蓋」という古典的な日本のくそみたいな悪習がクラブシーンでも普通にまかり通ってるということを目の当たりにし、大いに失望するとともに強い憤りを覚えた。どれだけカッコいい音楽を聴いていようがやっていようが、バカなやつはバカだしクソなやつはクソだという当たり前のことを確認しただけだった。
勇気を出して被害に遭ったことを告発しても、結局加害者ばかりが周囲の人間たちから守られ、そして声を上げた勇気ある人が「シーン」や「コミュニティー」から退場させられることになってしまう。
ただでさえ普段の人生がクソつらいことで溢れていてそれでも何とか頑張って生きている中で、「ハレ」の場として自分の好きな音楽を思い切り楽しむことのできるパーティーに遊びに行って、何でそんなに嫌な目に遭わなくてはならないのか?加害者は何のペナルティが課せられるわけでもなく、被害者ばかりが色々なことを諦めさせられてしまう。
クラブやライブハウスで性差別や性暴力の被害に遭い、つらい思いをしている女性というのは表に出ていなくともかなりの数がいると思われて、大抵は男性のマチズモ丸出しの振る舞いにより傷つけられている。
性暴力の被害に遭った方が、この人なら話を分かってくれそうだから大丈夫、と思ってとある男性に「○○さんに何時間も身体を触ってこられそうになり嫌だった」と勇気を出して相談したら、「ああ、あの人はスナックノリだからね~」の一言で笑って済ませられたというのを聞いて、これもめちゃくちゃに腹が立った。被害に遭った方がどれだけひどく怖い思いをして深く傷ついたのか全く想像が働かないどころか、完全に思考することを放棄している(この言葉を返した男性は彼自身が「酒が回った男性が女性を触ろうとするのは別におかしなことではない」という意味不明な常識に捕らわれていることに気づいておらず、そこで話が終わってしまっている)。
自分が想像する以上にこんなバカみたいな考え方の男性がこの世の中には圧倒的に多いのかもしれない。
自分のスタンスは超シンプルで、「人を傷つける奴はクソバカ」というところから始まりそしてそこに収束していく。あらゆるセクハラ・パワハラ・モラハラ・人種差別は絶対に許さない。そして今年もそれらのことについて、自分の生活・人生と地続きの問題として、他人ごととしてではなく考え続けることを絶対にやめない。
ちなみにギャングスタラップなんかは完全にセクシズム丸出しの世界観で、自分はその世界観も含めて好んで聴いているという矛盾、「自分の好きなカルチャー」とそのカルチャー自体が内包する「女性蔑視」や「ホモフォビア」などとどう向き合うかということに関しても考えなくてはいけない課題だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿