2025年9月30日火曜日

2025年9月30日(火) 9月が終わるよ!さあ起きて!

私の体はポカリスエットと龍角散のど飴でできている。

風邪がヘヴィーすぎるので毎日ポカリをがぶがぶ飲んで龍角散のど飴をべろべろ舐めている。

しんどいっす。みんな大丈夫ですか (みんなって誰) ? 

金がほしいのと家に大量にある物を減らしたいという二大欲求がタッグを組んだ結果、ディスクユニオンの買取金額UPキャンペ~ンをやっているときを狙ってしこしことCDやレコードを売っている。

何を売って何を売らないかの分別をするのは非常に脳みそが疲れる。

インフルエンザで伏していた折は少し体調が良くなってきたときを見計らって家のレコード棚に刺さりっぱなしだったよく分からないHiphopの12インチを1枚ずつ聴いていき、売るか売らないかの判断および分別作業をしていた。

なんか、なんでこんなの大事に取っておいたんだろうね……みたいなオブスキュアな謎の12インチが大量に出てきて辟易した。

音楽に貴賎はないが、くそな音楽と素晴らしい音楽という違いはある。

というわけで、いっぺん聴いてこりゃ~家で大事に取っておかなくてもいいでしょう、というものをディスクユニオンより取り寄せた宅配買取用の段ボール箱に次々とダンクしていく。

そしたら段ボール箱2箱がいっぱいになった。多分レコード140枚くらい。いいね!この調子でどんどん物を減らしていきましょう。

さて、そんな中で分別作業を続けていくうちに、あれ、自分の音楽の趣味が昔と比べて変わってきたかもしれません、ということに気づいた。

ただ若さと時間だけがあり、金と元気と未来がなかったころ (今もないでせう) 、鬱屈とした気持ちを抱えていた私は自分のそのふがいなさやもやもやをハードコアパンクやブラックメタル等の暴力的な音楽を聴くことによって昇華させていたのであるが、そういった類の音楽をあまり聴けなくなってしまった自分に気づいたのでありました。

とにかく速くてうるさくて暴力的なほど聴いていて血が沸騰するような興奮を得ていたそれらの音楽であったが、今ではなんかみんなおんなじだね……と思って聴くのを途中でやめてしまうのであった。DISCHARGEだけあればいいのでは?とさえ思ってしまいました。

趣味嗜好は変わるものだから仕方がないことだけど、パンクやハードコアというのは自分の血肉のようなものだとずっと思っていたので、そういったジャンルと自分の好みが合わなくなってきていることに一抹の寂しさを覚えたのでありました。

では今はどういう音楽を聴いているのか?

自分の今の音楽の趣味というのが自分でもよく分からない。

豊かな音楽が好きだな、とは思うが、豊かな音楽って何?と聴かれてもうまく答えられない。※ハードコアパンクやブラックメタルが豊かではないという意味ではありません。

Hiphopは変わらず好きで聴いていて、でもG-Rapはあまり聴かなくなってしまって、ソウルやファンクなども好きだけど、レゲエやダブは昔よりも聴かなくなってしまった。テクノはAphex TwinやREPHLEX周辺、μ-ZiqやSquarepusherなどを好んで聴いていますが、範囲が狭いと自分でも思います。ネオアコやポストパンクなどもほとんど聴かなくなった。

ディスクユニオンの店頭買取金額UPキャンペ~ンのクーポンの有効期限が今日までなので、あんまり数を売る準備はできていないが、今夜仕事の後に売りに行こうと思います。

かしこ

2025年9月29日月曜日

2025年9月29日(月) wake me up when september ends

9月が終わったら起こしてください。

9月は病床に伏せっていた。

インフルエンザのA型に罹患し、それが治ったと思ったら免疫力が大いに弱っているところに細菌に二次感染してヘヴィーな風邪を引いてしまった。

踏んだり蹴ったりである。

体調を崩すとどうして自分がこんな目に……と思う余裕すらなく、ただひたすらに布団に身を横たえ、弱っているだけだ。
インフルのときは敬老の日の3連休の終わりに罹患したので発症後は5日間自宅待機なので期せずして9連休となってしまったが、お分かりのとおり病気で休んでいるのは楽しくもなんともない。何もできないし、本当にただつらいだけである。

偏った食生活 (三食シュークリームとコーラ) のせいで体が弱っているのだろうか?

スマッシング・パンプキンズの武道館公演を兄と二人で観に行くはずであったが、インフルのせいで行けなかったので悲しい。

何も明るい話題がない。

物故割れた車の件であるが、無事売買契約の解除・全額返金をしてもらえることになり、先日業者の人に引き取られていった。かわいそうな私の車。

この日記のタイトルはグリーン・デイというバンドの曲名からきているものであるが、WHAM!の『Wake Me Up Before You Go-Go (ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ) 』と並ぶ世界二大起こしてねソングのひとつである。

昔はグリーン・デイが大好きだった。でもそれはアルバム『WARNING』までの話。

ロック組曲みたいのを始めたアルバム『American Idiot』からついていけなくなった。

彼らのアルバム『dookie』で、「もうどうでもいいと宣言するよ」とか「モチベーション皆無だよ! / 私のモチベーションはどこへゐったのでせうか?」とか「しこったらもう一日の楽しみがおしまいだ!」とか、無気力と苛立ちにあふれた歌詞をポップなメロディーと疾走感のある演奏に乗せて歌いがなっていた彼らはもうどこにもいない。まあ、じじいになってからもずっとそんなこと歌っていたらやばいかもしらんけど。知らんけど。

もうグリーン・デイは自分にとって必要な音楽ではなくなってしまったのだなあ、と3月の来日公演を観ながら思ったのだった (行ってたのかよ) 。

インフルエンザも風邪もとにかくつらいので、皆さまどうぞ体調にはお気をつけください。







2025年8月7日木曜日

2025/8/7(木) I wanna be well



RAMONES / I Wanna Be Well

Yeah
I wanna be well
I wanna be well
I wanna be
Want, I want, I want, I want
I want, I want, I want, I want, I

Yeah
I wanna be well
I wanna be well
I wanna be
Want, I want, I want, I want
I want, I want, I want

I want my LSD, Golly Gee, a DDT, a Wowee
A daddy's broke
Holy smoke
My future's bleak
Ain't it neat?

Yeah
I wanna be well
I wanna be well
I wanna be
Want, I want, I want, I want
I want, I want, I want, I want, I

Yeah
I wanna be well
I wanna be well
I wanna be
Want, I want, I want, I want
I want, I want, I want

I want my LSD, Golly Gee, a DDT, a Wowee
A daddy's broke
Holy smoke
My future's bleak
Ain't it neat?

Yeah
I wanna be well
I wanna be well
I wanna be well



イエー
よくなりたい
おれは元気になりたい
おれはなりたい
なりたい、おれはなりたい、なりたい、
なりたい、なりたい、なりなりなりたい、

イエー
よくなりたい
おれは元気になりたい
おれはなりたい
なりたい、おれはなりたい、なりたい、
なりたい、なりたい、なりなりなりたい、

LSDがほしい、なんてこったい、DDTも、ワーウィー
親父はぶっこわれた
ちくしょう
未来は暗い
どうかな

イエー
よくなりたい
おれは元気になりたい
おれはなりたい
なりたい、おれはなりたい、なりたい、
なりたい、なりたい、なりなりなりたい、

イエー
よくなりたい
おれは元気になりたい
おれはなりたい
なりたい、おれはなりたい、なりたい、
なりたい、なりたい、なりなりなりたい、

LSDがほしい、なんてこったい、DDTも、ワーウィー
親父はぶっこわれた
ちくしょう
未来は暗い
どうかな

イエー
よくなりたい
おれは元気になりたい
おれはよくなりたい
おれは元気になりたい

訳: MCビル風


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ブログにしょうもないことを書いている場合ではない。
そんなことをしても、誰も幸せにならない。

思えばツイッター (現X) は私にとって大切な自己表現の場のひとつであった。

ただ、私はそこで気ちがいじみたうわごとを繰り出すばかりで、それはまるで 24/7/365 自分のゆがんだ脳みその中にガラクタのように詰まった思考の断片を垂れ流すくだらないリアリティーショーのようで、滑稽だったとしか言いようがない。

さらに悪いことに、私のくそみたいなツイットの数々により、人を不快にしたり、傷つけたり、たくさんひどい思いをさせてしまった。

私はそのことをとても申し訳なく思っている。自分はもうツイットするべきではないと思っている。

そして私はツイッターワールドを後にし、このブログに流れ着いた。

ここはまるで無人島のようで、私はツイッター (現X) で書いていた気ちがいじみたうわごとを、長文に変えて誰に宛てるでもなく書いている。

しかし。ただ舞台が変わっただけで、ここでも私はリアリティーショーのようにこの無人島でのサバイバル生活の模様を垂れ流し、またしても滑稽な姿をさらしている。

どうしてこうなった?

それは誰にも分からない。

私は疲弊している。

それはこの日々の猛烈な暑さのせいかもしれない。睡眠がくそだからかもしれない。色々なトラブルを抱えているせいかもしれない。金がないからかもしれない。

というか全部のせいかもしれない。

仕事から帰り、昼間の猛烈な暑さによりサウナ状態となった部屋に冷房をつけ、少しずつ空気が冷えてきて息ができるようになると、私は全てを諦めて畳の上に横たわる。

スマホをひとしきりドゥーム・スクローリングした後、気絶寝してしまうことも多い。

一昨日の夜、畳の上で気絶寝した私は夢を見た。

アメリカのテレビドラマ、フルハウスに登場する主人公の女の子たちと、ビースティー・ボーイズの『Looking Down The Barrel Of A Gun』のフックを歌いながら家の中を練り歩くという夢だった。
「ルッキンダンザバレルオブアガン!サノバガン!サノバビッチ!」と叫びながら列をつくって家の中を練り歩くのは楽しかった。

夢から目覚めた後、ビースティーの同曲が収録されたアルバム『Paul's Boutique』のCDをステレオ・システムで再生したのは言うまでもない。

昨夜も畳の上で気絶寝してしまい、私はまた別の夢を見た。

CDを持っているしライブも観たことのある、とあるアーティストの家に遊びに行き、私の友達のつくった彫刻を一緒に鑑賞するという夢だった。

朝の4時ごろ、そのアーティストの携帯電話が鳴り、「ごめん、電話」と言ってビデオ通話を始めると、その相手はこれまた私が一方的に知っているバンドマンで、このアーティストとこのバンドマンがつながっていたのか……と私は驚いた。
ビデオ通話では、二人とも仲良さそうにどうでもいいふざけたやり取りを続けていた。

そんな夢を見たあと夜中の2時過ぎに目が覚めた私は、歯を磨いて布団を敷いて寝ようとしたのだが、スロッビング・グリッスルのベスト盤のCDをかけていたがなかなか寝付けず、結局CDが全部終わってからようやく眠りに落ちたのであった。

2025年8月6日水曜日

2025/8/6(水) mentally mad・その5

自分がいったい何をやっているのか分からない。

40年間生きてきて、自分がいったい何をやっているのか分かったためしがない。

大丈夫!?

そんな中でも自分が何をやっているのか分かる瞬間というものが確かにあり、そのひとつが音楽をつくっているときである。

音楽をつくっているときは、自分が正しいことをしている、という実感がある。

じゃあ音楽をつくりましょう!さあ!ほら早く!どうぞどうぞ!

どうぞ、おやりなさい。

と思うでしょうが、それで音楽がつくれたら苦しくないのでありんす。

ありんす、ありんす、ありんすと・テレス。

こないだ bandcamp friday の告知に伴い久しぶりにツイットした。
高田馬場の ばん という店でひと口大にカットされた豚の臓物が串に刺さって炭火などで炙って焼かれたものにタレを塗ったり塩を振ったりしたものを食べて酒を飲みながらのことだったため、半分酔った勢いのままツイットしてしまった。

そしたらめちゃくちゃ嫌な気分になって、本当に嫌な気分になって、ツイットしたことを後悔したのであった。

嫌な気分になることはするのをやめましょう!

私はもはやMCビル風ではありません。

じゃあ誰!?

こうやって細かい改行を繰り返してグルーヴを醸し出すブログ構文、好きじゃないんだよね。

でも、やってしまっているよね。

好きじゃないことをするのはやめましょう!

毎日暑すぎる。

愚かな人間の所業の数々によって引き起こされた気候変動により、気温が狂った勢いで年々急上昇し、夏が殺人的な猛暑となって久しい。

このまま行くと、夏の平均気温は摂氏50℃となり、フィリップ・K・ディックの小説よろしく冷風を送るダクトのついた防護服を着ないと外を出歩くことができないようになり、また気候変動によって引き起こされた諸々のせいで熊が渋谷のど真ん中に出没するようになり、冷風ダクトつきの防護服を着た人々が闊歩する渋谷のスクランブル交差点で熊が人を殺してそれを喰らうようになる。

それでいいんですか?

車とか、乗らないほうがいいと思う。

車の排出する二酸化炭素をパリ協定で定められた目標値まで減らさないと温室効果ガスが増え続け、近い未来に渋谷に熊が出没するようになる。

電気自動車とかハイブリッド車とか開発されているが、依然としてガソリン車も生産され続けている。

もう一度『ドラえもん のび太とアニマル惑星』から観ろ (もう一度ジェームス・ブラウンから聴け) 。

私はあのクラッシックを幼少のころ映画館で観、環境破壊によって引き起こされる悲惨な光景の数々に大変な恐怖を覚えた。もう手を洗うときに水を出しっぱなしにするのはやめよう、と思った。
幼少のころの私は潔癖症気味で、ことあるごとに石鹸で手を洗っていたので、劇場の暗闇で『アニマル惑星』を観ているときに隣に座っている父親から「けんごも手ばっかり洗ってちゃダメだぞ」と急に言われたのを覚えている。

熊・交通事故・シャブポルノまんが・かわいい猫。

以上の4つがHIPHOP四大要素ならぬ私の手元のスマホから私の脳みそに刺激がダイレクトに注入される四大要素である。

毎晩毎晩、死にながらスマホをドゥーム・スクローリングし続けることしかできない。

大丈夫!?

音楽がつくれさえすれば、この苦しさはやわらぐはずである。

じゃあ音楽をつくりましょう!さあ!ほら早く!どうぞどうぞ!

どうぞ、おやりなさい。

と思うでしょうが、それで音楽がつくれたら苦しくないのでありんす。

ありんす、ありんす、ありんすと・テレス。

暑くて暑くて毎日なんとか死なずにいることしかできない。

言い訳ばかりして何もせず、それをブログという不特定多数の目に留まる場所に垂れ流して、本当にみじめだね。

明らかにブログの作風 (?) が変わってきているが、それは私の精神の不調のせいです。

窓辺に置きます。

2025年7月25日金曜日

2025年7月25日(金) 悪い奴ほどよく眠る

いい奴ほどよく起きる。

ミッションが逝っちまったパンダの件、行政書士の先生に相談して車屋へ内容証明郵便を送った。

追完請求 (※車が安全に走れる状態まで完全に修理・またその費用を全額負担) および専門業者にて修理不可の診断が下った場合は売買契約の取り消し・全額返金 (ほかこれまでかかった車の保管料などの損害賠償) を要求するというもの。 

内容証明は7/21(月)に向こうへ配達済みとなっているが、まだ何の連絡もない。
さっさと全額返金してほしい。

もし向こうが拒否したら、次は訴訟などを検討しなくてはならなくなりますね。

最近は引き続き精神の調子が非常に悪い。

無のまんがはなるべく読まないようにしているが、平日夜に酒を飲む回数が増えた。

しらふで家にいるのが怖い。本当に恐ろしい。

このくそ暑い毎日でも風呂に入れないのが続き、全身がべたべたしてとても気持ちが悪いので、昨夜がんばって風呂に入った。
風呂なんて普通に入れるでしょ、と元気な人なら思うと思いますが、うつ病を抱えている人にとっては風呂というのは本当に大きな障壁で、入浴するのに多大な労力と精神力を要する。

毎日が苦しい。

今日からフジロックが始まった。

そんなに何回も行ったことがあるわけではないが、私はフジロックが好きだ。

かつてツイッター (現X) でフジロックの思い出をツイットしたことがあったが、今まで行ったフジロックは全て私の中で忘れがたい大切な記憶となっている。

今日は事務所で一人きりなので、仕事の合間にフジロックの中継でトリプルファイヤーのフィールドオブヘブンでのライブを観た。

久しぶりに観た彼らのライブはとてもかっこよかった。

かつては秋葉原のクラブグッドマンなどで私MCビル風と何度も対バンした彼らであったが、今やフジロックのトップバッターを飾る存在である。
言うまでもなく、それは彼らのたゆまぬ努力の結果であろう。

トリプルファイヤーとMCビル風、どうして差がついたのか…慢心、環境の違い。

私は何の努力もしていないし、そもそも音楽をつくる元気もないし、もし元気があったとしても音楽をつくらないし、風呂に入ることもできないし、酒ばかり飲んでいるし、買った車は1か月とちょっとでだめになるし、学校ないし家庭もないし、ヒマじゃないしカーテンもないし、花を入れる花ビンもないし、嫌じゃないしカッコつかないし、

窓辺に置きます。

2025年7月22日火曜日

2025年7月22日(火) go mental


RAMONES / GO MENTAL

I've gone mental
I've gone mental

Out of the hospital
Out against my will
Life is so beautiful
I've gone mental
Mental mental

I've killed my family
They thought I was an oddity
Life is so beautiful
I am a vegetable
Mental mental

I've gone mental
I've gone mental

Staring at my goldfish bowl
Popping phenobarbital
Life is so beautiful
I've gone mental
Mental mental

Sitting on my window sill
Life is so beautiful
I've become irrational
I've gone mental
Mental mental

I've gone mental
I've gone mental
I've gone mental

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ラモーンズ / ゴー・メンタル

僕は精神病
僕は精神病

病院を飛び出した
意志に反して
人生は美しい
僕は精神病
精神病 精神病

家族を殺した
みんな僕のことを気ちがいと思ってた
人生は美しい
僕は植物人間
精神病 精神病

僕は精神病
僕は精神病

金魚鉢を眺めて
フェノバルビタールを飲む
人生は美しい
僕は精神病
精神病 精神病

窓辺に座っている
人生は美しい
僕は正気を失った
僕は精神病
精神病 精神病

僕は精神病
僕は精神病
僕は精神病

訳: MCビル風

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私はラモーンズが好きである。

中2のときにアメリカから来たAET (アシスタント・イングリッシュ・ティーチャー) の先生に「GREEN DAYが好きだ」と言ったらラモーンズのベスト盤『RAMONES MANIA』のCDを貸してくれた。

兄が毎月買っていた雑誌『BANDやろうぜ』のパンク特集号にてラモーンズの存在は知っていたが、CDは持っておらず、聴いたことがなかった。その特集に載っていたセックス・ピストルズやディスチャージは先に聴いていた……ような気がする。

80分のカセットテープに貸してもらったCDをダビングし、来る日も来る日も聴き続けていた。

ロリータ18号というバンドのアルバムをラモーンズのジョーイがプロデュースして、その中にはロッカウェイ・ビーチのカバーも収録されていて、それも買って愛聴していた。

ラモーンズは曲も見た目もキャッチ―だし、まんがみたいな確固とした世界観が確立されており、みんなが愛してやまない存在である。

しかし。熱烈なフォロワー (革ジャンスリムジーンズスニーカー、ところによりマッシュルームカットや長髪等) の存在はダサいしその熱狂っぷりが怖いな、と思っている。ラモーンズに影響を受けたバンドは星の数ほどいると思うが、モロに格好を真似して3コードの曲を演奏するバンドはださいし聴く価値がないと思う。本当にくだらないと思う。関係ないけどブルーハーツをはじめとした数々のバンドで活躍してきたヒロトとマーシーの熱狂的ファンの人たちも怖いなと思う。

真似されるアーティスト本人たちが激キャッチ―で激クールなために宗教的なまでのレベルで熱を上げる人たちがいるのは仕方のないことだと思うが、本人たちが激!極!格好良くて素晴らしいアーティストなのにそのファンの人たちが怖かったり寒かったりすると、だいぶ引いてしまう。

というわけでラモーンズは大好きだけど、真似をするほどラモーンズが大好きな人たちとは相容れないなと思っている私であるが、大学に入って軽音サークルに加入した私はバンドを組んでラモーンズをコピーした。

そこで自分で曲を弾いて歌う段になって初めて、その歌詞のやばさに気づいた (遅い) 。

「やることないヨ~ン、やることがほしいからシンナーが吸いたいヨ~ン」とか、「やることもないし行くところもないし、落ち着かないヨ~ン (落ち着きたいヨ~ン) 」とか、まあ今パッと思いつく例はそんなに出てこないんですが、↑で訳した曲もそうだが、彼らの曲は精神疾患についての歌詞が非常に多い。しかもそれを悲哀とユーモアをたっぷりと交えてポップに歌うもんだから、痺れてしまう。

ラモーンズの歌詞は本当にやばい。あらゆるバンドの中で最も精神疾患について歌ったバンドではないか (※ソースも調べる気もなし) 。

私は昔から言っているが、ラモーンズの全歌詞集というのがこの世に存在しないことを大変遺憾に思っている。早急に出版してほしい。ただラモーンズの全曲の全歌詞を掲載した本。まじでほしい。喉から手が出るほどに。

先日古本屋でボブ・ディランのいまいちな時期のアルバムの曲の歌詞を集めた歌詞集 (海外で勝手に誰かが自費出版したもの) を買ったのだが、同じように誰かつくって出版してくれないか。

ラモーンズはフロントの3人は不動だが (※ディーディー脱退後はCJが加入) 、ドラマーはトミーの次はマーキーでずっとマーキーだと思っていたのだが、メンバーの変遷をまとめたファミリーツリーを見たらもっともっとたくさんドラマーが変わっていて驚いた。

私のラモーンズについての知識なんてそんなもんです。

昨夜精神状態が限界に達して非常につらかったのだが、hikaru yamadaがラモーンズについてツイットしていたのを見て、RAMONES MANIAのCDを再生することにより、少しだけ気が楽になった。

本当にありがとうございました。

2025年7月18日金曜日

2025年7月18日(金) mentally mad・その4

家の洗濯機蛾物故割れた。

スタートボタンを押しても動作しない。
いくらスチャチャチャチャ……!と連打してもうんともすんともいわない。

毎日大汗をかくこの酷暑に家で洗濯できないのは非常にまずい。

買い替えるにしても金がない。

コインランドリーまで行くのが大変に面倒くさい。

どうしてこんなにつらいことばかりが私の身に起きるんでしょうか?

昨日仕事から帰ってきて、溜まった洗濯物を洗濯機にぶち込んだところでボタンを押しても動作しないことに気づいた。

サンヨーの2009年製の洗濯機である。

前の家に引っ越すときにジモティーで8,000円だかなんかで売ってもらった。
それから足かけ8年使い続けてきた。

うちのマンションは築深すぎのオールドスクールなマンションのため、当然のごとく洗濯機はベランダ置きである。
長きにわたり直射日光にさらされ、本体上部に設置されたコントロール・パネルのプラッチックが劣化しパリパリになってしまっている。

しかし、これだけ長く使っていればそれは壊れても仕方がないのかもしれない。

でも。

壊れるものをつくるなよ!!サンヨーさんよォー (固い韻) !!

形あるものはみな壊れるし、生きとし生けるものはみな最後には死ぬが、それはしょうがないが洗濯機は壊れないでほしい。冷蔵庫も。

でかい家電は買い替えたり処分するのが大変に面倒くさいので、壊れないでほしい。

家電メーカーは新製品を出し続けて売り続けるのが商売なのであるが、そんなものはこの資本主義社会のレースに無理やり強いられたふざけたゲームでしかないので、こちとらそんなものに乗るつもりはないので、メーカーのみなさんには新製品をつくる代わりに永遠に壊れない洗濯機をつくっていただいて、このような悲劇が起きないようにしてもらいたい。

くそが!!!!

昨日洗濯機がぶっ壊れたことを受け入れることができず、日が暮れてだんだん暗くなっていくベランダの片隅で洗濯機のスタートボタンを20分くらい連打し続けていた。その後過酷な現実から目をそらすために速攻で酒を飲みに出かけた。

最近自分の身に降りかかる災難があまりに多いため、ストレスが閾値を限界突破している。

家に帰るのが怖い。家で何もできないから。

食事や入浴などをどうにかする元気がない。

ストレスから目をそらすために酒を飲みたくなってしまう。家でしらふでいることができない。
仕事からの帰り道、家で過ごす時間が恐怖でしかないので、毎日めちゃくちゃ暗い気持ちになっている。

自分の家すら自分にとってセーフスペースではない。監獄と一緒である。このプリズンはブレイク不可能。

多大なストレスからくる恐怖と焦燥感からどうやって逃げるか。

酒を飲む以外に、スマホで無のまんがをつい読んでしまうようになった。

無のまんがとはどういうものか。

最近読んだのだと、魚屋の社長を務める夫が不倫してその不倫相手の女性と持ち帰り海鮮丼とパンケーキの店・その名も『海パン』 (バカ) という店を始めるが、ずさん過ぎる経営により破滅へと向かう……みたいなやつ。あと『虐殺ハッピーエンド』という人を殺さないと次の日に進めないので毎日人を殺す、みたいなひどすぎるまんがとか。

そういったIQゼロメートル地帯を爆走するくそみたいな無のまんがの数々を畳の上に力なく横たわったまま読んだりしていたのであるが、シャブみがあるだけで内容がなさすぎるそれらのまんがを読むと虚無が加速して時間はあっという間に溶け、寝不足→翌日また何もできない、みたいな負のループに陥るばかりなのである。

しかし!最近のまんがは中身をチラ見せしていいところで終わって続きが気になって続きを読みたくば課金せよ、と迫ってくるものばかりで、なんか主人公やその大切な人などがえらいひどい目にあって、目を覆いたくなるような残虐な目にあってしまったりして、ああ、これはこのあといったいどうなってしまうのか!?このあとで救いはあるのだろうか!?と気になってしまい、つまりまんがの登場人物を世にもおぞましい残酷なひどい目に合わせて読者に多大なストレスとフラストレーションを与え、そして金を払った先で読めるページにて不倫した夫とその相手を地獄に落としたり、愛する者を殺した悪者を八つ裂きにしたりして惨殺することにより、読者が受けた多大なストレスとフラストレーションをスカッと晴らす、という定型のパターンが確立されてしまっている。

これってマウスの脳に刺激を与えるとか猿にボタンを押させてランダムにえさが出てきてボタンを押すとえさが出てくることを覚えてその成功体験に病みつきになり猿をただボタンをスチャチャチャチャ……と連打させるだけのボタン連打機にしてしまうひどい実験と何が違いますの?

そんなくそみたいなシステムで運用されているくそまんがに課金などしたくないためネットでネタバレなんかを検索すると (ネタバレを検索するのかよ) 、やはりこのようなシステムを批判する人たちが山のようにいる。その中で、そのような読者に強いストレスを与える→その後でスカッとさせる、という仕組みの無のまんがのことをただのポルノだと言っている人がいて、そうだねと膝を打った。

このようなまんがはただのシャブ・ポルノである。

登場人物が嫌な目に遭い、本当に最悪の地獄のような嫌な目に遭い、そしてその人物をそのような目に遭わせた悪者をこれまた最悪の目に遭わせることにより、読者は溜飲を下げる。脳みそから何かしらの快楽物質が出るのを感じるが、それってシャブでしかないし、ただのポルノでしょ。

人の心を動かす表現って、そういうものじゃないでしょ。

私は近年の文化のシャブ化をなんとなく憂いている。

脳がストレスを受けてその後スカッとして、ただひたすらそれを反復する。

その先に何があるのか?

何があるのかは私には分かりませんが、私は憔悴しております。脳が疲れている。

朝も起きられなくなってきた。起きなくてはやばい時間なのに布団から出ることができない。寝るのが遅いせいもあるんだけど。

昨夜もシャブ・ポルノまんがを読んでしまい (結局読んでるのかよ) 、時間ばかりが溶けて心底嫌な気持ちになったが、ふとジョジョ第6部のプッチ神父のスタンドってやばかったよな……と思ってそれについて調べていたら、寝るのが3時過ぎになってしまった。

ジョジョ第6部は私が実家にいたころに兄が買っていたジャンプでリアルタイムで読んでいたが、正直話が大変にむつかしいので流し読みしていた。ただなんとなくこれはすごいものを読んでいる、という感覚だけはあったのを覚えている。

荒木飛呂彦先生は誰もが認めるトゥルー・ジニアスである。先生は現代のシャブ・ポルノまんがのことをどう思っているのだろうか。創作で忙しくて別になんとも思ってないか。

何を書いてるんだかわけが分からなくなってきた。

とにかくつらい。苦しいです。

2025年7月17日木曜日

2025年7月17日(木) was it all a dream

私のパンダはもうだめです。

4月の末に納車になったパンダであったが、そこから1か月後の6月頭に遠出した際、高速道路に乗るときアクセルを踏んでもエンジンの回転数が上がっているのにスピードが時速90kmより先に加速しない、という症状が出た。
パンダのオートマCVTミッションが、アクセルを踏んでもシフトアップせず、ギアが滑っているのである。

この症状はオートマのパンダセレクタにあるあるの故障と言われており、CVTは普通のオートマの機構とは異なり、2つの円錐状のプーリーに渡されたベルトがアクセルの踏み込み具合によりプーリーの径を変えながらスピードを変えていくという無段変速の機構である。
作りがかなり複雑なため、CVTがだめになったら修理というのは基本的にはできず、別のCVTのミッションを持ってきて丸ごと乗せ換えるしか直す方法がないのである。

しかし。

パンダは古い車なので当然のごとくメーカーのパーツ供給は終了しており、中古のミッションを探して乗せ換えるしかないのであるが、それが出てくるのはツチノコを発見するよりも確率が低く、また見つかったとて正常に動作するという確証もなく、また乗せ換える場合もパーツ代込みで4~50万円くらいかかるという。

パンダのCVTが壊れたら、それは全ての終わりを意味する。

ギアの滑りを確認した私は気が動転してネットで調べまくってあらゆる整備工場へ問い合わせた。
しかし、無情にもどこの店からも「パンダのCVTの故障はパーツが手に入らないため修理不可・うちでは扱えない」との答えばかりが返ってくる。
ひどいところ (神奈川某所にある某店) では「まだ走るうちに売った方がいいですよ」と言われ、車を買ったばっかのやつにそんなこと言うか!?と思い、心底腹が立って絶叫しながら目の前のPCのモニターを破壊した。

しかし。

あらゆる店から修理を断られる。
とりあえず見てもらう、ということさえできない。
しっかり車を見て調べてもらわない限りは、ミッション本体がだめになっているということは判断できないのに。
私はミッション本体が逝っちまったのではなく、ミッション周りの不良、例えばCVTオイルを交換することにより直ったりしないか、ということに一縷の望みをかけていた。

奇跡的に茨城にあるパンダに強いお店から「うちで見るだけ見ることならできますよ」、という返答をもらい、腹部を鉄骨が貫通している状態で全裸でパルクールしながら手負いのパンダを運転し、常磐道を北へひた走って車を預けてきた。
「今整備が立て込んでいるので見積を出すまで1か月くらいかかる」と言われたので、家で全裸で正座しながら火球待機する。

パンダを買った店は全てがずさんで何の知識もない役立たずのごみくそ販売店なので、何も期待していない。
一応状況について販売店に連絡するが、車は現状販売のため補償はできない、と壊れたbotのように同じことしか言わない。こちらでもミッションのパーツを探してみますよ、などとツチノコ捕ってきますよ、と同等の実現不可能なことを軽い感じでただ言うだけだった。くそが。

ネットでフィアット愛好家の集う海外のフォーラムなどを調べまくったが、パンダセレクタのCVTは『die young or live forever』らしい。

私のパンダのCVTはdie youngしちまったのか?

そして7月11日の金曜日。

パンダを預けた茨城の店より修理見積の連絡あり。

・ドライブシャフトブーツ要交換 (3,500円)
・タイミングベルト要交換 (9,000円)
・ウォーターポンプ要交換 (25,000円)
・オートマオイルクーラーホース2本要交換 (9,000円 x 2 = 18,000円)
※括弧内は部品代・工賃はおおよそ10万円 (修理を進めていくうちにプラスになる可能性あり)
合計155,500円

・フロントブレーキの片効きでハンドルが取られる・フロントブレーキキャリパーの固着あり

・高速道路で試運転したところ、やはりオートマCVTのミッションが不良 (エンジンの回転数が上がっても加速しない・ギアの滑り) その症状を確認
※部品はもう出ないため中古のミッションを探して乗せ換えるしか方法がない
もし中古でミッションが見つかったとしてもそれが動作するかは確証がなく、交換するとしてもパーツ代含め4~50万円かかるだろうとのこと。

つまり事実上修理不可能。

その辺を走るくらいなら大丈夫そうだけど、とのことだったが、高速道路に乗れない車って何。
ミッション回りを155,500円かけて修理したところで、ミッション本体が逝っちまっている手負いのパンダである。

何の意味もない!何の意味もない!

私の頭の中の小島よしおが叫んでいる (小島よしおのカチョマンテ) 。

もし茨城のお店でこのパンダを引き取ってもらえるとしたらいくらくらいになるか、と尋ねたところ、やはりミッションがだめになっているので10万円、とのこと。

前のオーナーがメンテナンスを怠ったからミッションがだめになったんだろうね、とのこと。

車を買ってからのこの2か月半はいったいなんだったんだ。


夢?


今年も海へ行くって
いっぱい 映画も観るって
約束したじゃない
あなた 約束したじゃない
会いたい…


突如チカコ・サワダのクラッシック、『会いたい』の歌詞を挿入したが、パンダの終わりを告げられたときに脳内でこの曲が流れた。

このパンダで楽しい思い出をたくさんつくるはずだったのに。どうしてこうなった。

私が悪いんか?

っていうかパンダが入院している期間も長かったしその回数も多かったし、両手で数えるくらいしか乗ってないが?

何もあてにしていないが販売店に茨城のお店からもらった修理見積の内容と金額を連絡。
初めて買った車がこのようなことになり大変ショックを受けている、販売店として何か補償などしてもらえないのか。
そう尋ねると、「現状での販売のため、補償はできかねます」との返事。

現状販売現状販売ってよォー、それは魔法の言葉なんか?

現状販売の車を買ったこっちが悪いんか?

売りに出てたパンダの中で一番安かったのを買ったのが間違ってたんか?

普通のSUVとかワゴン車とかを扱ってる車屋の隅になぜか1台だけぽつんと置かれていたパンダを買ってしまったのが悪いんか?

海は死にますか?

山は死にますか?

くそごみかす販売店から車を購入した際、誤字のある請求書 (こちらの住所の漢字が間違ってる、車種がパンダセレtクター※原文ママ※になってる) を1枚もらった以外は何の書面も交わしていない。

いい勉強になった。

で済ますにはあまりに金額が大きすぎるし残念すぎる。

くそすぎる。

販売店いわく、補償はできかねるが少しでも春村さんの相談に乗れるように、負担を減らせるような協力をさせていただければとは考えています、とのこと。

パーツ代と修理代の3割を負担してくれるらしい。

だ・か・ら、さぁ~~~~、(GREEN) DA・KA・RAさぁ~~~~、ミッションのパーツ出てこないって言ってんじゃん。ミッション回りを修理したところで高速乗れないじゃん。
CVTの故障を放置すると最悪車が動かなくなるらしいし、ネットで調べても『CVTの故障は買い替え一択!』という元気のいい絶望的な文言が目に飛び込んでくる。

もし車を引き取ってもらうならいくらになるか、と聞くと、春村さんの心情を踏まえた上で、10万円よりは出せると思います、との返答。

現在金額の連絡待ち。

とんだピエロじゃねえ~か。

車買ってはしゃいでたら、2か月半で終了。
両手で数えるくらいしか乗ってない。

笑ってやってくれ。m9(^Д^)プギャーって。

消費者センターにも電話した。消費者センターから紹介された日本中古自動車販売組合連合会とかいうばかみたいな名前の機関にも相談した。
買って2か月乗った後だとだめ (補償はしてもらえない) かもしれませんね、という返答だった。まじで何の役にも立たない。

車好きの友人からは、とりあえずその販売店はくそだが、もう割り切って155,500円かけてミッション回りを修理して、そのパンダは街乗り用として使って清澄白河の喫茶店などに行ったりするだけにしたらどうか、というアドバイスをもらう。

何も分からなくなった私は、考えるのをやめ、とりあえず酒を飲むことにした。


※今回大分トリッキーな文章表現になってしまったが本来このような文章は自分で好きではないがライブ感を重視したためというかライブで書かないと書ききることができなかったためこのような文章と相成りました。



―続く―

2025年7月2日水曜日

2025年7月2日(水) material boi

家に物が多すぎる。

聴かないCDレコード、観ないビデオDVD、読まない本雑誌、使わない機材の数々。

家に物が多いとただ膨大な物が自分の周りにあるというだけでそれにより多大な脳みそのリソースが割かれているように思う。
脳みそが散らかった気分になり、それらを聴いたり観たり読んだり使ったりしなくては、という謎の焦燥感とプレッシャーに襲われる。

じゃあいらないものを売るなり捨てるなり処分したらいいじゃない、と思うでしょうが、それができたらこんなに物ばかり増えていないわけです。

昔、何かの用事で滅多に行かない埼玉の真ん中の方へ行くことがあり、どうせ行くなら、ということでブックオフとハードオフを訪れた。

ディグした膨大な量の100円CDを用いてDJをすることで有名な方がいるのだが、その人に感化され、なんか未だ見ぬ未知の (頭痛が痛い構文) 音楽に出会えたらいいな、くらいの感覚で100円CDをたくさん買ったろ、と思ってのことだった。
ハードオフは大抵駅からは離れたところにあるので、わざわざバスに乗ったり少々長い距離を歩いたりして店まで行った。

店ではとにかく気になったものを片っ端から買い物かごにぶち込んでいき、多分150枚くらい買った気がする。1枚100円 (税込110円) としても16,500円の買い物である。
150枚ものCDを手で持って電車に乗り持ち帰るのは非常に大変だった。20枚くらいの山を4つつくり、巨大なビニールの手提げ袋に入れ、それを2袋持ってえっちらおっちら駅まで歩いていき、電車を乗り継いで帰るのはまさに苦行であった。

さて、そんな大金を使って大変な思いをして持ってかえってきた大量のCDはどうなったでしょうか?

そう、皆さんお察しのとおり、大半のCDをろくに聴かぬままその巨大なビニール袋に入ったままで家の片隅に放置されていたのである。

大量のCD (しかも聴く前から大体がろくでもない内容なのは分かっている) が家の片隅に鎮座しているのはあまり気分のいいものではない。

音楽に貴賎なし。と私は思っているが、音楽に貴賎はないがくそな音楽はくそである。

まあ、いつか聴くでしょう、と思って放置していたのであるが、1日1枚聴いたとして、全部聴き切るには150日かかる。
くそな音楽を聴くために割く時間は残念ながら私にはなかった。同じ時間を消費するのであれば、くそな音楽を聴くよりはかっこいい音楽や素敵な音楽を聴きたい。

100円のCDを150枚買った後も、私は他のかっこいいCDや素晴らしいレコードもコンスタントに買っている。そちらを優先して聴きたくなるのは当然である。

というわけで、もしかしたら未知の素晴らしい音楽が眠っているかもしれない100円CDの山は、CDプレイヤーにセットされることのないまま眠り続けていたのである。

私の住むマンションは4畳半と6畳の2間の2Kの間取りである。4畳半の部屋にエアコンが設置されているため、そちらを居間兼寝室兼たまにボーカルを録音するスタジオバカとして使っている。
6畳の部屋には大量の機材がセットされ、音楽を制作するためのスタジオバカ別館として使っている。

どちらの部屋にも大量のCDレコードがある。それらは棚に収納されていたり、収まり切らない分は床に直置きされている。

以前友人が私の家に遊びに来た時、部屋が狭すぎる、物が多すぎる、としきりに言っていた。
ベランダに出たとき、ベランダが一番広い!と言って驚いていた。歩ける!と言っていた。

4畳半の部屋も6畳の部屋も、歩けるスペースは非常に少ない。なぜなら床に物が置いてあるので。

私はかっこいい音楽や素敵な音楽が収録されているCDやレコードを買うことがライフワークの一つなので、それらは無限に増えていくばかりである。
お金に困ったら聴かないものを売ったりしているが、基本的には売らない。

コレクターが無限にコレクションを増やしていくことは現実的には難しい。収納スペースには限界がある。
今までツイッターなどで公言したことはなかったが、私は数年間レンタル倉庫を借りていた。かつて住んでいた1Kの間取りのマンションには所有する大量の物たちが収まり切らなかったため、苦肉の策であった。
レンタル倉庫の2畳の部屋に、レコードが60枚くらい入る段ボール製の収納ボックスを12箱くらい置いていた。
単純計算でレコード720枚。ほかにCDやレーベルの在庫も置いていたので結構な量であった。

車購入に伴い毎月の駐車場代を捻出する必要があるため、そのレンタル倉庫は解約した。
倉庫に置いていた大量のレコードは、金に困って売りまくったので倉庫を引き払うときには全部で5箱くらいにまで減っていた。
その残った5箱のレコードは今の家の2間の部屋どちらにも置くスペースがないため、あろうことか台所に積み上げてある。レーベルの在庫は風呂場の入り口横に積み上げた。

ということで物を減らさないと頭が変になってしまいます、ということで、ハードオフで買った大量の100円CDをどうにかしましょう、となったんだけど、ケースにハードオフの110円という値札シールがべったり貼り付けてあるもんだから、ディスクユニオンに売るのは一寸 (いっすん) ためらわれる。どうせ値段の付かない1枚10円で引き取ってもらうことになるものばかりだろうからどうでもいいといえばそうなのだが、何となく気になる。
キャッチアンドリリース、ということで、釣った魚を川へ帰すように、ハードオフで買ったCDはハードオフへ持っていけばいいのでは?と思ったが、現在車が入院中のため無理である。

ということでブックオフの宅配買取を利用することにした。
スーパーでいらない段ボール箱を何枚かもらってきて、あとはいらないCDをひたすら箱にぶち込んでいくだけである。はは、楽勝。

そう思ったのであるが、いざ作業を始めると聴いてもないCDを次々箱にぶち込んでいくというのが自分にはできず、大変困惑した。
なぜできないのかというと、そのCDに未だ見ぬ未知の (頭痛が痛い構文) かっこいい音楽や素敵な音楽が眠っていたらどうしよう、という不安によってである。

ということで、愚かなことに1枚ずつ聴きながら選別を始めてしまったのでもうおしまいである。
といっても1枚通して聴いていたら日が暮れてしまうので、冒頭1曲かけてダメなら即箱にぶち込む、というスタイルにした。

それにしても。90年代~2000年代初頭にかけて雨後のたけのこ状態で無限にリリースされた判で押されたような全部似たり寄ったりの内容の大量のR&B系CDの多さに辟易した。買ったのは自分ですが。
胸キュン系のメロ~なR&Bチュ~ンは好きですが、私の好きなプロデュースチームであるUNDERDOGSワークスだけあればいいかもしれない。そう思い、大半は処分することにした。デスチャのアルバムに私の大好きなMASTER P御大が参加しているのに気づいて聴いてみたらかっこよくてくらったが、デスチャのCDを家に置いておかなくてもいいよな……と思う。置いといてもいいんですが。

THE BOOMのCDや久保田利伸のCDなど大量に買ってきているが、果たして自分の人生でこの先彼らの音楽を必要とする日がくるのだろうか?THE BOOMのリミックス盤にMAD PROFESSORリミックスなどが入っているのは非常に興味深いが、いまいちCDプレイヤーにセットする気になれない。
彼らの代表曲である『風になりたい』や『LA・LA・LA LOVE SONG』などは誰もが認める激!極!クラッシックであるが、クラッシックすぎて別に家で聴かなくてもいいというか、説明が難しいが、とにかくなんだか聴く気になれないのである。

110円で投げ売りされているCDは過去に爆裂大ヒットしたため売れまくったのでそのような値段で流通というかハードオフの店頭まで流れ着いてきたのだと思うが、そういったCDの絶妙な聴きたくなさ・聴かなくてよさというのは説明が難しい。同じ1時間を使うなら別のかっこいい音楽や素敵な音楽を聴きたい。

ということでちんたらCDの選別をしていたら脳みそがひどく疲れてしまった。
挙句レコード棚 (普段は積んであるCDのタワーたちの背後に隠れていてアクセスすることができない) に気が行ってしまってCDの整理選別そっちのけでレコード棚の整理が始まってしまった。
棚に刺さっていた80年代終わりや90年代初頭の得体の知れないオブスキュアなマイナーhiphopの12インチの数々にくらくらする。こんなのこの先聴くことあるのか?

しかし愚かな私はまたそれらの12インチをターンテーブルに乗せて聴きながら選別を始めてしまったのでもうおしまいである。
大半が今後私の人生において必要な音楽ではない、という判断となったため、ユニオンの宅配買取用の段ボール箱が半分埋まるくらいの量を棚からなくすことに成功した。

とにかくCDレコードが多すぎて気持ち悪くなってきた。

私は家の片付けというのが非常に苦手で、それはあれこれ考えながらやるので脳みそが非常に疲れるからで、だけどごみ捨てとかはちゃんとするので部屋中に飲みかけのペットボトルや空き缶、お菓子の袋とかのごみが散乱しているということは全くないのであるが、とにかく物が多いので家の中が雑然としている。雑然としている中でも多少の秩序がないと片付いて見えないので床に直置きながらもある程度の秩序を保って物を並べている。
だけどCDレコードに一切興味ない人から見たら全部ごみというか不要なものにしか見えないと思う。

私の住むマンションは築深すぎのため来年3月いっぱいで取り壊すことになり、それまでに引っ越さなくてはならない。
その来るXデーのために、少しずつ物を減らしていかないとまずいのである。

100円CDの処分が終わったら今度は普通のCDレコードも減らしていきたい。できる気がしないが。

40過ぎると自分に残されている時間というのはどうやら限りがあるらしいみたいなことを少し思うようになってきて、くそどうでもいいものに割く時間やパワーというのが非常に無駄に感ぜられるようになってきた。
コスパやタイパなどという考え方とは無縁でいたいと思うが、それでも自分が本当に好きなものにだけパワーを使いたいというか、とにかく脳みそをすっきりさせたい (?) 。

ツイッターで以前ある人がコレクターというのは無限に物を増やし続けられるものではないので、必然的に不要なものを処分していくためコレクションがどんどんソリッドになっていく、とツイットしていた。

私のコレクションはもちろん最高なものも多いがいいんだか悪いんだかよく分からないものはその3倍くらいあるかもしれない。
自分のコレクションをソリッドにする日。来るのでしょうか。引っ越すタイミングでそれになっていられるようにがんばりましょう。

2025年6月26日木曜日

2025年6月26日(木) mentally mad・その3

毎日暑すぎる。

この国の酷暑を生き延びるためにはエアコンの使用が不可欠だが、寝るときの温度・風量の設定が非常に難しい。
温度 (テレビ大陸温度) を高めにすると寝苦しいし、低めにすると明け方とかなんか寒い気がする。

ジャストの設定を見つけることができていないため、睡眠がくそになっている気がする。
そのせいであまり疲れも取れない。

前回の記事に書いたが、誤嚥性肺炎にかかり入院してしまった私のおばあちゃんは、入院から一週間もかからぬ内に無事退院した。その生命力に感服する。がんばったね。おばあちゃんが元気になって本当によかった。

私の車は現在修理点検のため車屋に預けてある。

どこの整備工場に問い合わせてもうちでは修理できません、と断られてしまい、唯一見るだけ見てみますよ、という返答をくれた、茨城 (!) にあるパンダに強いお店に頼みました。茨城、遠いね。常磐道を北上しました。

私が店に着くやいなや、そこの社長さんがおもむろに私のパンダのボンネットを開けてエンジンルームを見ていわく、ああ、オイルが漏れてるね、とのこと。あとバッテリーが変なのが付いててこのまま使ってると発火 (!) するよ、とのことで、それが分かっただけでもこのお店に頼むことにしてよかったと思った。
それにしても修理にいくらかかるのか今からとても怖い。怖すぎる。
車を預けた後は電車で2時間半 (!) かけて帰りました……。

それにしても。

車のない生活というのは正直快適である (!?) 。
何より運転しなくていいのがいい (!?!?) 。
車が手元にない以上車を運転できないので、事故を起こしてしまうかも、人を轢いてしまうかも、という非常に強い恐怖とストレスを感じなくて済むのがいい……。

車売ったほうがいいんじゃないの!?

私には何も分からない。

私は手元にある音楽制作のための機材などが壊れているのが非常に嫌いである。

何とかして使える状態にしたい。いつでも安心して使えるようにしたい。
という強い欲求に突き動かされ、すぐに業者に修理に出すなり自分でできそうならDIYで修理を試みる。
私は手先が不器用なので、自分で修理しようとして機材を物故わしてしまうことが今まで何度となくあった。
自分で物故わしてしまったときはめちゃくちゃ悲しく絶望的な気分になる。お金はかかるが業者に依頼するのが確実である。
ただ、機材直っても直ったことに満足しちゃってそこで終わってしまってその機材を結局使わなかったりするんだよね。
直した意味ないよね。

ということで今回車が不調になるや否や直ちに修理してくれるところを探して片っ端から問い合わせ、見てもらうことにしたのである。

しかし。

それが自分の体のこととなると、てんで無頓着というか、私の中で自分の健康についての優先順位が非常に低い。

左足の痺れを放置している。

先日受けたMRI検査の結果、腰には特に異常はなかった。
整形外科の先生も検査結果を見ながら首をひねっていた。

出される薬を飲み続けていても特に何も変わらないので、かかっていた整形外科も行くのをやめてしまった。

ストレッチ整体なるところに行って2度足の施術をしてもらったが、治らなかった。
おじいちゃん先生がもう治ったでしょ、もう全然痺れてないでしょ、としきりに言うので、まだ治ってないが……と思いながらもそうですね、大分よくなりました、と誰の何のためなのか全く分からないウソをついて、そこにも行くのをやめた。

パートナーからは別の整体や鍼灸などを受けることを勧められているが、えらい腰が重く、まだ何のアクションも起こしていない。

自分でおかしいね、と思う。

ジャンクで買った機材が正しく動作しないとどうにかしてこれを復活させたいという強い欲求が働いてすぐにでもどうにかして直したくなるが、自分の足がずっと痺れているのについてはそのように強く思わないのである。

自分を大切にすることが昔から非常に苦手である。

それについて色々書こうと思ったけど、続きを書く元気がありませんので今日はここで筆を置かせていただきます。

お読みいただきありがとうございました。

2025年6月11日水曜日

2025年6月11日(水) mentally mad・その2

生活が苦しい。

正確には生活することが苦しい。

金がないのはもちろんだが、何より生活にまつわる諸々をするのが非常に苦しい。

仕事から帰ってきて夕飯をどうにかするのが大変に苦痛である。
いや、昼間仕事の中で昼食を食べることも大変に苦痛だ。

何より何も食べたいものがない。
昼食は毎日会社の近所の my basket で鶏むね肉の棒棒鶏風サラダと魚肉ソーセージとおにぎりをひとつ食べている。 毎日毎日毎日。もう食べたくないな……と思いながら、それらを手に取りレジに並んでいる。

そんなにうんざりしているなら別のものを食べればいいじゃない (パンがなければお菓子を食べればいいじゃない) 、とマリー・アントワネットじゃなくても思うでしょう。

だけど、どうせうんこの塊みたいなうんこ弁当 (全ての食べ物は最終的にはうんこの塊になる) を食べるよりは、少しでも体にいいものを食べたほうがいい、という強迫観念的なものもあり、結果毎日同じものを食べている。

夕飯も、(1). とにかく金がかからず (2). とにかく調理の手間がかからず (3). 少なからず栄養のあるものを、ということで、毎晩小松菜カレーを食べている。豚肉と小松菜を炒めてレトルトカレーに乗せ、納豆と生卵を乗せて食べるというバカみたいな食事である。

うんざりしている。

金があれば外食できるが、金もないし、そもそも食べたいと思うものがない。

しかし生きていくためには何かを食べないといけない。何も食べなければ動けなくなってしまう。

では動けたからといっていったい何をするというのか?

精神的・肉体的な疲労により何もできず、畳の上に転がって無限にスマホをドゥーム・スクローリングし続けるのが関の山である。

私はアンドロイドを使っているのだが (現代のティーネイジャーはアンドロイドを使っているだけでいじめられるらしい、真偽不明) 、ホーム画面を右にスワイプすると、都度最新のネットニュースが一覧で表示されるようになっている。

そこで目に飛び込んでくるのは、毎日のように日本全国で交通事故で人が死んでいるニュース。また毎日のように日本全国で熊が出没しているニュース。

とにかく毎日人が死んでいる。車のせいで。
なぜか海外のニュースは私のスマホには表示されない。ガザの虐殺やロシア・ウクライナの戦争など毎日海外では地獄のようなことが続いているが、それは私の心に暗い影を落としているが、それよりも日々私の心を暗くするのは交通事故のニュースである。

車を所有していなかったころはこのようなことはなかった。

また交通事故以外でも強盗殺人やなんかよく分からない理由で人が人を殺すニュースなども流れてくる。

以上のように悲惨なニュースが羅列される中、かわいい猫のほのぼの紹介記事なども混ざって流れてくるもんだから、本当に頭がおかしくなってしまう。

毎晩のように何もできぬまま人が死ぬニュースとかわいい猫の記事を脳みそに注入し続けている。

世界は狂気のシステム。と歌ったラッパーがいたが、世界は狂気のシステムである。

そんなにつらい気持ちになるならニュースを見なければいいのでは?と思うでしょうが、では他に何ができますか?
脳みそが終わっているので本は読めないし、機材をいじって音楽をつくる元気もない。

平日元気もモチベーションも皆無のまま何とか力を振り絞ってどうでもいい食事をこしらえ食べた後は、もう何もする気になれない。
ただネットのニュースにより脳みそが疲弊し、心も傷つけられ、うだうだしてるうちに0時近くなっている。

翌日の日中をある程度まともな状態で過ごすには、それなりにまとまった睡眠時間を確保しなくてはならない。ので、0時前後には布団に入らないといけない。それすらままならないことも多いが。
平日の夜が、単なる翌日のための待機時間になってしまっている。

では翌日何が起こるのか?

死にながら働き、くそみたいな食事をとり、くそみたいなニュースを脳みそに注入し、またその翌日のために寝るだけである。

「繰り返す日々に何の意味があるの」、とナナ・フィーチャリング・ミカ・ナカシマも『グラマラス・スカイ』という曲で歌っていたが、本当に苦しい。

いったいこれは何なんですか?

毎日生きているのが苦しい。

足のしびれが治らなかったり所有する車の調子がおかしくなったり (そう、またおかしくなっている、今度は走行系がおかしい) しており、不運 (ハードラック) と踊 (ダンス) っちまっている日々なのであるが、パートナーがもしかして厄年なのでは、と言って、私は3月で40歳になったのだが、前厄は41歳でしょ、と思い気にしていなかったのだが、厄年というのは満年齢ではなく数え年で見るシステムらしく、まんまと私は今年前厄なのでありました。

ということでパートナーの助言により先日神社で厄払いを受けてきた。車の交通安全祈願も一緒にやってもらいました。

色々と靴の中に小石が入りっぱなしになってしまっているような、なるべく小さな不幸せが次々と自分の身に降りかかっている日々だが、昨夜叔母さんより連絡があり、大好きなおばあちゃんがなんと誤嚥性肺炎で入院してしまったというのだ。

おばあちゃんは今年の9月で96歳になる。早くよくなってほしい。

まじで毎日が苦しい。これがミッド・ライフ・クライシスというやつなのか。なんか違う気もするけど。

毎日音楽は聴いているが、残念ながら今の自分を救ってはくれないようだ。

このブログ、もはや日記でも何でもないが、今の自分にはアウトプットできる場所がここにしかありません。

お読みいただきありがとうございました。



2025年5月30日金曜日

2025年5月30日(木) 春村謙吾のしびれ・その2

前回までのあらすじ―

なんか知らんけど3月の終わりくらいから突然左足の小指~かかとくらいにかけて常にピリピリと痺れを感じるようになってしまった春村謙吾であったが、整形外科の先生曰くひとまず薬を飲んで様子を見ましょう、痺れが取れるまで2~3か月はかかるのでじっくり治療していきましょう、ということになった。

ということで薬を一か月くらい飲み続けても特に症状に変わりがなかったので、一度精密検査を受けてください、ということになり、先日専門の医療施設へ行ってMRI検査を受けてきた。

ECDの最後の著書『他人の始まり因果の終わり』で、癌で闘病していたECDがMRI検査を受けるくだりがあったのだが、そこでの描写が凄まじかったのを覚えている。

ECDは激しい闘病により弱り切った体でMRIを受けるのだが、MRIの機器の内部に台上で横たわった状態で入っていき、検査中機械の動作音が爆音で鳴り続ける。機器の内部で横たわり検査を受けるその間、弱り切ったECDが耐えかねて「助けてーっ!」「死にたくないよーっ!」と絶叫し続ける、といったものだったと思うが (うろ覚え) 、私が自分でMRI検査を受けることになり、その壮絶な描写を思い出して震え上がっていた。

ということで検査当日。朝一の検査を予約したため、普段仕事へ行くときよりも早く起きて、支度をしてクリニックへと向かう。

クリニックへ着き、簡単な問診を受けた後、検査着に着替えていざMRIの機器が鎮座ましましている部屋へ。

そこはスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』さながらのような気もしないでもなくもないような部屋のど真ん中にでかい機械があり、なんでも台の上に横たわってMRIの機器内部に吸い込まれていくらしい。

私はびびっていた。問診のときに閉所恐怖症ではないですか、と問われていたので自分は特に閉所恐怖症の気はないが、そう聞かれると急になんだか狭いところに数十分の間閉じ込められるのが怖いような気がしてきて不安が加速する。

台上には頭の形にくりぬかれたような頭部を固定する部分があり、そこに頭を入れて横になるのだが、検査中は大きい音が鳴るのでヘッドホンをしてください、と言われてヘッドホンを渡される。ヘッドホンをした状態で頭がスポッと固定部にぴったりはまるので、ぴったり……と思った。ヘッドホンからは検査中の不安感を和らげるためにイージーリスニングの穏やかなピアノ曲が流れ続けている。検査の間、目は開いててもつぶっててもいいですよ、とのこと。

そしていざ検査開始、ということで、台がウイーンと動き出し、巨大な筒の中へ。

せ、せまい……。すぐ目の前には白い婉曲した壁がある。

自分は閉所恐怖症ではない、そう思っていたが、いざMRIの機器の中に突っ込まれると、なんだか怖くなって呼吸が浅くなり息苦しい感じがしてきた。

ヘッドホンから流れ続けるイージーリスニングのピアノは私の不安感をなんら軽減するものではない。もっとなんかユーロビートとかEDMとかのBPMの速いぶち上げパーティーチューンを爆音で流してほしい。

強い不安感と息苦しさにより、私は迷わず固く目を閉じた。

ヘッドホンの向こうからピーーーーーーーとかガーーーーーーーーとかゴウゴウゴウとかのインダストリアル・ノイズが爆音で鳴っているのが聞こえてくる。
私はWHITEHOUSEなどのパワエレとかノイズとかのCDレコードを若い時分に収集しており、ノイズ・ミュージックに多少慣れ親しんでいたので、そのノイズはさほど不快ではなかった。

早く終わってほしい、とただ祈っていたのだが、今度はそのうちに便意を催してきた。おならがしたいのだが、検査中は動くな、と言われていたので身体を動かしておならの気をそらすことができない。

それにしても、足が痺れていること以外はなんら身体に異常のない健康体の自分でさえMRI検査はしんどいのだから、もっと大変な病気を患っている人にとっては大変負担の大きい検査であろう。

ECDのことや、私の大好きなおばあちゃんのことを思う。うちのおばあちゃんは健康だが。

15分~20分くらい筒の中にいただろうか?検査終わりです、と告げられ、自分の横たわっている台がウイーンと動き出し、筒から出された。

検査着から着替えて待合室で10分ほど待ち、検査結果のデータの入ったディスクを渡されて終了。保険適用で検査費用が8,000円近くかかり、血の涙を流す。

今度はこの検査結果を持って通っている整形外科へと行って先生の話を聞かなくてはならない。

めんどくさい……し、もしMRI検査で大きな問題が見つかっていたらどうしよう。手術とかになったらどうしたらいいんだ。怖すぎるし嫌すぎる。

次回へつづく―

2025年5月21日水曜日

2025年5月21日(水) みんな元気か

「BRKZ spit the flow みんな元気か みんなって誰? I don't know...」

というリリックが『MCビル風のテーマ』という曲の冒頭であるのだが、自分で自分のリリックを引用するようになったら終わりだが、私はラッパーとしてはもう終わっているので構わない。

みんな元気か (みんなって誰) ?

私にはかつて大勢の友達がいたが、今はそのほとんどと疎遠になり、友達と呼べる人もだいぶ少なくなってしまった。

かつて私の友達が、人と人との関係というのは惑星の配列のようなものだ、と言っていた。
それぞれの軌道で周回し続ける惑星たちが、偶然に近づき、そしてまた離れてゆく。

私にそう語ったその人とは、ずいぶん昔に私のせいで絶交されてしまった。笑うしかない。
もう一生会うこともないだろう。

周知のとおり生きとし生けるものみな全て最後には必ず死ぬので、好きな人や会いたい人にはできるだけ会ったり連絡を取ったりしたほうがいい。死んだら会ったり連絡を取ったりすることができないので。

好きな人たちのことを考える。

先日DEV LARGEとLarge Professorの対談が読みたくてFRONTという古い雑誌を某ルカリで購入したのだが、その雑誌に連載されていたDEV LARGEのコラムにてNIPPSからのラブ・ポエムが掲載されていた。
NIPPSの言葉遣い・言葉選びがILLすぎて読んだら度肝を抜かれたのであるが、そこでNIPPSはnothing changes but 天気、という文句を連発していて、要するにこちらは特に変わりなくやっているよ、変わるのは天気くらいだよ、というくらいの意味だと思うが、韻を踏んだその語感は常時あいさつとして使いたいくらいのキャッチ―なものであるが、果たして変わらないものなどあるだろうか。

「いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか」とヒロト・コウモトが『情熱の薔薇』という曲でうたっていたが、「あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が今はもう通わない」とザ・フォーク・クルセダーズのカズヒコ・カトウとオサム・キタヤマがうたったとおり、この世に変わらないものというのはおそらくないと思われる。

「僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ ただひとつ 今も思い出すよ」とバンプ・オブ・チキンのモトオ・フジワラが『天体観測』という曲でうたっていたが、私も元気でいるし、しかし心配事は金がないことをはじめ色々あるが、ただひとつ今も思い出すし、宛名の無い手紙も崩れる程重なっているのである。

私が何を言ってるのかわからねーと思うが、催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねーのである。
「神様 時間止めて」とザ・コレクターズもうたっていたが、時間を止められるのはディオ・ブランドーと空条承太郎の二人だけであるし、また彼らはまんがの登場人物である。

それぞれの軌道で周回し続けている惑星たちが、今日もまた近づいては離れてゆく。
それぞれの置かれた場所で花々が咲いている。

年齢を重ねるにつれ、それぞれ各人の置かれている環境・生活というのは変わっていくものであるし、会うのが困難になる場合もある。

いつまで経っても変わらない そんなものあるだろうか、ということだけど、まあ過去というのは変わらないというか変えたくても変えようがないので、過去に関しては既に起こった確実なもの、と言えなくもないと思うので、私の中の確かなことといえば、

「こういった場所すべてに それぞれの瞬間がある それにまつわる恋人や友達を 僕はいまだに思い出せる 死んだ人もいるよ 生きている人もいる 僕の人生で 僕はその人たちをみんな愛していた」

とザ・ビートルズのジョン・レノンが『イン・マイ・ライフ』という曲でうたっていたように、私の人生で私はその人たちをみんな愛しておりました。

2025年5月20日火曜日

2025年5月20日(火) 轟



ということで、フィアットパンダ141オートマチックセレクタ (1999年製造) のオーナーとなった。

これまでに5~6回運転して、片道2時間近いところまで遠出したりもした。

購入時の車検で不具合が見つかりこのままでは車検が通らない、ということで海外からパーツを取り寄せて交換した左ヘッドライトだが、これが普通に運転していただけなのにもげそうになってしまい、それを直すために私のパンダは今現在車屋にピット・インしている。あとクーラーが全く動作しなかったためそれも見てもらっている。あと右ドアの内張があろうことか剥がれかけており、そこがなんとガムテープで補強されていたことが判明したのでそれも見てもらっている。

ヘッドライトの接着不良は明らかに車屋の不手際なのでパンダが壊れやすいという話とはちょっと違うと思うが、早速クーラー蛾物故割れているのはさすがパンダだな、と思う。

それにしても、車を運転していると、電車ってすごいな、と思う。

座っているだけで目的地まで着くし、スマホを見たり本を読んだりできるし、ヘッドホンで音楽を聴いていても大丈夫だし、何なら飲酒状態でも乗ることができる。乗車賃もガソリン代より安いし、排気ガスが出ないため、車に比べたらはるかに環境にもやさしい。

車は電車とは違い、己で運転しない限りはどこへもたどり着くことはできない。
どんなにへとへとのくたくたになっていようが、自分で運転しなくてはどこにも行けないので、非情な乗り物である。

事故の確率だって電車より車の方が格段に高い。
ほんのちょっとの不注意が事故に繋がってしまう。そしてその事故というのは人の命を奪ってしまうことがある。

車に乗るようになり、ネットニュースで車の事故についての記事を積極的に読むようになった。
ニュースを見ていると、驚くほどに日本全国どこでも毎日のように車の事故があり、またそれにより多くの人たちが命を落としている。

なんという恐ろしい乗り物だろうか。

最近では高速道路などでの逆走およびそれにより引き起こされる事故がトレンドになっているが、いつ自分が逆走車と鉢合わせてしまうか、またいつ自分が間違って逆走してしまうか分かったものではないため、戦々恐々としている。

自宅から徒歩5分の駐車場まで歩いていき、車のドアに鍵をさしてロックを開け (古い車なので当然のごとくリモートの鍵ではない) 、運転席に座ってハンドルを握ると、果たして事故を起こさずに無事目的地までたどり着けるだろうか?と自問する。人を撥ねずに運転できるだろうか?目的地に着いたら駐車スペースはあるだろうか?隣の車とかにぶつけずに無事駐車できるだろうか?と自問する。

目的地に無事たどり着くことができ、無事に駐車を終え、エンジンを止めたとき、何も事故を起こさずにここまで来れたのは、人を撥ねたりせずにここまで来れたのは、ただのまぐれで偶然で奇跡でしかない、と考える。

分かっていたことだが、都内で暮らしていると、移動は基本電車だけで事足りる。
わざわざ車に乗らなくとも、行きたいところにはおおかた行けるのである。

では何のために車に乗るのか?

車を買っといて何だが、いまいちまだよく分かっていない。

せっかく買ったんだから乗らなくちゃ、というある種の義務感をもって、平日仕事の後でへとへとになっていながらもがんばって車に乗り、ちょっとしたドライブがてら電車では行きづらい遠くのラーメン屋へ何度か行ってみた。

せっかく車を買ったのだから、電車では行きづらい遠くのラーメン屋もしくは中古CDなどを扱っている大きめの古本屋もしくはスーパー銭湯などに行こうかな、と思っていたのだが、前述したとおり車というのは大変な乗り物なので、運転するのにある程度覚悟がいる。まだ何も考えずに自然に運転することができない。あと金がないのでそんなに頻繁にラーメン屋などに行くことはあまり現実的ではない。

ただ無目的に道を走って帰ってくる、本当にただ走ることだけを目的としたドライブ、というのはまだやったことがない。
ラーメン屋等で金を使うためのドライブではなく、ただ走るだけのドライブということにして、秘密の夜景スポット (どこ?) に行ったり、コンビニで缶コーヒーでも買って駐車場でひとやすみして帰ってくればいいのだろうか?

先日片道2時間くらいかけてパートナーの住む家まで車を運転していったとき、それなりの過酷さに食らってしまった。

その帰路はなんとなく出張帰りという雰囲気があった。かつてくそくそドドドくそくそブラック企業 (違法企業) で働いていたとき、24/7/365 日本中をひとりで社用車のハイエースを駆って走り回っていたつらい記憶が呼び起された。

正直なところ、まだ車を買って本当によかった、と心から思えていない。

事故を起こしてしまうかもしれない、人を撥ねてしまうかもしれない、という恐怖と重圧を感じながら神経を使って運転して、へとへとな思いで目的地まで、もしくは自分の契約している駐車場までたどり着くことができて、無事故でここまで来れたのはただのまぐれ・偶然・奇跡でしかない、と思って、果たしてそんな思いをしてまで運転する意味とは何だろうか。何も考えずにただ電車にゆられてどっかへ行って帰ってくるほうがはるかにあらゆる負担が少ないのである。

ただ、買ってよかったな、と思うこともちゃんとある。

何より昔からずっとあこがれていた車だし、見た目がめっちゃかわいくて最高だし、運転していて楽しくて、ああ、いい車だな、と思うこともある。
パートナーと一緒にドライブへ出かけて海沿いの道を走ったのもとても楽しかった。

今現在車を車屋に預けているが、パンダを運転したいな、という気持ちになっている。

今後自分の中で、車を所有するということ、自分の車のある生活というものがしっくりくるようになれればいいな、と思う。

とにかく人を傷つけたり人の命を奪ったりすることなく、また車をどこかにぶつけて物を物故わしたり車蛾物故割れたりすることなく、じじいになって腹部を鉄骨が貫通している状態で全裸でパルクールしながら笑って免許を返納するその日まで、平穏無事にこのパンダに乗り続けることができるように、ただ祈るのみである。

2025年4月28日月曜日

2025年4月28日(月) 続・車

前回までのあらすじ―

2月に突如車を購入した春村謙吾であったが、車検時にライトに不具合が見つかり、パーツが国内では手に入らないため海外から取り寄せることに。それが入荷するまで2~4週間かかるとのことで、そのせいで納車が遅れることになってしまった。それにより先日車屋に提出した車庫証明書が期限切れとなり再取得する羽目に。証明書を取るには平日警察署へ赴く必要があり、また申請に必要な書類を準備するのが大変に面倒くさい (自宅から駐車場までの地図を書いたりしなくてはならないのでまじでくそだるい) ため絶叫しながら諸々の手続きを行った。まじで大変だった。再取得した車庫証明書を車屋に送付し、車屋からの連絡を真顔で待ち続ける春村であった。



車、明日納車になったので引き取りに行きます。無事運転して帰ってこれるよう、そして車を停めるとき駐車場の隣に停めてあるでかいベンツにぶつけないよう祈っていてください。本当にありがとうございました。

2025年4月21日月曜日

2025年4月21日(月) おいしいもの考

この年になるとおいしいものを食べることくらいしか楽しみがなくなる。

とかつて私がどどどくそくそドドドブラック企業(違法企業)で働いていたときに先輩が語っていた。当時私は27歳くらい、先輩は30代前半とかではなかったか。

おいしいものを食べることくらいしか楽しみがなくなるのはなんだか寂しいことのように聞こえるが、それでもおいしいものを食べるのは喜びである、ということは間違いない。

人類は基本的には経口摂取により生きる上で必要な栄養素を体内に取り入れるのであるが、どうせ何かを食べるならばまずいものよりもおいしいものの方がいいに決まっている。

ということでおいしいものを食べるのは喜びであるのだが、しかし食べている瞬間はおいしいおいしいと食べているが、その瞬間に舌で感得しているおいしさというのは写真や動画のように保存しておくことはできないし、刹那の快楽でしかない。

それにどんなにおいしいものでも一定の速度で箸なりスプーンなりフォークなりを動かし食べ物を口に運んでいたら、必然目の前のおいしい料理は跡形もなく消え去ってしまう。

ということで、おいしいものを食べるとああおいしいなあ、とか、うわーめちゃくちゃうまい!ベスト〇〇(任意の料理の名前)エバー、とか、うう、うますぎる……とか思ったり、なんちゅうもんを食わせてくれたんや……と歓喜の涙を流したりもするのであるが、しかしその一瞬の、刹那の喜びというのがあまりにも刹那のものすぎて、おいしいものを食べると喜びを感じるとともに最近はかなしさ・さびしさを感じるようになってしまった。

年齢のことをあまり言いたくはないが、40代に突入していきなり体に異変をきたしたり、疲れがやばいくらい取れなくなったりしている上に、あまりにも色んなことが秒で、瞬で過ぎ去っていくので、全ての生きとし生けるものはみな最後には死ぬ、みたいなことを思ったりとかして、おいしいものをおいしいおいしいと食べたところで……みたいに思って、かなしくなるのであった。

このおいしいものを食べるときの喜びがあまりに一瞬で消えてなくなってしまうことに対する対抗策のひとつとしては、量を食べることである。
私は普段ろくなものを食べていないので、比較的常にひもじい思いで過ごしているが、たまに限界がきて急に一人で焼肉食べ放題に行ったりしている。

食べ放題といえど所詮は一番安いコースでジェネリック牛カルビやジェネリック豚トロ、ジェネリック牛レバーなどを食べるだけなのでそんなにおいしいわけではないが、制限時間いっぱいに満腹の向こう側へ向けて胃袋にギュウギュウと(牛だけに、)合成肉を押し込んでいると、ものを食べているときの刹那の快楽が長く続くような気がしてかなしさをさほど感じずに済む。

これは過食すればかなしさを忘れられる、ということなのかもしれませんが、過食すると謎の安心感があるのは確かだ(?)。

おいしいものを過食するには金がかかりすぎるので、さほどおいしくないものをたくさん食べてかなしさ・さびしさを感じないようにする。ということでいいですか?

おいしいものは食べるとなくなってしまうし、舌で感じたおいしさというのも消え去ってしまうが、その点CDやレコードというのは購入して手元にあればいつでも聴き返してそのたびにしみじみとああ、いい音楽だなあ、などと思ったりして、繰り返し楽しめるので素晴らしい。これからもCDやレコードを購入していきたいと思う。

2025年4月9日水曜日

2025年4月9日(水) mentally mad

精神の調子が悪い。

左足は依然として痺れたままであるし、買った車が来ない件もあるし、気持ちが沈んでしまっている。

昨夜また家で酒を飲んでしまった。

自炊や風呂をがんばっているが、それらは自分の中でそれなりのプレッシャーとストレスになってしまっているようである。
酒を飲むことによってそれらから逃れようと試み、結果畳の上で気絶し、睡眠がくそになり、余計に精神状態が悪化する。

昨日は過食めいた感じで日中仕事の合間に菓子パンやチョコレート等を食し、帰宅してからは酒を飲みながら複数のスナック菓子を摂取した。
酔っ払って畳の上で気絶してしまったため、夕飯がスナック菓子になるというくそなことをしてしまった。

生活をきちんとして、また生活を成り立たせるために極力無駄遣いをなくして、とにかく正しい状態であり続けるためには相応の努力が必要になるが、やはりそれは自分には荷が重いようだ。
給料日以降、覚えている範囲では平日一度しか外食をしていない。毎日夕飯に小松菜カレーをつくり、外食しないようがんばっている。

昨夜は洗濯機を回しながら酒を飲んでいたが、気絶したため洗濯物を干すことができず、洗濯物を濡れたまま洗濯機の中に放置するというくそなことをしてしまい、今日は帰ったらまた洗濯をやり直さなければならず、つらい。

昨日車屋から連絡があり、先月に提出していた車庫証明や印鑑証明などの車を購入する上で必要な書類の有効期限がもうすぐ切れてしまうらしく、いかんせん車のパーツがまだ海外から届いていないため、その書類を再度提出しなくてはならないとのこと。

それらの書類を入手するには平日に警察署や役所へ赴く必要があり、また発行の際に手数料が合計3,000円ちょいかかる。
勘弁してほしい。なんでこんな思いをしなくてはならないのか。ただただつらい。

とにかく平日の過ごし方をなんとか改善したい。
それにはどうしても自分を律する必要があるが、それをするには上に書いたように相応の努力が要求される。

自分はスーパーマンでもなんでもないので、自分にできることと割ける労力と時間は限られている。
ただ、正しくあろうとすればするほどプレッシャーとストレスにさらされしんどくなってしまう。

少し自分のやっていることを見直す必要があるようだ。

毎年この季節は精神の調子が悪くなる。

今日は頓服を飲んだ。

今夜帰宅してからの時間をうまく使えるよう、祈るような気持ちでいるが、プレッシャーが強い。
がんばりたいとは思うががんばれないときはどうしたらいいのか?

とりあえずもう家で酒を飲むのはやめる。過食めいたこともやめる。

2025年4月7日月曜日

2025年4月7日(月) 車

車が来ない。

前回までのあらすじ―

突如車を購入した春村謙吾であったが、代金を支払ったのが2月の末、車検のときにヘッドライトに不具合があり、交換のパーツが日本だと手に入らないため海外から取り寄せている、しばし待たれよ、という連絡が車屋からあったのが3月の19日。そしてそれ以降今日現在に至るまで何の連絡もないのであった。というかパーツを海外に発注したのが3月10日らしいので、もうすぐ1か月がたっちゃうよ。

こうも車が来ないと自分が買ったのは本当に車だったのだろうか?と疑念が湧いてくる。

せっかく契約した駐車場も、車が来ないので車の停められていない無の空間に対して1か月分の駐車場代を支払うことになってしまった。

車に乗って色んなところに出かけたりして楽しい気持ちになるはずだったのだが、それが叶っていないため悲しい。

何よりも、あろうことか、自分が購入したのと同じ車種で、自分が購入したよりも状態のいいものが自分が購入した金額プラス10万円で売りに出ているのを発見してしまったのである。

これには大変に動揺した。

10万円というのは大金だが、しかし車の値段で考えると10万円というのは誤差の範囲、みたいに思ってしまうのが恐ろしい。
自分が購入した車はあくまで自分の予算内に収まったので購入したのであり、それよりも10万円高いということは自分の予算を超えていたということであり、それは買えなかったということである。それに色は自分が買った車の方が自分の好みに合っている……と思う。

だけど自分が購入した車は塗装も剥げているところがあるし傷もついているし、内装もぼろくなってしまっているし、おせじにもきれいだねとは言えない状態のもので、その最近見つけたプラス10万のやつは自分が購入したものよりもはるかにきれいだ。

だめな子ほどかわいいメソッドでいえばぼろい車でも自分の車の方がいいと胸を張って言えるのかもしれないが、現状手元に車がないもんだから、車屋が販売サイトにアップしていた写真を眺めたり、自分が車屋に車を見にいったときに撮った写真を見返したりして、自分はこの車を買ってよかったのだ、と自分に言い聞かせている。

手元に車が来てさえいれば、実際に乗ってさえいれば愛着も湧き、ほんまに最高、この車を買ってよかった、そう心から思えると思うのであるが、こうも車が来ないとそれができないので心に棘が刺さっているような気持ちになってしまっている。

車買ったらもう車の販売サイトとか見ないほうがいいですね。
自分が車を買うのは人生でこれが最初で最後だと思っているので、買った車を大事に長く乗り続けて、じじいになったら腹部を鉄骨が貫通している状態で全裸でパルクールしながら笑って免許を返納したい。

車を買ったが車が来ない、ということを床屋のお兄さんに言ったら、あー、古い外車だとよくあることですよ、と言われ、そういうものなのか、と思う。

今はただ待つことしかできない。
紅茶を淹れてリリアンでも編みながら気長に待つしかない。

2025年4月3日木曜日

2025年4月3日(木) 春村謙吾のしびれ

最近左足がずっと痺れている。

先週の月曜日くらいから異変に気づいた。
あれ?なんか左足痺れてない?と思ったけど、ほっとけば治ると思って放っておいたのであるが、なんか知らんけどいつまでも治らない。

先週の金曜日、痺れがふくらはぎにまで広がりビリビリとした痛みを伴う痺れになってしまったので、これやばくない?と思って慌てて会社の近所の整形外科を受診。
腰のレントゲン写真を撮ったが、写真を見ながらお医者さんが言うには、う~ん背骨の部分のこれが原因かなあ、というのはあるといえばあるが、とりあえずビタミンB12の錠剤を処方するのでこれを2週間飲んでもらってまた来てください、症状が変わらなければ精密検査をしましょう、とのことだった。

その翌日土曜日の夜パートナーの家に泊まったのだが、痺れている左足の小指周辺に一定の間隔で激痛が走るので、あまりの痛さにこれやばくない?と思って眠るのもままならなくなり、早朝に起きてベッドから抜け出しリビングへ移動する。
携帯していたバファリンを飲んでみるが何も起こらない。

椅子に座ってうなだれている私のことをパートナーの飼っている猫が心配そうに見守っている。私の隣にやってきて身体を伸ばして立ち上がり、大丈夫?と言わんばかりに私の腿にそっと前足をかけてくれた。やさしいね。

パートナーがハーブティーを淹れてくれて、またロキソニンの配合されている湿布をくれたので、ハーブティーを飲み足に湿布を貼ると少し気分が落ち着いたので、再びベッドまで戻り数時間眠ることができた。本当にありがたいことです。

日曜日は兄と二人で幕張メッセで開催されたPUNK SPRINGというパンク系のバンドが出るフェスに行く。イギー・ポップ大先生のライブを拝むために。

足に爆弾を抱え、また激痛のあまり昨夜ろくに眠れていなかったのでコンディションは最悪。半日立ちっぱという過酷なフェスを耐え抜けるだろうか、と不安にかられるも、湿布が効いたのか、それとも足の疲れが痛みを上回ったからなのか、ほとんど痛みは気にならず、無事にフェスを完走することができた。イギー・ポップ大先生のライブはやばすぎた。

帰宅後も足の痛みは大丈夫そうだったので安堵す。

月曜の朝、小指から少し下がった甲のあたりが痛かったので、あれ?患部が移動してる?やばくない?と思ったけど、出勤して仕事をしているうちに痛くなくなり謎だった。

それから木曜の今日に至るまで、あの夜のような激痛は今のところない。
しかし依然として左足は痺れているので非常に気になるし、ビタミン剤を継続して飲んでいるが特に何も変わっていないので不安だ。
ピンポイントで左足だけの痺れなので脳梗塞とかではないと思うけど、血管のどこかがスポットで詰まってしまったりしているのかもしれない。

40代になると体のいたるところに異変が出てくるというが、先月40歳になってから早速体がおかしくなるなんて思ってもみなかった。

ということで整形外科で処方されたビタミン剤を飲み切る来週の金曜日にまた病院へ行くことになっているが、不安である。体に異変があると元気が出ないですね。

2025年4月2日水曜日

2025年3月27日(木) 酒量のはらわた

2025年3月27日(木)

最近平日夜に飲む酒の量が増えている。

昼間仕事で受けるストレスや、季節の変わり目に特に厳しい抑うつ感の増大からきているものと思われる。

金がないので最近は節約のために四文屋などへ行くのを我慢して、スーパーで酒を買い家で飲むようにしている。
ビールの350ml缶を2本ないし500ml缶1本と350ml缶1本、そして適当なスナック菓子を2つ買うのが多い。

昔はビアを買う代わりに安い発泡酒を買っていたが、ある頃からまずい発泡酒を飲むより本物のビアを飲むほうがよい、と思ってそのようにしていた。
しかし金がないので先日久しぶりにトップ・バリュのくそ安い粗悪発泡酒を購入して飲んだところ、ひどく悪酔いしてしまったのであった。

なぜ平日夜にしらふでいられないのか。

私が酒を欲するとき、それは仕事のストレス等で脳も身体もへとへとになってしゃっちょこばってしまっているのをアルコールによって弛緩させ強制的にリラックスさせるために酒を飲みたくなるのであるが、あと酒を飲んで酔っ払うと風呂に入れなくなるので風呂に入れない・入りたくないときの言い訳にするために酒を飲むというふしもある。

ということで平日夜に家で酒を飲むのだが、家で酒を飲むとBAD入るということを忘れていた。
やりたいこと・やらなくてはならないことがあるのに酒を飲んでいる場合なのか……と思って落ち込むし、酔っ払うと何もできなくなるし、最悪畳の上で気絶してしまって睡眠がくそになってしまったりするので、やっぱり家で酒を飲むのはやめたいと思う。

最近はZoogz Riftというアメリカの音楽家(故人)のつくった音楽を好んで聴いている。

悪意とユーモアをもって変な音楽を大量につくった謎の人物なのであるが、彼のWikipediaを見ると『アメリカの音楽家、画家、プロレスラー』とある。また、『フランク・ザッパとキャプテン・ビーフハートとサルバドール・ダリとアイン・ランドに影響を受けた』とも書いてある。ダリを影響源に挙げるのはかっこいいね。

彼のディスコグラフィーはなかなかの量があり、サブスクでも聴ける。サブスクに上がっているアルバムのコピーライトを見るとLaura Riftという名前になっているので、彼の妻(?)が彼の死後音源を管理しているのかもしれません。

曲はとにかく変でおかしいんだけど、変な曲の中にねじくれたポップセンスがふんだんに散りばめられており、キャッチ―で聴いていてとても楽しい。

Zoogz Riftのことは以前私の好きなアーティストのMAMMALことGary Beauvais氏がInstagramのストーリーズにてそのアルバムのジャケを載せていたことで知った。MAMMALについては過去このブログで書いている

Zoogz Riftのアルバムはどうも日本では手に入りづらいようだ。Discogsで買いたいなと思うが、いかんせん金がないので買うことができません。
だけど先日ヤフオクでたまたま彼のアルバム『WARZONE』のレコードがひっそりと売られているのを見かけて、誰とも競り合うことなくひっそりと落札した。意味が分からないジャケが最高だし中身の音楽も最高。

Zoogz Riftはアメリカの変なパンク/ハードコアのバンドをたくさんリリースしているあのSSTレーベルからも多く作品をリリースしている。
他のレーベルからリリースされていた初期作の数々もSSTからリイシューされているようだが、オリジナルとジャケが変わっていたりする。私はオリジナルのジャケの方が好きだ。だけど1stアルバムの『Idiots on the Miniature Golf Course』(いいタイトルですね)はオリジナルのジャケより再発盤のジャケの方が好きだな。

それでは。

2025年3月18日火曜日

2025年3月16日(日) 年を取るということ

2025年3月16日(日)

この週末にパートナーから40歳の誕生日を盛大にお祝いしてもらった。

こんなに幸せなことがあっていいのか、と思うような日々を過ごしている。
夢じゃないかしら、と思って何度も自分の頬をつねるのび太のような気持ちだ。

3月10日で40歳になった。

Stoogesの曲で『1969』という曲があって、その曲の中でイギー・ポップはこう歌っている。


"去年おれは21歳だった
面白いことはそんなになかった
今おれは22歳になる
なんてこった、最悪だよ"

The Stooges 『1969』より (訳: MCビル風)


自分がまだ20歳そこそこだったころ、日々もやもやした気分で過ごしており、この曲に大変感銘を受けていたが、もう40歳にもなるとそんなにやさぐれた気分になることもなく、ただ時間は流れている、という事実を、ある種の驚きと少しの諦めと、そしてなんだか不思議な気持ちをもって受け入れるのみである。

孔子は『四十にして惑わず』と語ったというが、私は自分が果たして年相応に成熟してきているのかどうか、それを知るすべを持たない。

40年というそれなりに長い時間を生きてきて、昔の失敗やつらかったことの数々が急に頭をよぎって絶叫してしまうことが大分増えたが、それとともに別の変化が自分の中で起きていることに最近気づいた。

それはどんなことかというと、過去に自分が経験した些細な出来事、それも本当に取るに足らない、日常のめちゃくちゃどうでもいいような一場面の中で起きたちょっと面白いことが急に思い出されて、ふふふと笑ってしまうことが明らかに増えたのである。

例えばどんなことを思い出して急に笑ってしまうのかいくつか挙げてみたいと思うが、本当にどうでもよすぎて面白さは全く伝わらないと思う。


・昔ドドドくそくそ激くそブラック企業(違法企業)で働いていたとき、とある山中で開催されたレイヴパーティーの現場に駆り出されたことがあったのだが、そのパーティーが朝を迎え、日も大分高くなってきて、そろそろ宴もたけなわ、となりDJが音を止めた。
パーティーが終わった、ということで遊びに来ていた輩っぽいいかつい男性とその彼女がじゃあ帰るわ!といって仲間に告げて去っていったのだが、突如DJがまた曲をかけて再び爆音が鳴り響いたのだが、そしたらその去っていったカップルが踊りながら戻ってきて、それを見た会社の先輩がめちゃくちゃうけて、今の見た!?と言いながら彼らの真似をするので私もそれを見て笑ってしまった。

・昔ドドドくそくそ激くそブラック企業(違法企業)で働いていたとき、社用車のハイエースを駆って24/7/365馬車馬のように働いていたのだが、ハイエースを運転しまくっていて車と自分が一心同体となっていたので、ある日ハイエースで現場に到着した私は会社の先輩が立っている目の前で難しい縦列駐車を一発でバシィッ!と決めたので、その車との一心同体っぷりに先輩が笑っていたので私も笑った。

などなど。


……どうですか?めちゃくちゃどうでもいいでしょう。

めちゃくちゃどうってことないし、色々なことが起こりまくる人生の中で、これらのことはあまりにもどうでもよすぎる出来事で、宝物とか宝石とか呼ぶにはパンチが足りないことばかりなのであるが、それでも自分の中では忘れがたい大切な思い出として、私の頭の中の引き出しにしまわれている。
その引き出しは自分でもよく分からないタイミングで急に開いて、突然中身が飛び出してきては私を微笑ませるのである。

こんなどうでもいいような、だけど思い出すとちょっと笑ってしまうような些細な記憶の数々が、総集編で死の間際に走馬灯として現れるのであればめっちゃ楽しいなと思う。ドクターペッパーとマイクポップコーンを手元に用意して、ふふふと笑いながら眺めようじゃないか。

こんな記憶が年を取るにつれてどんどん増えていくのなら、年を取ることって全然悪くないなあ、とそう思う今日このごろです。


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MCビル風の名前を冠したブログなのにここで自分の活動をちゃんと告知したりとかもこれまでろくにしていなかったけど、先日onettさんの新譜『LAST ROMANTIC!』発売に際してコメントを寄せましたのでお知らせします。こちらのPASSiON RECORDSさんのサイトで見られます。

onettさんの新譜、めちゃくちゃ素晴らしいのでぜひ聴いてみてください。CDでのリリースで、bandcampや各種サブスクでは全15曲の中から10曲を抜粋した特別編集盤としてリリースされています。ポップミュージックに宿る魔法を愛する方におすすめの傑作です。

2025年3月14日金曜日

2025年3月14日(金) 近況

目まぐるしく日々が過ぎていくのでブログの更新が止まってしまっていた。

私が生きているか心配して連絡してきてくださった方もいて、申し訳なく思うとともにありがたい気持ちです。


私の近況としては、


・恋人ができました
幸せなことに、以前より少しこのブログで書いていた方とお付き合いすることになりました。
突如足元に現れたボール(※こちらの日記参照)を大切に大切に扱いながら、生きている喜びを噛み締めつつ、確かな足取りでこのフィールドを駆け回っています。

・40歳になりました
2025年3月10日で40歳になりました。立派な限界中年CDレコード機材部屋おじさんです。

・車を買いました
長年あこがれていたフィアットの古いパンダ141セレクタです。まじで金がなくなりました。
印鑑登録をして駐車場(都内は高い!)の契約をして車庫証明を取って、と諸々の煩雑な手続きを終えて、納車はもうすぐ。
パンダはやばいくらい故障するらしいですが、壊れながら君を追いかけてく(マサムネ・クサノ)、ということで、何度でも直しながら、事故を起こして人を傷つけたり死なせてしまったりしないよう最大限気を付けながら、大切に乗っていきたいと思います。

・音楽つくってません
全然音楽をつくってません。


以上です。

季節の変わり目は心身ともに負担が大きいので、どうか皆さまお気をつけてお過ごしください。
本当にありがとうございました。

2025年2月19日水曜日

2025年2月15日(土)

2025年2月15日(土)

8時ごろ起床。起床即そわそわして落ち着かない。

たばこを吸うためベランダに出ると暖かい。なんでもこの週末は3月上旬の陽気になるとのこと。

洗濯機を回して水がドバドバ注入されているときに洗剤が切れていることに気づく。近所のドラッグストアが開くまで時間があるのでどうしよう。

スマホでこのブログのインサイトなどたまに見るのだが、昔の記事を読んでくださっている方がいるようで、2013年ベストの記事が読まれていたことに気づき、どんなこと書いてたっけな?と思い、自分で久々に読んでみる。

2013ベストの記事はこちら→https://mcbirukaze.blogspot.com/2014/02/2013.html

ということで読み返してみたら、当時大好きで繰り返し聴いていた音楽たちのことを思い出し、なんだか胸がいっぱいに。
上記記事で4位に挙げていたTegan and Saraのアルバム『Heartthrob』の1曲目、『Closer』のビデオをYouTubeで見たら完全に胸が張り裂けて泣きそうになってしまった。

愛する人に、もう少しそばに来て、と呼びかける曲。ゲイやレズビアンのカップルもちゃんとフィーチャーしているビデオが素晴らしい。めくるめく繰り広げられる抱擁とキスの嵐に大号泣。

ということで早速Apple musicで同アルバムをDLし、それを聴きながら洗剤を買いにドラッグストアへ。もちろん『Closer』を無限リピートで。
ぽかぽか陽気と相まって、この曲の持つ切実さと高揚感がビシバシとハートを直撃しまくり。

洗剤を買って帰宅し、洗濯の続き。
洗濯が終わるまでの間を利用して、ディスクユニオンにレコードを売りに行く。

こないだレコードの整理というか何か売れそうなレコードがないか棚を探していたとき、細野晴臣の『トロピカルダンディー』と『泰安洋行』が家に2枚ずつあることが発覚した(バカ)ので、1枚あれば十分でしょう、ということで状態のいい方を残して売ることにする。
他にも全然聴いてなくてこれは売りましょう、というレコードを12~13枚くらい持っていく。

ということで無限Closer聴き機になりながら、春のような陽気の中を歩いていく。暖かいって素晴らしい。暑くて上着も脱いでパーカー姿になりました。

ユニオンにレコードを預け、査定にかかる時間が思ったより短いので、一度帰宅するのはやめてどっかで時間をつぶして待つことにする。

まずはお昼を食べましょう、ということではなまるうどんにIN。最近毎週末来てますね。
ぶっかけ温玉うどん小、野菜かき揚げ、ちくわの磯部揚げという黄金の三角形をオーダー。おいしく食べる。

さて、お昼を食べ終わってもまだ時間があるのでどうしよう。

用事をいくつかこなしてもまだ時間があるのでユニオン近辺をうろうろするが、催事場みたいなところで激安スケートボード!というブランクデッキのコンプリートが1台2,500円で売っていたので驚いた。くそ重かったのでこれで何かトリックをするのはきっと大変だろう。

ようやく査定終了の時間となり、ユニオンへ行き査定結果を聞く。〇〇円也。残念ながら100万円にはならなかった。お金を受け取り家に帰る。

洗濯物を干し、車屋さんに電話(!)して、車を見に行く(!)ことを伝える。
そう、今日は車屋さんに車を見に行くことにしたのです。自分の意志で車屋に行くなんて生まれて初めてだよ!

電車の中では引き続き永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』を読む。読んでいると無性に泣けてきて、電車の中で涙ぐんでいる不審な中年男性と化してしまう。

電車を乗り継ぎ千葉の知らぬ街へ。知らない街に降り立つのは楽しい。
お店を目指して国道沿いを歩いていくと、車屋さんが多いですね。やはり千葉はcar societyなのでしょうか。
小さいころ父親に車屋さんやオートバックスなどのカー用品店に連れていかれたのを思い出す。あれはくそつまらなくて嫌だったな(おもちゃが売ってないので)。

ドキドキしながら店に着くと、店先に気になっている車がちょこんと並んでいて、それを見た私は自分の胸がトュクン……!と高鳴るのを感じた。

チャイチーな事務所の扉を開くと、出迎えた店のおじさんが「加藤さんですか?」と聞いてきたので面食らう。さっき電話した春村です、と伝えると、現在私が気になっている車は加藤さんからも問い合わせがきていて、加藤さんも今日車を見に来ることになっているということだった。

なんてこった。ライバル出現である。

車を見せてもらうのだが、見た目も最高だが運転席に座らせてもらうとめちゃくちゃいい。
店のおじさんに対してめちゃくちゃいいですね、を連発してしまう。
古い車なのでデザインの全てがよく、ハンドル周りのコントロール系統のデザインがめちゃかわいくて、まじでときめいた。

おじさんがライトの点け方が分からずどれだっけな?と言いながら色々なレバーやボタンを操作するのでうけてしまった。自分のところで売ってる車のことはちゃんと分かっていてほしい。スイッチが見つかり無事にライトは点きました。

ひととおり車を見せてもらい、おじさんから色々話を聞いて、ありがとうございました、とお礼を言って家路に就く。

ウオー。どうしたらいい。加藤さんがこの車を買わないことを祈る。

車のことを考えると脳みそが疲れるので考えるのをやめる。

自分にはもっと大事なことがある。

夕飯に福しんで野菜タンメン600JPY。

風呂に入り、0時前に就寝。


■今日聴いた音楽
KMD / The best of KMD
MF DOOM / Operation: Doomsday
MF DOOM / MM... FOOD
MF DOOM / Born Like This
Bogdan Raczynski / You're Only Young Once But You Can Be Stupid Forever

2025年2月15日土曜日

2025年2月14日(金) 時間

2025年2月14日(金)

社長が全然出勤してこねえな……と思ったら今日は午前中彼が病院に行く日だった。

社長もそれなりに高齢なので体に色々メンテが必要らしく、しょっちゅう病院に行っている。本人もかなりそれにうんざりしているようだ。
私もだんだん年を取るにつれそのようになるのだろう。

時間は一様に過ぎていく。

どんな人にもそれは平等である。
時間は絶えず未来へと向かって流れている。

わけが分からぬままにゴウゴウと流れるその濁流の中で、もがき、苦しみ、水面からやっとの思いで顔を出して、なんとか息をしながら生きている。
嬉しいことや楽しいことは、その濁流の中にある中洲のようなもの……なのかもしれない。
ゴウゴウと流される中、時たま中洲に流れ着くことがあり、濁流から身を引き上げて、人心地つける。自分にそんな瞬間があるということを、幸せに思う。

地獄にいた友達がいた。
彼女は苦しんで苦しんで、息をしているのがやっと、という感じだった。
そんな彼女に対してどんな言葉をかけてあげたらいいのか分からず、ただただ私は時間だけは前に向かって進んでいる、とバカのひとつ覚えのように言うことしかできなかった。

時間は何かを解決してくれるのか?答えはノーだと思う。

ただ、景色は変わる。引っ越したりとか、物理的な移動とかがなくても。
物の見方が変わる、と言うべきだろうか。
ずっと同じままのものなど何もない。

そんなことを言われても、今地獄にいる人にはなんの救いにもならないだろう。
ただ、時間だけは流れています。だからなんだというのか。それはただの事実でしかない。
だけど、私にはそう伝え続けることしかできなかった。まるでそれが魔法の呪文でもあるかのように。

ガザの人々のことを思う。
あまりにも理不尽で、残虐で、あらゆる道理を超えたところで来る日も来る日も地獄に曝され続けている。
何も言葉が出ない。こんなこと絶対に人間が経験すべきことではない。

時間が流れている。

私の見ている景色が変わっているのを感じる。何もかもが不思議だと思う。

中島らもが『愛をひっかけるための釘』という本で、私たちが見ているものは常に過去である、と書いていた。
夜空に輝く星の光が過去の光であるように、今目の前にある景色もそうであると。
瞳が捉えたものの情報が光とともに網膜に伝わってくるまで、光の速さといえど299 792 458 m/s分のタイムラグがある。この数値はググりました。

中島らもは、人間にある両腕は、遠くにいる人に対してさよならと手を振るためではなく、目の前にいる愛する人を抱き締めて、毎秒ごとに常に過去になる今この瞬間を、その人と共に同じ瞬間として生きるためにある、と書いていた。本当はもっと人の胸を打つような表現で書いてあります。私の書き方がへたですみません。

何の話だっけ。

昼過ぎごろに社長から電話があり、病院が思ったより時間がかかって今終わった、と言って、今日の出荷は春村が行ってくれ、と言われ、ウワー倉庫行きたくない、と思うが、行ってくれと言われたら行くしかないのでそのようにする。

倉庫で出荷作業をこなし、15時過ぎに事務所に戻る。
そこからは黙々と仕事。やっぱりひとりでやってるより社長がいるほうが仕事をせざるをえないので仕事をちゃんとやりますね。

定時を10分過ぎて退勤。この10分というのは、社長が無駄話をしながらだらだら帰り支度を終えるのをただ待っているだけの無の時間。

時間は流れている。

スケートでひと駅プッシュしながら帰って、金曜だし疲れたし、ちょっとだけ飲むか……と思い、四文屋へ。
サッポロの中瓶(赤星)とウーロンハイ、串4本、煮込みを食べ、2,000円を少しオーバーしてしまった。でもおいしかった。

締めに驚くほどおいしくないフッドの家系ラーメン屋でラーメン。

夜布団にもぐってスマホでしょうもないことを検索しまくって寝るのが遅くなってしまう。

1時ちょい前くらいに就寝。


■今日聴いた音楽
KMD / Mr. Hood
KMD / Black Bastards
Bogdan Raczynski / You're Only Young Once But You Can Be Stupid Forever

2025年2月14日金曜日

2025年2月13日(木)

8時半ごろ起床。

朝から激風が強い。これは春一番ということでいいのでしょうか。

電車に乗っていたら会社の最寄り駅のひとつ手前の駅で強風のために電車が止まってしまった。
このままでは遅刻である。

まあ電車が止まるのは不可抗力なので遅刻扱いにはならないのだが、この電車が止まってしまった駅は私がいつも仕事の帰りにひと駅スケートでプッシュしながら通っている駅なので、こっから会社までスケートで行きゃあ~いいか、と思い、電車を降りる。

しかし、普段の帰り道では下り坂が多いので滑るのが楽なのであるが、逆方向だと当然それが上り坂になるので大変だということに気づく。しかも真正面から吹いてくる風がくそ強いので全然進まない!

ふうふう言いながらプッシュしてたら道を横切るように風で倒れた何かから伸びた紐みたいなのが浮いていて目の前に立ちはだかっており、そんなものはオーリーで飛び越えればいいのだが残念ながら私にそのようなスキルはなく、紐の目の前で止まればよかったんだけど判断を誤って突っ込みそうになってしまい、結果私は固くて冷たいアスファルトの上に右ひざから着地しながらこけてしまった。

いてえ~、と思わず声が漏れてしまう私の横をサラリーマンの男性がすたすた歩いていき気まずい。
ひざの皿は割れていないようなので気を取り直してプッシュ。ようやく坂を上り終えて下りになったので、気持ちよくダウンヒル……のはずが、ほんとに風が強くてのろのろのスピードである。
会社の最寄り駅にたどり着いた瞬間に前の駅で降りた私の乗っていた電車がホームに入ってきたので笑った。電車降りないでそのまま乗ってても同じだったやんけ!

まあ朝からいい運動になったのでよしとしよう、ということで定時を10分過ぎての出勤。

社長は午後から外出。

またも事務所にひとりになった私は車のことで色々頭を悩ませてしまう。
調べると近所の駐車場代の相場がけっこう高いので、もし車を買ったら引っ越すときは今よりも家賃の安いところにしないと詰みそう、ということに思い至る。

ということでネットで賃貸情報を調べまくるが、当たり前だが今の家より家賃を安くすると家が狭くなる。トイレも風呂と一緒になりそう。今家に大量にあるCDレコード機材が全部収まるのか?という不安もある。

今住んでいる家が築深過ぎにつき来年の3月に取り壊すことになって、それまでに引っ越さなくてはいけないのである。

考えてたらわけが分からなくなってしまったので考えるのをやめた。

仕事を片付けて定時に退勤。

スケートで今朝来た道をまたプッシュして帰る。

夕飯は福しんで炒飯大盛りと餃子。私は福しんのぎょうざ定期券という月500円で1日3来店まで餃子1人前が無料で食べられるという狂ったサブスクリプションサービスを利用しているため、炒飯代だけで済むのでありがたいことです。

帰宅後さらに それを 売るなんて とんでもない! という機材を新たにヤフオクに出品。もうどんどん売ってしまおう……。

最近機材を触っていないのでこれはよくないと思い、久々にピアノの練習をする。
今日はFのコードを覚えた!これでC、G、Fのスリーコードを覚えたのでピアノでラモーンズが弾けます(?)。本当にありがとうございました。

0時前に布団にもぐるがなかなか寝付けず。
私の2024年ベスト、Bogdan Raczynskiのアルバム『You're Only Young Once But You Can Be Stupid Forever』(タイトルほんと最高)をかけていたのだが眠りにつく前にアルバムが終わってしまった。
しかししばらくしたらいつの間にか寝ていたようでした。


■今日聴いた音楽
Frank Oceanの『blond』以降にリリースしたシングルを集めた自作プレイリスト
Charizma & Peanut Butter Wolf / Big Shots
Black Moon / Diggin' In Dah Vaults
Bogdan Raczynski / You're Only Young Once But You Can Be Stupid Forever

2025年2月13日木曜日

2025年2月12日(木)

昨夜遅くに寝たのに7時ごろ目が覚める。

それを 売るなんて とんでもない!という機材を昨夜ヤフオクに出品したことについて、もしかしたらとんでもないことをしてしまったのでは……と目が覚めて早々心配になって、ヤフオクを開いてみたがまだ入札はされていなかった。
まだ入札されていないならオークションを取り消して売るのをやめてしまおうか……とも思ったけど、たばこを吸いながらぼんやり考えて、やはり売ることにする。

もう少し寝ようと思って布団にもぐるが寝つけないので諦めて8時過ぎに起床。

今日は社長が終日外出ということで、事務所にひとりなのであるが、仕事も暇だし車のことを考えてしまって激何も手につかん状態。

こんなのバカげてる……気がする。

正気に戻りたいと思う。なんか他にもっと色々やらなきゃいけないことがある気がする。

定時がきて退勤。

東秀にINしてW餃子定食ライス少なめ892JPY。高いね。

久々にスケートでひと駅プッシュしながら帰る。
今日は満月ということで、空にはまん丸のお月さまが静かに光っていた。

今日こそは風呂に入らなくては……と思う。風呂に入る日は他に何かするのを全て諦めて風呂だけに集中することにしている。風呂に入ると決めている日はそれだけできれば全クリということ。

帰宅したらメルカリで機材が売れていたので即梱包。またbandcampでもユンキーのカセットの注文があったのでこちらも梱包。できた荷物を抱えて発送しに出かける。

近所の郵便局が移転してしまったので、近場にあったポストまで消えてなくなってしまい半泣きに。ポストって他にどこにあったっけ?
とりあえずコンビニでメルカリの荷物を発送し、次はカセットを発送するポストを探さなくてはいけないのだが、線路の向こう側、フッドのネパールレストランへ行く道すがらにあったことを思い出し、事なきを得る。

1日中考え事をして脳みそがくたくたになってしまったので、酒が飲みたくなる。
四文屋でビール1本だけ飲むか……とも思うが、金を節約しなくてはならないし、酔っ払うと風呂に入れなくなってしまうので我慢。

真っすぐ家に帰るが酒が飲みたい。ゴロゴロしながらどうしたらいいのか考えるが、そうだ缶ビールを買ってきて風呂から上がってから飲めばいいね、ということを思いつき、近所のスーパーへ行ってビール2本とスナック菓子を買ってくる。

絶叫しながらがんばって風呂。

上がってさっぱりしたところでビールを飲む。おいしいね。

風呂にも入れたことだし今日は全クリした。

夜中にお菓子食べるのよくないよな、と思ってお菓子買ってきたけど手をつけずにビールだけ飲んでいたが、あると食べたくなってしまうのが人情ということで、開けて猛烈な勢いで食べ尽くしてしまった。悔いはない。

0時ごろ就寝。


■今日聴いた音楽
キミドリ / ST
Jónsi / First Light
Charizma & Peanut Butter Wolf / Big Shots
Fruity / "Songs" complete discography 

2025年2月12日水曜日

2025年2月10日(月)~2月11日(火) Self Control

2025年2月10日(月)

心が大きく揺れ動いているときにはフランク・オーシャンを聴く必要がある。

ということでblondを聴きながら出勤。

苦しい。体が重く、頭が働かないががんばって働く。

心が大きく揺れ動いているときには酒を飲んで気を落ち着かせる必要がある。

ということで仕事帰りに東秀にINし、にら玉、チューハイ x 6、たこのから揚げ、ラーメン。
私は酔っ払いました。

心が大きく揺れ動いている上に酔っ払ってしまったときにはさっさと寝る必要がある。

ということで21時に布団を敷き就寝。


■今日聴いた音楽
Frank Ocean / blond




2025年2月11日(火)

昨夜くそ早く寝たので8時過ぎくらいに起床。

今日は祝日である。

何も手につかない状態ではあるが音楽など聴きながら何も手につかねえ、と思う。

先日洋館を訪れ、自分の家や車を買うことを夢見ることはできる、という小規模なコペルニクス的転回を体験してから、もしかしたら、そう!もしかしたら……車を買ってもいいのでは……?という思いが頭をもたげてきた。

なぜそんな身の丈に合わぬ妄想に取りつかれてしまったのかというと、ずっと昔から憧れていた私のドリームカーが、がんばれば買えないこともなくもないような値段で売りに出されているのを見てしまったからなんです。

車。とても大きな鉄の塊。でかくて重い。一歩間違うと人を死なせてしまったり、自分も死んでしまったりする非常に恐ろしい乗り物である。
維持をするだけでもたくさん金がかかるらしい。月々の駐車場代、ガソリン代、保険代、車検というのも定期的に受ける必要がある。
東京に住んでいて車を持つ意味とは。車なんかなくったって、徒歩と電車でどこだって行ける。バスもたくさん走っている。今現在私は交通の便という意味では何不自由なく暮らしている。

しかし。

車があると、いつでも好きなときにどこへだって行けるらしい。まじで!?すごくない!?
運転するのは疲れるが、巨大な鉄の塊を自らの分身のように操るのはなんだかすごく楽しい、という一面もある。ましてそれが自分のめちゃくちゃ好きな、自分の気に入った車だったらどうする?

どう思う。

インターネットで『車 買う 人生変わった』などのキーワードで検索する。車を買って人生が変わった人の話が知りたい。
するとけっこう車を買って人生が変わった人の話が出てくるので、それらをなんとなく読んでみると、思い切って自分の好きな車を購入し、所有するという体験はとてもかけがえのないものらしい、ということが分かった。

私は大丈夫でしょうか。

車を持つことで発生するランニングコストの高さにひるんでしまう。自分の安い給料が悲しい。

車のことで頭をいっぱいにしながら散歩がてら外に出て、はなまるうどんで昼食。

それを 売るなんて とんでもない!という機材をヤフオクで売ろうかどうしようかめちゃくちゃに迷う。
憧れて購入した機材ではあったが、正直全然使っていないし、全然使ってないなら気持ちよく売ってしまって車買った方が人生変わるんじゃないか、とか思ってしまう。別に人生を変えたいとは思っていないが。

車で音楽はつくれないが、機材に乗って旅に出ることはできない。

自分がとんでもなくばかげたことをしようとしているのではないか、という気持ちに苛まれるが、しかし自分が今までばかげてないことをしたためしがあっただろうか?

車のことと機材を売ることで頭をいっぱいにしながら音楽など聴いているが、右耳から左耳へすり抜けていってしまう。自分はこうなっているときが一番危ない。

何も分からぬまま時間だけがたっていく。いつの間にか日が暮れてしまった。

散歩がてら外へ出て、松のやで夕食。

ぼーっとしながら帰宅し、少し休んだのち、売るか激迷っている機材をミキサーに繋ぎ、鳴らしてみる。
腰を抜かすほどいい音がする。ウオー。どうしたらいいんだ。

以前西之カオティックオリタさんから言われた言葉が頭によぎる。

「手放して後悔するくらいがちょうどいいんじゃないですかね」

そう、手放して後悔するくらいがちょうどいい。

機材の動作チェックを簡単に済ませ、写真を撮って説明文を書き、ヤフオクに出品する。

車を買うかどうかはまだ全然分からないが、とりあえず機材は売ることに決めた。

少しずつ身軽になりたい。それがいいのか悪いのかは分からないが。ちなみに音楽制作においてDAWに移行するつもりはない。

少しずつ身軽になっていった先に、今まで見たことのない景色が広がっているんじゃなかろうか。なんだかそんな気がしないでもないような夜でした。

なんだか落ち着かず、たばこをバカスカ吸ってしまう。

1時過ぎに就寝。


■今日聴いた音楽
Black Moon / Diggin' In Dah Vaults
Frank Ocean / blond
クボタタケシワークスを集めたプレイリスト
The Beatles / Revolver
ECD / Crystal Voyager

2025年2月11日火曜日

2025年2月8日(土)~2月9日(日) 応接間、愛

2025年2月8日(土)

さすがに疲れているのか10時半ごろに起床。

家にあるレコードを見繕い、ディスクユニオンに50枚くらい売りにいく。
レコード、くそ重い。

両手にレコードがパンパンに入った紙袋を抱えてえっちらおっちら歩く。

ユニオンにレコードを委ね、はなまるうどんで昼食。なんか食べたくなったので。
野菜かき揚げとちくわの磯辺揚げ、温玉ぶっかけうどんの小で760JPY。
ねぎとおろし生姜、すりごまの薬味をドガチャガ入れて、温玉を乗せぐるぐるかき混ぜて食べる。
う、うまい……虹が見える。

査定が終わるのが19時とのことなのでいったん家に帰る。
洗濯機を回しつつ絶叫しながらトイレ掃除。泣きながらトイレをぴかぴかにする。

洗濯物を干し終え、音楽を聴きながら読書。人に貸していただいた永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』。とても面白い。声に出して笑ってしまう箇所も多く、やはり永井さんならではの瑞々しい感性に満ちた素敵な本。

夜になり、再度ディスクユニオンへ。
査定結果を聞く瞬間はいつもどきどきする。100万円とかで売れたらどうしよう、とかはさすがに思わないが、最低限このくらいの値段で売れてほしい、というのが自分の中であるので、いつも祈るような気持ちでカウンターの前に立ち尽くすのである。

店員さんがタブレットの端末を操作し、今回の査定額が画面に表示される。
○○円也。残念ながら100万円にはならなかったが、まあこれくらいか……という目標額は達成したのでよしとする。
それにしても値段のつかないレコードが30枚近くあったのが泣ける。まあ、値段はつかないでしょうな……と思って持っていったので驚きはしないが。

お腹が減ったので夕飯を、ということで松のやへ。
松のやはロースかつ定食が630JPYという衝撃価格なのだが、なんかかつが小ぶりだった記憶があるため、ダブルロースかつ定食というロースかつが2枚のローIQ・ハイカロリーのバカの定食をオーダー。
出てきたらしっかり大きいかつが2枚だったので驚いた。かつ1枚の普通のロースかつ定食で十分だったね。

お腹がはち切れそうになりながら無言の帰宅。

消化を促すためにコーヒーを淹れ飲み、音楽を聴いたり本を読んだり。
お腹が落ち着いてきたところでがんばって風呂に入る。

0時前に就寝……のつもりが夜にコーヒー飲んだもんだからなかなか寝付けず。
初期マーリー・マールのプロデュース曲を集めたTuff Cityから出てるコンピをかけていたのだが、あろうことかCDが終わってしまった。
しかしそのうち寝てたっぽい。


■今日聴いた音楽
V.A. / The Philosophy Of Sound And Machine
クボタタケシワークスを集めた自作プレイリスト
Lol Coxhill / '85
D'Arcangelo / Shipwreck
SHAGGY / BOOMBASTIC
Rex Orange County / The Alexander Technique
MARLEY MARL / THE QUEENSBRIDGE SESSIONS



2025年2月9日(日)

8時起床。
今日はたくさんの洋館を訪れる日である。

電車にゆられながら道中サリンジャーの『フラニーとゾーイー』を読む。
瑞々しさの大洪水という感じで読んでいて大いにやられる。グラース家に物が大量にあるのを説明するその描写の細かさ生々しさに、自分の家が思い出されてつらい気持ちに。

洋館に、なんか用かん?

ということで、昭和初期に建てられた日本に移り住んできた外国人たちがかつて住んでいた洋館の数々を訪れるのだが、どれも素敵な建物でとてもよかった。
どの家もシンプルな家具の置かれたすっきりとした部屋で、見ていて物が全然ない暮らしっていいね!と思ったが、人が住んでいるわけではないので当然である。

ミニマリストの対極をいくマキシマリストの私であるが、この日の洋館探訪は大いに感じ入るものがあった。
どの家も、日向ぼっこを楽しむサンルームが設置されているのがとてもよくて、小さなテーブルと椅子が2脚、そして太陽の光をたくさん採り入れる大きな窓というその空間に大きな魅力を感じた。

自分の人生は一生大して広くもない家に高い家賃を払って大量のCDレコード機材に埋もれて生きていくものなのだと思っていたのだが、自分の家を持つということだって、やりようによってはできるのでは?という考えが突然芽生えたので大変に驚いた。

自分の家を持つ。なんてこった、そんなこと考えてもみなかった。

一億総マイホーム時代というのはかつてあったおとぎ話の世界のファイナルファンタジーでしかなくて、もう今の世の中自分の家を持てる人なんてほんの一握りしかいないと思うのだが、そんなことを考えてみることすら放棄させられてしまうような今のこの世の中を、改めて悲しいと思った。

当たり前だが都心に家を建てるなんてことはどう転んでもできないので、もし私が自分の家を持つという狂ったドリームを叶えるならば、長野か山梨のどこかの山奥にある古民家を安く買ってリフォームするしかないであろう。

サンルームは絶対つくろう。暖炉もいいですね。それと音楽制作部屋。それなりに広い部屋ならば、そこにステレオ・システムも設置して、リスニングルームも兼ねることができるだろう。壁一面をレコード棚にして。
そして、真赤なバラと白いパンジー。子犬の横にはあなた。あなたがいてほしい。

こんなうんこを煮詰めたみたいな終わっている世の中で、そんなことを夢見るくらいいいじゃないか。自分の家を持ち、車もあって。そんなことほんとに考えてみたこともなかった。

問題は金がないことだけである。

ことだけ、っていうか、金がないと実現できないので、残念ながら永遠に叶えることはできなさそう。給料安いし。

ウワー、始まる前から終わっている、逆キッズ・リターンのパターンでありました。
本当にありがとうございました。


■今日聴いた音楽
Charizma & Peanut Butter Wolf / Big Shots
Apple musicの自作プレイリスト
クボタタケシワークスを集めた自作プレイリスト
Aphex Twin / Selected Ambient Works 85-92

2025年2月10日月曜日

2025年2月6日(木)~2月7日(金) number #48

2025年2月6日(木)

朝から社長と二人で倉庫で出荷作業。
月に一度の大きめの出荷がある日で、極寒の倉庫の中黙々と商品をピックアップし梱包するという作業を延々と続ける。月の売上げの2/3を占める大事な仕事である。
集中して作業を続け、15時過ぎに全ての出荷の梱包が完了。
倉庫で後片付けをする社長を残し、私は事務所へ戻る。

倉庫での大量出荷の仕事は身体にひびく。特に寒い冬は。
冷え切った身体を甘ったるいペットボトルのカフェラテでより一層冷やしながら、事務仕事をする。

時間がきて定時に退勤。

戦いの後は酒で身を清める必要がある、ということで、夕飯にINした東秀でチューハイとにら玉をオーダー。なんとなく飲み始める。チューハイを3杯飲んだらメロウになってしまった。
麻婆豆腐丼を食べて締め。

酔っぱらってしまったのでスケートで帰ることはやめて、ひと駅歩いて帰る。

帰宅後冷たい畳の上で転がっているが、少し酔いがさめてきたところで頑張って風呂に入る。

1時前に就寝。


■今日聴いた音楽
クボタタケシワークスを集めたプレイリスト
μ-Ziq / Tango N'Vectif
ほか



2025年2月7日(金)

昨日で月に一度の仕事の山場を越えたのであるが、なぜか still 忙しい。
一生懸命働く。

今日はカウンセリングの日なので、15時に仕事を抜けて病院に行かなくてはならない。
それまでに可能な限り仕事を進めて、なんとかやっておきたいところまで終え、時間がきて事務所を出、電車に乗り病院へ向かう。

月に一度くらいのペースで受けているカウンセリング、一応今まで長いこと扱っていた自分の中での課題というのはいい感じに改善しつつあるということで、一応それはクリアーということになり、今後は私が抱えている別の問題・課題について取り組んでいくことになった。こちらも少しずついい方向に向かっていきますように。

カウンセリングを終えて病院を出ると、外がまだ少し明るい。日が少しずつ伸びている。早く春がきてほしい。

カウンセリングを受けた後、そのまま仕事を早退ということにして家に帰っても別にいいんだけど、毎度私は律義に会社に戻っている。

定時の30分前に会社に舞い戻り、残していた今日中にやらなくてはならない仕事を集中してこなす。
なんとかやらなくてはいけない仕事を全て終え、定時を30分過ぎて退勤。

金曜日の夜である。

渋谷のオルガンバーで毎月第一金曜日に行われている『number』というパーティーがあり、マイケルJフォクスさんとクボタタケシさんという私が敬愛するDJ二人がレギュラーでプレイするという超豪華なイベントなのだけど、両者とも大好きなDJなので、去年はちょくちょく遊びに行っていた。
最近しばらく行ってなかったし、大きい音で音楽が聴きたいし、何か久しぶりにそういったところに遊びに行きたいな、と思っていたので、一週間働いた疲労を感じながらもがんばってSIN CITY渋谷へ行くことに決める。

numberは基本的にケルマイさんことマイケルJフォクスさんとクボタタケシさんの二人でそれぞれ交代で一時間のセットを二度繰り返すという19時スタートの23時半終了というシンプルなパーティーで、両者のプレイするとてもいい音楽をじっくり堪能できる素晴らしいイベントである。

だがしかし!毎回遊びに行くたびやばいくらいお客さんがいない。フロアーに私ひとりしかいない、という状況がざらというか毎回そうで、22時を過ぎてようやく3~4人お客さんがやってくるかこないか、という感じなので、勝手ながらこれでやっていけてるのだろうか?と非常に心配になるイベントである。
大好きな二人のDJのプレイをひとりじめ状態で堪能できるというなんとも贅沢な状況なのだが、パーティーというよりはいい音楽を大音量でじっくり聴けるひとりリスニング会状態になってしまっている。とてもいいイベントなのでみんな遊びにきて!いい音楽がたくさん聴けます。私にも会えるときは会えます。

19時半過ぎにSIN CITY渋谷に到着し、お腹がぺこぺこだったので夕飯をすませてからクラブへ行きましょう、ということで、渋谷のお気に入りのケバブ屋さんでケバブラップとポテトのセットを食べる。ここのポテトはもちもちしてとてもおいしく、ケバブラップもとても絶品なのであります。食べ終えたら信じられないくらいお腹がいっぱいになってしまった。

金曜の夜の渋谷の喧騒を抜け、オルガン坂にあるオルガンバーへ。

店に入ると思ったとおりお客さんはおらず。クボタタケシさんがフロアーでプレイしている。
バーカウンターにケルマイさんがいて、久しぶりに挨拶する。

私がケルマイさんと初めて出会ったのは10年近く前のことで、最高のロックバンド、SFのフロントマン、タカチホさんが渋谷の7thFloorで定期的に開催していたパーティー『HELLO GOODBYE VAMOS TOKYO』でのこと。
同イベントにレギュラーでケルマイさんと私MCビル風が出演しており、私の音楽をケルマイさんが気に入ってくれて、またThey Might Be Giantsなどのねじれたインディーロックなどセットに織り交ぜるケルマイさんのDJに痺れた私はケルマイさんのことを慕うようになったのでありました。

『HELLO GOODBYE~』もいったん終了?となり、ケルマイさんと会う機会もずいぶん減ってしまったが、ツイッターではお互いが何をしているのかなんとなく知っており、ケルマイさんが私の大好きなクボタタケシさんと二人でレギュラーのパーティー『number』を始めたのを知ったときは大変に驚いた。
わーこれは遊びに行きたいなあとずっと思っており、去年初めて行ったときにめちゃくちゃに楽しかったので、そこで久しぶりにケルマイさんに再会して私はとても嬉しかったのです。

というわけで今日この夜久しぶりに遊びにきた『number』、ケルマイさんと久しぶりに会い、「わービル風生きてたんだねー」といつもの飄々とした、でもやさしさのあふれる口調で言ってもらい、またカルダモンサワーというカルダモン焼酎をソーダで割ったおいしいお酒をごちそうになり、お互いの近況など話して再会を喜び合いました。

フロアーから流れてくるクボタさんのプレイを聴きながらケルマイさんとおしゃべりし、そろそろ交代の時間となり二人でフロアーへ。
ケルマイさんのプレイはニューウェイブ~ダブ多めでルースターズからのバービーボーイズという流れに痺れた(順番逆だったかも)。

相米慎二監督の大傑作映画『台風クラブ』でとても印象的に使われていたバービーボーイズの名曲『暗闇でダンス』をオルガンバーの暗いフロアーでひとりゆれながら聴いていたら、同映画で台風の中下着姿で踊り跳ねる中学生たちの姿がフラッシュバックし、なんだか胸がいっぱいになってしまった。

『その後の台風クラブ』、これは大学の映画研究会の友達Dくんが考えた映画のタイトルで、あの映画の中学生たちはその後どんなふうに人生を歩んだんだろう、と想像をかきたてるものである。このタイトルの響きは今も頭の片隅に残っている。

ケルマイさんのプレイするダビーなニューウェイブの音楽などでかい音で聴いていて、ああ、音楽ってどんなのでもいいんだよな、ということを感覚として思い出し、なんだか嬉しくなった。
自分は洗練された音楽をつくることができないんだけど、決して洗練なんてされていなくたっていいんだ、というパンクやニューウェイブのバンドたちの持つDIYアティテュードなどを久しぶりに思い出したのでありました。
自由にのびのびと自分のいいと思うものをつくろう、という気持ちになりました。

ケルマイさんのDJをフロアーでひとりきり(!)で堪能し、続いてクボタさんのターン。
四つ打ちのハウシ―なセットでじっくりと上げてゆき、そこからダブ~レゲエに移行していく展開はスリリングであった。

フロアーでひとり音楽に合わせて身体をゆらしていたら、かなり楽しくなってきて、ああ、今日は遊びにきてよかったなあ、また遊びにきたいなあ、と思う。

クボタさんのプレイも堪能し、再びケルマイさんのターンとなった23時過ぎ、ケルマイさんに挨拶してオルガンバーを出、帰路につく。

0時近くになって帰宅。
ネットで購入したLol Coxhillのライブ盤が届いていたのでそれを聴きながら就寝。

numberのフライヤー



■今日聴いた音楽
クボタタケシワークスを集めた自作プレイリスト
Apple musicの自作プレイリスト
思い出野郎Aチーム / PARADE
Beastie Boys / Hello Nasty
Lol Coxhill / '85

2025年2月6日木曜日

2025年2月5日(木) リベロの武田

2025年2月5日(木)

人は正しい時に正しい場所で正しい人と出会うという。

もちろん正しいと思った人が間違った人だったということもあるだろう。とんでもなくひどい目にあってしまうときもあるだろう……それは間違った時に間違った場所で間違った人と出会ってしまうこともある、ということなのかもしれません。

それにしたって、人と出会うということは不思議だ。

人と出会うとその瞬間から何かしらの関係性が生まれる。
キックオフ。ボールが蹴り出され、その瞬間から何かが始まる。

果たしてボールがどこに転がっていくのか、それは誰にも分からない。どこにもたどり着かず、タッチラインを越えて消えていってしまうボールも無数にある。パスを出しても返してもらえないことも、またそのパスを受け取ってさえもらえないことだってざらにあるだろう。

人はひとりで生まれてひとりで死んでいく。その時の流れ方というのはまさしく長距離走者の孤独というべきもので、生きとし生けるものはみな死に向かい、一方向にしか流れない時間軸の上をただ孤独に走っていく。

だがしかし!誰かと出会った瞬間に突然足元にボールが現れる。

果たしてボールがどこに転がっていくのか、それは誰にも分からないのであるが、どの方向に転がっていってほしいか、完全にコントロールすることは絶対にできないけど、ドリブルをしながらパスをしながら、その方向を目指していくことは可能なのではないだろうか。

ひとりでは試合が始まらないのである(人間関係というのは試合ではないですが)。

ボールを介さない人間関係というのももちろんあり、それはインターネットが発明されて以降、SNSが広く普及して決定的になったものだと思うが、私たちはボールがなくても誰かとつながることができるようになった。
つながるというよりは、孤独な長距離走者が自分の他にも孤独に走っている人の存在を、それぞれのトラックの上で並走している人たちの存在を認知できるようになった、と言うべきだろう。

それはカイジの鉄骨渡りに似ている。

高層ビルに渡された鉄骨の上でカイジの前を歩く佐原が叫ぶ。

「在(い)るかっ・・・!?」「在(い)るかっ・・・!?そこに・・・・・・」

問われたカイジが叫ぶ。

「在(い)るっ・・・・!」「在(い)るぞっ 佐原っ・・・!」「在(い)るっ・・・・・・!」

そう、私たちはみなそれぞれがひとりで鉄骨を渡る佐原とカイジなのであるが、自分の他にそれぞれの鉄骨を歩いている人というのが間違いなく在(い)て、その存在を確かに感じさせてくれるのがSNSなのである。

閑話休題。

鉄骨の上を歩いていたと思ったらサッカーのフィールドだった。

誰かと出会うと突然足元に芝に覆われたフィールドが広がり、急に確かな足取りで歩いたり駆け回ったりできるようになる。
さっきまでひとりで鉄骨の上を震えながら怯えながら、泣きながら歩いていたというのに。

だがそのフィールドというのは好き勝手に暴れまわっていい場所というわけではなく、あくまでボールとともにある場所である。
足元にボールがある以上、そのボールをどうにかしなくてはいけない。

ひとりでドリブルするのか、相手とパスをつないでいくのか、それを決めるのは自分だ。

誰かと出会って、突然足元にボールが現れて、そこで初めて私は歩いたり駆け回ったり飛んだり跳ねたりできるようになる。大げさな言い方をすると、そこで初めてこの世界で生きていることを嬉しいと思えるようになる。
そうでない人もたくさんいると思うけど、私の場合はそうなのです。

私はサッカーが壊滅的にへたで、というか球技全般苦手なのだけど、このボールを大切に大切に扱っていきたいと思う。

願わくばこのボールがどこかへ消えてしまうことなく、どこまでも遠く転がっていかんことを。

というようなことを、北風の中、私は何度も何度も考えてみる。


■今日聴いた音楽
クボタタケシワークスを集めた自作プレイリスト
μ-Ziq / Royal Astronomy
DJ KUBOTA, TAKESHI / CLASSICS 4

2025年2月5日水曜日

2025年2月4日(火)

2025年2月4日(火)

金縛りにあう夢を見て金縛りにあいながら起床。

仕事が忙しい。やらなくてはならないことが次から次へと降ってくるので脳みそフル回転で働く。勤務時間いっぱい全力で働き続けるのは大変な集中力を要するので大変に疲れる。

持てる力を最大限に駆使し、なんとかやるべきことを全て終わらせることができたが30分も残業してしまった。なんか社長はまだ残って仕事をするらしい。がんばってください!私は帰ります!

帰り道ひと駅スケートしながら帰るが、昼間ガチガチに固まってしまった身体がほぐれるにつれ、なんか滑ってるだけで気持ちよすぎて泣きそうになった。自分は自分で思っているよりもスケートが好きなのかもしれない……と思って、なんだか嬉しかった。

それにしても!私は疲れました。

神経がへとへとになってしまって、神経がへとへとになると身も心もガチガチにしゃっちょこばってしまうので、うしおととらの鏢さんも言っていたが、戦いの後は酒で身を清める必要がある。

ということで今夜はもつ焼き屋に吸い込まれることにしたのだけど、四文屋もいいけどもうひとつのお気に入りのもつ焼き屋があり、実は四文屋よりもそっちの店のほうが好きだったりする。
ただ家から徒歩20分とけっこう遠いので、夏なんかは長めの散歩がてらちょくちょく行っていたのだが、こうも寒いとなかなか足が遠のいてしまって、しばらく行くことができていなくて、ああ行きたいなあと折に触れて思っていたのだけど、今日はへとへとになったのでがんばって行こう!と決めたのでありました。

がんばって行こう!と決めたのでありましたが、あまりに腹が減っていたのでこの寒さの中腹ペコで20分歩けるか不安だ、もう松屋で牛めし食べておとなしく家に帰るか……という考えも頭をもたげてくる。しかし!失われたチルを求めて(マルセル・プルースト著)、ということで、心を無にしてiPodでクボタタケシワークスを集めたプレイリストを聴きながら、くそ寒い中てくてくと歩いていく。

20分後、店に着いた私は空腹が限界に達していた。
まだ火曜日だし空いてるかな、と思って中に入るとけっこう混んでる。お店のお兄さんがカウンターかテーブルの隅の席かどちらでも、と案内してくれて、ここのカウンターは壁を凝視しながら飲まなくてはならずあまりチルではないのでテーブルの席にしようかなとも思ったが、テーブル席の近くには大声で話しているおじさんグループがいたのであそこは嫌だなあと思ったので壁凝視席に座ることに決めました。

生ビール(1杯目は280円!)、シロ2本、シーザーキャベツといういつも頼む好きな組み合わせを注文し、運ばれてきたビールにうやうやしく口をつける。う、うまい……カチコチになってしまった神経と身体が少しずつほぐれていくのを感じる。空腹のあまりお通しのナムルを一瞬でたいらげてしまった。

シロが2本運ばれてきて、食べるとああおいしいなあ、としみじみ思う。四文屋のシロより肉厚でおいしいのです。
ここのお店は串を提供するときすぐに冷めてしまわないよう温かいお皿に乗って出てくる。こういう心配りがうれしいね。

しかし腹が減りまくっているので酔いがまわるのが速い。ウーロンハイを飲んでいい感じになったので、もうちょっと飲み食べしたいなとも思うけど、明日も仕事が忙しいし、なるべく安く抑えたいのでここで帰ることにする。

生ビール 280JPY
シロ x 2 300JPY
シーザーキャベツ400JPY
レバー 150JPY
カシラ 180JPY
ウーロンハイ 350JPY
席料 250JPY

合計 1,910JPY

ひとりで酒飲んで2,000円以内に収まると嬉しい。
自制できた今日の自分をほめつつ酔いがまわる中凍えながら帰る。

帰り道厚着をしたパグ2匹を見かけてにこにこする。厚着をしたパグ2匹を見れた幸運に感謝。

締めに福しんでラーメン食べるか家系のラーメン屋に行くか道中考えて、けっこうお腹もいっぱいなので福しんに行くと餃子も頼みたくなってしまうので今夜は家系にするか、と思い、ラーメン屋が驚くほど少ないフッドであるがその中に唯一ある家系ラーメン屋にIN。

ここのラーメンは驚くほどおいしくないのだが、働いているアジア系のお兄さんたちは元気がよく接客も丁寧なので応援したい気持ちになる。
ということでいつもどおり最もベーシックな醤油ラーメン大盛ライスなしをオーダーし着席。

出てきたラーメンがぬるい!しかしこの店ならさもありなん、ということで別段驚かないし想定の範囲内なのだが、この寒い中ぬるいラーメンを食べるのはわびしい気持ちになる。申し訳程度に添えられたうずらの卵ひとつが哀愁を加速させる。スープもっと熱くしたほうがいいですよ。
大盛無料だし大盛といえど量が少ないので今日も大盛にしたが、なんでかしらんけど今日は麺が多かった。

はち切れそうなお腹を抱えて無言の帰宅。
暖房をつけてもかなり冷たい畳の上に転がり、スマホを真顔で眺めている。

もうすぐ40になろうという中年男性が10代のような悩みを抱えて星座占いのサイトなど見てため息をついたりしているのは非常に滑稽である。

日曜日雨だったため洗濯ができていなかったので、がんばって洗濯をする。
極寒のベランダで暗闇の中凍えながら洗濯物を干す。

身体が芯から冷え切ったところで洗濯物を干し終え、着替えて布団に潜りスマホでだらだらネットを見たのち1時過ぎに就寝。


■今日聴いた音楽
μ-Ziq / Royal Astronomy
クボタタケシワークスを集めた自作プレイリスト
V.A. / SUGAR HILL OLD SCHOOL RENEWAL
V.A. / The Third Unheard CONNETICUT HIP HOP 1979-1983

2025年2月4日火曜日

2025年2月3日(月)

2025年2月3日(月)

8時半ごろ起床。朝食をとり出勤。

月初の月曜日、なかなかに忙しい。注文もけっこうあって、午前中その処理に追われる。

昼食をとり、社長が倉庫へ出荷に出かけて事務所にひとりになった私は仕事が落ち着いたタイミングでブログを書く。

社長が事務所に戻り、また二人で黙々と働く。
なんか知らないけどめちゃくちゃ眠い。今日は早く寝よう。

定時がきて退勤。

東秀にINして夕食。ペヤングコラボ焼きそばの大盛と3個餃子。またペヤング食べてる!はまってしまったのか?そこまでおいしいというわけではないんだけど、なんか癖になる味がする……ような気がする。

隣の席に座っていた人がハンディ照明?のようなもので運ばれてきた料理を照らしながら、色んな角度から何度も何度もスマホで撮影していたので驚いた。早く食べなよ冷めちゃうよ!

食べ終えてお会計が1,001円。高いよ!注文したのは私ですが……。

帰路スケートでひと駅移動しながら道中に練習。なんかオーリー戻りつつあるかも?マニュアルもメイクの入口のドアを一瞬だけ叩けそうになったような瞬間があったような気もしないでもない。
久しぶりにスケートしたら脚がプルプルになってしまった。

今夜こそは有意義に時間を使いたい、そう考えていた私は帰り道帰宅してからの行動をシミュレートしていた。
まず帰って横になったりしてはだめだ。動けなくなってしまう。今日はメルカリの発送と入浴とピアノの練習をしたい。

ということで帰宅したら手洗いうがいをして真っ先にメルカリで売れた機材の梱包。ありがたいことに昨夜出品したらすぐに売れたのである。
慣れた手つきで機材をプチプチにくるんで箱に詰め、少しでも発送サイズを小さくするために段ボールに切り込みを入れて箱を小さくする。

梱包を終えたら近所のコンビニへ行き、発送。
店の複合コピー機でスマホに表示させたQRコードを読み込ませると、どういう仕組みか知らないがレシートが出てきて、それを店員さんに渡して店員さんがそれをスキャンすると、どういう仕組みか知らないが発送ができるというわけ。
ということで店員さんにレシートを渡してスキャンしてもらったらピザまん168円とかレジに表示されて笑った。頼んでません!

荷物の発送を終え、スーパーでバナナとなんかプロテインのココア味の飲み物を買い帰宅。

プロテイン飲料を飲みながらたばこを吸い、次は風呂か……と思うも面倒くさい。でもやるんだよ!

と言いつつしっかり横になってしまうが、30分くらいうだうだしていたら元気が出てきて、今だ!ということで全裸になって風呂場に突入し、風呂に入ることができた。

晴れて入浴に成功したのでひと安心。あとは寝るまで好きに過ごしていい完全なるフリータイムである。素晴らしい。

ということで以前購入したピアノの初心者向け教本を手にスタジオバカ別館に備え付けたKORGのワークステーション・シンセサイザーX3を弾く。教本には本に出てくる課題曲等を収録したCDが付属しているのだが、それをiTunesに取り込んでiPodにぶちこんである。

ということでレッスン開始。教本は全く初めて楽譜やコード理論等に触れる人にも分かりやすいようにやさしく丁寧に書かれている。
私のよくないところとして機材の説明書とかこういった教則本とか読むのがまだるっこしくて適当に流し読みして進んでしまうのだが、できるだけちゃんと読んだほうがいいので、一刻も早く上手く弾けるようになりたいのだが、はやる気持ちを抑えてなるべく飛ばさないようにちゃんと読むようにして、実技ページにたどり着いた私は本に書かれているとおりにピアノを弾いてみた。一番最初の課題はCのコードとGのコードを覚えましょうということで、書かれているとおりに鍵盤を押さえて弾くとちゃんとコードが鳴ったではないか(あたりまえ)!iPodにぶちこんだ教則本付属のCDの音源を流しながら弾いてみると、なんかちゃんと曲になる。

た、楽しい……。今まで完全な自己流で触っていたシンセサイザーであったが、ちゃんと意味が分かって弾くと楽しさも倍増である。どんどん練習してどんどん上手くなろう。
ということで今日はCとGのコードを覚えました。本当にありがとうございました。

小一時間楽しく練習して満足したのち布団を敷き23時半ごろ就寝。


■今日聴いた音楽
Rex Orange County / WHO CARES?
クボタタケシワークスを集めた自作プレイリスト
μ-Ziq / Lunatic Harness
μ-Ziq / Royal Astronomy

2025年2月3日月曜日

2025年2月2日(日) Run and laugh

7時半ごろ目が覚め、もう少し寝たいなと思って小さな音で音楽をかけつつ再び寝ようとするが、寝つけないので8時過ぎに観念して起床。年をとって長い時間眠ることができなくなった。おじさんになったね。

朝食をとり、音楽を聴きながら楽しかった昨日のことを考える。

本を読んだりもするけどぼーっとして何も手につかないので、PCを立ち上げブログを書く。

書き終えたら福しんでチャーハンと餃子の昼食。

昼食後猛烈な眠気に襲われ小一時間ほど昼寝。

メルカリに機材を出品したいのだが、面倒でなかなか手をつけられない。
売ろうと思っている機材を眺めていたら、めっちゃかっこいいな……売りたくないな……という気持ちになってきてしまったので、そうだ不要なDVDを売りましょう、ということにし、これはもう見ないだろう、というものを20本くらいピックアップし、袋に詰めて店に売りに出かける。

査定を待っている間に喫茶店でコーヒーを飲みながら読書などしたらよさそう、と思い、本を持ってきたのだが、お店のお兄さんが10分15分で査定が終わるのでここで待ちますか、と言うので、じゃあここで待ちます、と言って、お店の買取カウンターで従業員の人たちがせわしなく行ったり来たりする中、ひとり真顔で仁王立ちしながら待つ。何この時間。

査定が終わり、お金をもらったので家に帰り、また音楽を聴きながら、メルカリに機材を出品しなくては……と思うもやはり手がつけられず、日も暮れてしまって、メルカリをどうにかしないと音楽をつくったりできないので、ようやく重い腰を上げ、売る機材を引っ張り出してきて動作確認をする。
そしたらなんか反応しないボタンがある!これだとジャンク品として出品しなくちゃいけなくなると思って、接点洗浄スプレーを反応しないボタン内部に吹きかけたところ、直ったのでよかった。接点洗浄スプレー最高。

写真を撮り、商品説明を書いてメルカリに無事出品完了。
これで今日やらなきゃいけないことはできた。

ぼんやり過ごしてしまった日曜日、何かおいしいものを食べて締めましょう、ということで、フッドのネパールレストランへ。

中に入ったらお客さんが誰もいない。この店は安くておいしくて最高なのだが、けっこういつ行ってもお客さんがいないので心配になる。

ビールを飲んで、野菜パゴダとマトンビリヤニで夕食。美味しゅうございました。

結局今日は機材を触って音楽をつくるということができなかった。
平日に何かできるようがんばりたい。



友達とチャットで色々話して、何かうまくいかなかったとしても、走って笑えばいいんだ(but we run and laugh)と言われて、ああ、それが人生だよな、と思う。

何かがうまくいかなかったとしても、私は走って笑おう。生きているのが嬉しくてたまらないと思っている犬のように。

自分がこんなふうに考えることができるようになるなんて、数か月前は想像もつかなかった。
死ななくてよかったと思う。

風呂を諦め1時過ぎに就寝。


■今日聴いた音楽
The Beatles / With the Beatles
The Beatles / Meet the Beatles
Bogdan Raczynski / Samurai Math Beats
slack / 我時想う愛
Doechii / Alligator Bites Never Heal
V.A. / Queen Latifah and the Original Flavor Unit
クボタタケシワークスを集めた自作プレイリスト
Flaming Lips / A Collection of Songs Representing An Enthusiasm For Recording...By Amateurs 1984-1990
squarepusher / ultravisitor (20th Anniversary Edition)
Triple 6 Mafia / Kings Of Memphis Underground Vol. 3
μ-Ziq / Lunatic Harness