2017年6月29日木曜日

Quiet Life


デカビタC缶 新登場!

瓶デザインの缶がヤバい

家庭の味が売りの定食屋で食べたカレーライス 700JPY
友達の家に泊まりに行ったとき夕食に友達のお母さんが作ってくれたあのカレーの味


2017年6月28日水曜日

大好きな友人たちや尊敬する人たちに囲まれているのだが自分がポンコツのためかその人たちの誰とも一切心が通わないという悪夢を見た

2017年6月27日火曜日

亡霊

生きていると望むと望まずとに関わらず思い出が蓄積されていき、ふとした瞬間にその思い出が急に実感を伴って自分を殺しに蘇ってくる。昔付き合っていた人と日光へ初めて遊びに行ったときに佐野ラーメンを食べて、その素朴な味に二人で感動したこと。昔付き合っていた人とゴールデンウイークに松本に遊びに行って、何もかもが楽しくて帰り道のUターンラッシュにはまってもイライラせずに、車の中でKing Kruleのアルバムが優しく流れていたこと。穏やかな時間が過去に流れていたこと。

苦猥越冬頼符

最近鳥に興味があるので双眼鏡を買ってバードウォッチングでも始めてみようかな。私が鳥を好きなのは、とてもかわいいし空を飛べるというところ

Quiet Life

イオンモールのフードコートでラーメンとたこ焼きの夕飯食べてる

enta da void

最近Lil Yachtyを初めてちゃんと聴いて、そのあまりのフレッシュな無っぷりに驚いた。クラウドラップ以降のUSヒップホップの流れを見ると、Lil B a.k.a. BASED GOD先生によって無の表現の極北が開拓され未だにその極北の荒野に打ち立てられたTHANK YOU BASED GODの旗がはためいている。ここ数年ミクステの乱発がだいぶ落ち着いてしまったBASED GOD先生に代わってハイファッションに身を包んだ得体の知れない若者たちが無の中のメロウネスをレペゼンし始めた。というのがYUNG LEANらSAD BOYS(あまりにも直球の無かつメロウなクルー名……)周辺の人たちであった。彼らはスウェーデンだが。無とメロウネスは表裏一体というか非常に親和性が高いのだが感傷とは何の関係もないところで無を煮詰めたら何もないところから狂おしいほどのメロウネスが誕生したというのは非常に興味深い。そして先日初めてLil Yachtyを聴いて無の荒野から漂ってくるメロウネスを表現するhiphopの系譜に思い至ったわけでR。彼らに比べるとタイラーザクリエイター率いるOdd Future一味はめちゃくちゃ音楽的に豊かだし無ではないと思う(タイラーの場合はファレル・ウィリアムスら先人たちへの憧憬とリスペクトが感じられるしパンク的な諧謔性も持ち合わせている)。Migosは出てきた当時ミクステをちょっと聴いてたくらいだけど、USのトラップシーンというのは無だけどメロウと言う印象はない……。サウスはメロウだけど。そして我らがKOHHは2010年代以降に蘇ったブルーハーツで無とは正反対の音楽だ。もちろん最高。とりとめのないことを書き連ねたが、Lil Yachtyを聴いて無から出たメロウネスという嘘から出た誠みたいな流れを実感してとても興奮したという話でした。Lil YachtyはAfter Da Boatというシーディーを聴きました。日本流通盤帯付き仕様だがdiscogsに載ってないのでよく分からない。

Lil B - I’m God
※7/4追記 BASED GOD先生ワークスの極北といえば2010年にリリースされた "Rain in England" というアルバムで、発表された当時は世界初のアンビエントラップ!という触れ込みで世界中の好事家たちを興奮させた。中身はニューエイジーなシンセやストリングスが鳴り響くトラックの上でひたすらBASED GOD先生のありがたいお話が続くというもの。震えるほどヤバいアルバムで絶対にフォロワーも現れないヒップホップの極北。
↓はそのアルバムからの1曲で他の曲も大体同じなのでヤバい。クラッシック。
Lil B - Birth To Life

Yung Lean - Hurt

Swaghollywood x Lil Yachty - Hollywood

Quiet Life

夜の高速道路走ってメロウになってる

2017年6月25日日曜日

Quiet Life

明け方雨が降っているのが聞こえたが日曜の朝寝床で雨の音を聞くのはなかなか趣深いものがある。雨が降っていると洗濯しなくていいし出掛けなくていいし家で終わっているのが許されるような気がするがただの気のせいであり私は晴れの日も曇りの日も雨の日も嫌いだ。『デクライン』という80年代初頭のLAパンクシーンを捉えたドキュメンタリー映画があるのだが、GERMSを始めBLACK FLAGやXなどLAパンクシーンの重要バンドたちのライブシーンやインタビューを中心として当時のむせかえるような濃厚すぎる空気感がビンビンに伝わる名作ドキュメンタリーなのだが(デクラインは三部作で二作目はパンクの後に流行ったLAメタルシーンを面白おかしく捉えたちょっぴり商業寄りの内容で三作目は90年代に入って空き家をスクワット(不法占拠)して住み着くガチの貧困アナーコパンクスたちのDIY精神溢れる自由かつ三部作中最も救いの無いめちゃくちゃ厳しい容赦ない現実が描写されていてつらいけどとても面白い。Litmus Greenというアナーコハードコアのバンドのライブシーンがめちゃくちゃかっこいい)、デクラインはバンドだけでなくライブに遊びに来ている普通の若者達にも等しくインタビューして話を聞いており、そのノーフューチャーな受け答えがやはりビンビンに濃厚な時代の空気を反映していて痺れる。そのデクライン一作目はGERMSのダービー・クラッシュのラリラリ・ライブの模様やペットのくそデカい蜘蛛(!)と戯れるヤバいシーンがあったりするのだが、しかし自分の心を捉えて離さないのはどんどんヤバいバンドが沢山出てきて盛り上がるLAパンクシーンにのめり込みライブに足を運ぶ若者のインタビューであった。まだ十代なのにめちゃくちゃ鋭い飢えた狼のような鋭い眼光をたたえたその少年は、インタビュアーである監督からの「今のLAで暮らしていることについてどう思うか」という質問に対してこう答える。「大人は嫌いだ……街も嫌いだ。空気も嫌いだ。バスも嫌いだ……何もかもが嫌いだ」映画館のリバイバル上映で観ていた私は「バスも嫌いだ」という言い回しに衝撃を受け、年端もいかない少年が抱えるヘイトフィーリングのあまりの巨大さ、根深さに舌を巻いたのをよく覚えている。ということで、ただの鬱病のサラリーマンである自分をその飢えた狼のような少年に重ね合わせるのもおこがましいのだが、最近の自分もずっとそんな感じである。生きていてもクソほども面白くないし、心落ち着く瞬間なんてない。ただ会社へ行き帰って寝るだけの肉人形である。生きていて喜びを感じるということが全くなくなってしまった。息を吸って動いたりそれにまつわる全てがストレスでしかないしじっとしていてもストレスなので一刻も早く精神病院に入院する必要を感じているが、休職が許されるような職場ではないし仕事辞めたら実家に帰らなくちゃいけないし実家がこの世で最もストレスフルな場所なので詰んでいるのである。閑話休題。自分の人生なんて何でもどうでもいいし特にやりたいことも好きなこともないので何でもいいのだが、この週末から鬱病の薬が切れていて薬なしで過ごしているのだがというかそれもこの土日の話だが、薬をいきなりやめると離脱症状というのが身体に起こってそれがとてもつらい。全身がフワフワして自律神経はぶっ壊れて変な汗を大量にかき何がなんだか分からなくなる。本題になかなか行けませんな。今日日曜日の天気予報は曇り時々雨だったが、昨日洗濯できなかったので今日洗濯しないと着る服がなくなってしまうことを恐れた私は雨が降らない方に賭けて洗濯機を回した。昨夜睡眠薬を飲んで何となくまとまった時間眠れた私はいつもの週末に比べると家事をする元気があったため、グレープフルーツを食べたり米を炊いたりしながらトイレを掃除したり爪を切ったりシャーワーを浴びたりできた。いつ買ったのか全く覚えていない卵をゆで卵にしてレトルトカレーと一緒に食べたりもした。なかなか本題に行けねー。洗濯機を回し終えた時は私はトイレ掃除を終え、爪を切り、シャーワーを浴び、カレーを食べていた。そして身体にまとわりつくような湿気と押し潰してくるような曇天の下ベランダで洗濯物を干し始めた私は、ベランダの向かいのマンションの屋上によくとまっているピョッピョッと鳴く雀でもカラスでもない鳥がつがいでベランダの目の前にある白樺の木にとまっているのを見たのである。こんな至近距離でその鳥を見たのは初めてだったのでいたく感動した。思わず笑みがこぼれたその刹那、つがいの二羽は戯れに近くの枝に何度か飛び移ったりしたあと、どこかへと飛び去っていった。鳥に感動しながら軽い手つきで洗濯物を干し終えた私はコーヒーが飲みたいなと思って近所のファミリーマートへ行くことを思いついた。洋服の洗濯を終えたら次は布団カバーとシーツを洗うのが吉。洗濯機をまた回して布団カバーを剥いだ中身(NASAの技術を使用した疑似羽毛が入っているらしい)と夏掛けをベランダの欄干に干してファミリーマートへ行くため家を出た。タバコを吸いながら歩いていると、近所を流れる川でよく見かける鴨が急に羽ばたいて、道路に上がってプリけつをフリフリしながら私の数メートル先を悠々と歩いているではないか!鴨がバリバリに飛ぶところを初めて見た私は興奮しながらそのプリけつの後をゆっくりとつけた。写真を何枚か撮った刹那、また大げさに羽根を広げた鴨はちょっと前までいた川の流れに身を任せ、ジャバジャバ~という涼しげな音をたてながら着水し、またいつもの用にのんびりと泳ぎ始めたのであった。私の後ろを歩いていた犬の散歩中のおばちゃんは、「鴨が飛ぶとこ初めて見たねえ」と私と全く同じことを言っていたのでそれを聞いてニコニコした。少しだけ心が軽くなるのを感じてファミリーマートでコーヒーを買って向こうから歩いてくる柴犬をガン見したりしていたのですがいきなり雨が降ってきてベランダに干しているNASAの技術を活かした疑似羽毛の入った布団を案じた私は急いで家に帰り濡れた布団を取り込んだ。それから色々あって五万年振りに部屋の掃除をしたり離脱症状に震えながら新宿へ行って野暮用を済ませたりした。とても疲れた。野暮用を終えた私は今フッドのチャイニーズレストランでこの冗長極まりない日記をスマホでポチポチ書いている。全てに興味を失って生きる喜びもクソも無い私だが、それでも私の好きな人たちが元気で少しでも幸せだったら良いと思っている。お前はバカか。



2017年6月22日木曜日

Unquiet Life

会社近くのチャイニーズレストランでお昼を食べようとしたら一階席が満席だったため二階へと上がると、練習を終えた?ママさんバレーボールチームの皆さんが大宴会を繰り広げており、きちがいのような嬌声を上げてぎゃあぎゃあ騒いでいたので面食らってしまった。この店は味がよく、またマスターの気さくで元気のいい接客がとても気持ちのよいものであるため周辺住民や近くで働く人たちから多くのプロップスを得ており大変繁盛している。またこの店では昼から飲んでいる人たちもよくいるので宴会しているくらいでは別段珍しいものではないのだが、そのママさんバレーの人たちはいかんせんこちらが無視することができない音量でぎゃあぎゃあ騒ぎ続けているため、完全に彼女ら以外のお客さんたちが騒音に対して我慢を強いられるという非常に理不尽な状況であった。自分は脳が完全に終わっている状態の中、少しでもチルを求めて昼休憩の時間にやってきたチャイニーズレストランであったが体感的には幹線道路の大規模な工事もしくはビルの爆破解体作業くらいの爆音で妙齢のマダムバレーボーラーたちが騒ぎ続けていたので、我慢の限界に達した私は立ち上がり彼女らのテーブルへ近づくと、最もキチガイみたいな爆音で絶叫している妙齢の女性に対してすいません、声のボリュームを落として下さい。うるさくてとても迷惑ですと伝えた。大いに酒に酔ってがなりたてていた彼女はテーブルの側にやってきた私のことにも気づかずぎゃあぎゃあ言っていたのだが、ようやくこちらに気づいた彼女はすいませんと言って一時は彼女らのテーブルが水を打ったように静かになりお通夜状態になったのでほっとしたのもつかの間、5分ほどしたらまたガンガン盛り上がってきて元の状態に戻った。幹線道路の大規模な工事もしくはビルの爆破解体作業のような爆音の中で怒りと屈辱と絶望にまみれながら豚肉とにんにくの芽炒め定食を食べ進めた私は何とか完食して二階を後にしお会計をすると、やさしいマスターが今日はうるさくてごめんね、50円サービスしてあげるからまた来てね、と言ってくれて少し救われたような気持ちにもなったが、悪いのは大宴会を繰り広げて周囲の客の迷惑も全く顧みずぎゃあぎゃあキチガイのようにわめき騒ぐ妙齢のマダムたちであって、決してマスターに非があるわけではないのであった。ものすごいストレスにさらされた私は脳の血管がブチ切れて店を出た直後に死にました。春村謙吾 享年32歳 戒名 金玉院春風居士