2018年1月11日木曜日

2018年1月10日(水)

朝気持ち早めに目が覚めりんご食べ薬飲みまた出勤時にごみ出しに成功。昼間仕事。寒い。

仕事もひと段落してきた夕方ごろ社長と雑談になり、なぜ最近の若い人たちはあまり旅行へ行ったりスノボやったりアクティブなことをしないのか?と聞かれたので、みんなめちゃくちゃに疲れているからですよと答える。さらに言えば時間と金もない。もしかしたら元気がいっぱいで時間も金もある人もいるかもしれないが。というか自分が疲れていて元気なくて金がないのでみんなもそうだと勝手に思っているだけなのかもしれない。

昨年末に友達のBくんとささやかな忘年会と称して夜に会ってお茶をして色々話したのだが、そのときに何故クリスマスとか年末年始というのはこれほどまでに人を消耗させてしまうのか?という話になった。去年は精神がどんどんおかしくなるにつれ季節や日にちとか全部意味がなくなり、それらは全て自分にとってはただの気温の変化と数字でしかなくなっていた。と思っていたのだがクリスマスが近づくにつれて謎の圧を感じてしまい非常にきつい思いをしたのでそれは何故なのかなあと考えるに、今はほんとみんな元気と金がとにかくなくて、だけどクリスマスなどイベントごとは人々をとにかくジャンジャン金を使う方向へ、消費を促す方向へと焚きつける。小売業界にとってはクリスマス商戦という言葉もあるようにイベントごとは大きな売り上げを達成するための大事なものなので一生懸命焚きつけるのも無理はないのだが、我々が暮らしている茹で釜の中の水(元気と金と時間、気持ちの余裕)はとっくに蒸発してなくなってしまっており、そんな状態でガンガンに空焚きで熱せられるものだからひどく消耗してしまうのではないかしら、という結論に自分の中では至った。もちろんクリスマスを思い切り楽しんだり身の丈に合った楽しみかたで過ごす人たちも大勢いるということも分かってはいるが。いつもはクリスマスが近づき街が何となく華やいだ雰囲気になるのが好きだったような気がするが、今ではそんなこと思わなくなってしまった。あと正月に消耗してしまうのは何故か。これはまた今度考える。

夜はユニオンが「○○円以下の中古商品が全品500円(△色と※色の値札は除く)」というセールをやるから来いというメールをもらっていたのでそういえばあの時見かけたあのCDもしかしたら500円で買えるかもしれんと思い仕事のあとユニオンへ向かう。表に出ていた100円レコのエサ箱をチェックし数枚目星をつけていざ店内へ突入してお目当てのCDのあるコーナーをA~Z~V.A.まで隈なくチェックしていくと、既に売れてしまったのか見つからなかった。何ということか。気を取り直してセール対象になるやつで欲しいのを探していくが、これがうまい具合に良いやつが全部セール対象外になっているのでくやしい。その中で何とかこれやろというのを見つけ(J Dillaの死後たくさん発表された中の数枚とか)、良しとする。もうユニオンの平日セール行くのはしばらくいいや……疲れるだけなので。

帰宅即横。ユニオンで購入したものを聴く。100円のエサ箱から見つけたケアレスワンのこれ、今聴くと何とも牧歌的なビート集であるがしかしケアレスワンのマナーに沿った曲で彼の雰囲気を濃密に感じるのでやはりすごいと思った。

腹減りもち焼きレトルトのビーフシチューと納豆と食べ夕食とし薬飲み後は全て諦めて疲れていつの間にか寝てしまう。今日やろうと思っていた仕事はできなかった。

今後自分が幸せになれるということはないのではないだろうか、という漠然とした予感だけがある。別に悲観的になっているわけでも投げやりになっているわけでもなく、ただ何となくそういう予感だけがある。屋根のあるところで暮らし五体満足で働きお金をかせいで3食食べることもでき好きなレコードやCDも買えるので十分幸せではないか、という見方もできるのだが。

早くやることやってどんどん進んで行きたい。どこへ?無からもうちょい有の方へ。

0 件のコメント:

コメントを投稿