3017年7月26日土曜日

2025年予定

MCビル風は現在ライブ活動無期限休止中です。
またどこかでお目にかかれたらと思います。
それまでお互い元気でいましょう。
よろしくお願い致します。

2222年2月25日月曜日

July Tape

2019年の7月に作った3曲+去年SoundCloudに上げた1曲をまとめてEP『July Tape』としてBandcampにて公開しました。

Name your price(投げ銭)で無料でダウンロードできますので、よかったらぜひ聴いてみて下さい。

Bandcampのページはこちら

【曲解説】
1.『Mail You』
好きな人にメールを送ろうとするときの胸の苦しさ・高揚感についての曲ですが、その好きな人には好きな人がいて、それは自分ではないのです。

2.『Young』
その他の短編ズの森脇ひとみさんのソロアルバム『young』がとても好きで、そのアルバムでは人の生活の尊さ美しさについて歌われていて、そういった物事が自分の人生において確かにあると実感したときの狂おしいまでの愛しさや心の揺れ動きが『young』という語に集約された最高のアルバムなのですが、そのアルバムを聴いて自分なりの『young』を表現してみようと思って作った曲ですが、自分ではこういった感じのことしかできないのだな、と思いました。

3.『MCビル風のことどう思う』
昔ライブでやってた曲をちゃんと形にしてレコーディングしました。ラッパーとして活動していて一番気になることが自分は/自分の音楽は人にどう思われているのか?ということなんですが、ストレートにそのことを尋ねても案外誰も何も言ってくれませんでした(それでも言及して下さった方もいました。本当にありがとうございます)。もっと精進します。ビートは結構気に入っています。大々的に声ネタ入れた曲は初めてかもしれません。

4.『Renkyuu Beatz』
連休の中日に感じる宙ぶらりんな気持ちを表した曲。

2025年12月18日木曜日

2025年12月18日(木) 引っ越しが終わって、人生が始まる

ツイッターを再びやるようになったからといって、ブログを書かなくなったと思ったら大間違いだ!

といっても9月の終わりからずっとブログを書いていなかった。

2025年12月7日(日)、新居への引っ越しが終わった。

2024年の秋、突然住んでいたマンションが取り壊すことになったので2026年3月末までに退去してや!との連絡を受け、そのとき以来ずっと私の心に引っ越しのプレッシャーが巣食っていた。

私はマキシマリストなので膨大な量のCDレコード機材を所有し自分の居住スペースよりもそれらを収納しているスペースのほうが大きく、物のために家賃を支払っているような状態であった。

そんな大量の物を抱えての引っ越しなんて地獄になるのが目に見えている。

そのプレッシャーたるやすごいものがあり、日々生活を送る中で「2026年の3月末までに引っ越さなくちゃいけないのか~」という事実が思考の片隅に常にあって、それはひと時でも忘れられるようなものではなかった。

その取り壊しが決まったマンションに引っ越すときでさえ荷造りに地獄のような思いをしたので、そのときよりもさらに物が増えているため引っ越すことを考えると気分がずっしりと重くなるのを感じていた。

なんやかんやあって年内に引っ越しすることを決め、物件を探し、引っ越し業者に見積りを取り、引っ越し日が決まっていよいよ過酷な現実と向き合わなくてはいけないときがやってきた。

ツイッターで #真顔で引っ越し なるハッシュタグをつくりその引っ越しの状況をリアルタイムで発信していたのだが、私はバカなのでなんでもかんでもツイッターで実況する独りトゥルーマン・ショースタイルで生きているため常時痴態を晒しているのだが、そんな私の引っ越し実況ツイットを見てくださった皆さんからのいいねやリプライの数々に私は大いに励まされた。大いに助けられました。本当にありがとうございました。

引っ越し日が確定してからの2週間、平日仕事で疲弊しながら毎晩荷造り作業を続けて何度も気力体力の限界を迎えて作業を進めては途中で放り出して福しんに逃げ込み味玉とチューハイで疲れ切った身体と脳みそをなんとか解きほぐして風呂に入る余裕なんてないので何日も風呂に入れぬまま布団に潜って死んだように眠るという日々を過ごした。全く生きた心地がしなかった。

前回の引っ越しでは本当に寝ずに夜通し荷造りをしたりしていたので、今回の引っ越しでは毎晩ちゃんと眠ることができたのはよかった。自分の成長を感じた。

パートナーとネコチャン2匹との新居での暮らしは始まったばかりで、自分の部屋の荷解きは全くできておらず大量の段ボール箱がうず高く積み上げられたままだが、早く音楽制作ができる環境をつくりたい。引っ越しの疲れが未だ全然とれてないんだけど。

引っ越しをした結果本当にお金がなくなった。元々なかったが本当になくなった。

物故割れた青パンダが色々あって全額返金となり、そのお金を引っ越し資金に充てればよかったものを、私は狂っているのでそれをせずに別の赤いパンダを買った。そのことについてはブログに書くかもしれないし、書かないかもしれない。

とにかく疲れております。明日はどっちだ!それは誰にも分からない。

窓辺に置きます。

2025年9月30日火曜日

2025年9月30日(火) 9月が終わるよ!さあ起きて!

私の体はポカリスエットと龍角散のど飴でできている。

風邪がヘヴィーすぎるので毎日ポカリをがぶがぶ飲んで龍角散のど飴をべろべろ舐めている。

しんどいっす。みんな大丈夫ですか (みんなって誰) ? 

金がほしいのと家に大量にある物を減らしたいという二大欲求がタッグを組んだ結果、ディスクユニオンの買取金額UPキャンペ~ンをやっているときを狙ってしこしことCDやレコードを売っている。

何を売って何を売らないかの分別をするのは非常に脳みそが疲れる。

インフルエンザで伏していた折は少し体調が良くなってきたときを見計らって家のレコード棚に刺さりっぱなしだったよく分からないHiphopの12インチを1枚ずつ聴いていき、売るか売らないかの判断および分別作業をしていた。

なんか、なんでこんなの大事に取っておいたんだろうね……みたいなオブスキュアな謎の12インチが大量に出てきて辟易した。

音楽に貴賎はないが、くそな音楽と素晴らしい音楽という違いはある。

というわけで、いっぺん聴いてこりゃ~家で大事に取っておかなくてもいいでしょう、というものをディスクユニオンより取り寄せた宅配買取用の段ボール箱に次々とダンクしていく。

そしたら段ボール箱2箱がいっぱいになった。多分レコード140枚くらい。いいね!この調子でどんどん物を減らしていきましょう。

さて、そんな中で分別作業を続けていくうちに、あれ、自分の音楽の趣味が昔と比べて変わってきたかもしれません、ということに気づいた。

ただ若さと時間だけがあり、金と元気と未来がなかったころ (今もないでせう) 、鬱屈とした気持ちを抱えていた私は自分のそのふがいなさやもやもやをハードコアパンクやブラックメタル等の暴力的な音楽を聴くことによって昇華させていたのであるが、そういった類の音楽をあまり聴けなくなってしまった自分に気づいたのでありました。

とにかく速くてうるさくて暴力的なほど聴いていて血が沸騰するような興奮を得ていたそれらの音楽であったが、今ではなんかみんなおんなじだね……と思って聴くのを途中でやめてしまうのであった。DISCHARGEだけあればいいのでは?とさえ思ってしまいました。

趣味嗜好は変わるものだから仕方がないことだけど、パンクやハードコアというのは自分の血肉のようなものだとずっと思っていたので、そういったジャンルと自分の好みが合わなくなってきていることに一抹の寂しさを覚えたのでありました。

では今はどういう音楽を聴いているのか?

自分の今の音楽の趣味というのが自分でもよく分からない。

豊かな音楽が好きだな、とは思うが、豊かな音楽って何?と聴かれてもうまく答えられない。※ハードコアパンクやブラックメタルが豊かではないという意味ではありません。

Hiphopは変わらず好きで聴いていて、でもG-Rapはあまり聴かなくなってしまって、ソウルやファンクなども好きだけど、レゲエやダブは昔よりも聴かなくなってしまった。テクノはAphex TwinやREPHLEX周辺、μ-ZiqやSquarepusherなどを好んで聴いていますが、範囲が狭いと自分でも思います。ネオアコやポストパンクなどもほとんど聴かなくなった。

ディスクユニオンの店頭買取金額UPキャンペ~ンのクーポンの有効期限が今日までなので、あんまり数を売る準備はできていないが、今夜仕事の後に売りに行こうと思います。

かしこ

2025年9月29日月曜日

2025年9月29日(月) wake me up when september ends

9月が終わったら起こしてください。

9月は病床に伏せっていた。

インフルエンザのA型に罹患し、それが治ったと思ったら免疫力が大いに弱っているところに細菌に二次感染してヘヴィーな風邪を引いてしまった。

踏んだり蹴ったりである。

体調を崩すとどうして自分がこんな目に……と思う余裕すらなく、ただひたすらに布団に身を横たえ、弱っているだけだ。
インフルのときは敬老の日の3連休の終わりに罹患したので発症後は5日間自宅待機なので期せずして9連休となってしまったが、お分かりのとおり病気で休んでいるのは楽しくもなんともない。何もできないし、本当にただつらいだけである。

偏った食生活 (三食シュークリームとコーラ) のせいで体が弱っているのだろうか?

スマッシング・パンプキンズの武道館公演を兄と二人で観に行くはずであったが、インフルのせいで行けなかったので悲しい。

何も明るい話題がない。

物故割れた車の件であるが、無事売買契約の解除・全額返金をしてもらえることになり、先日業者の人に引き取られていった。かわいそうな私の車。

この日記のタイトルはグリーン・デイというバンドの曲名からきているものであるが、WHAM!の『Wake Me Up Before You Go-Go (ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ) 』と並ぶ世界二大起こしてねソングのひとつである。

昔はグリーン・デイが大好きだった。でもそれはアルバム『WARNING』までの話。

ロック組曲みたいのを始めたアルバム『American Idiot』からついていけなくなった。

彼らのアルバム『dookie』で、「もうどうでもいいと宣言するよ」とか「モチベーション皆無だよ! / 私のモチベーションはどこへゐったのでせうか?」とか「しこったらもう一日の楽しみがおしまいだ!」とか、無気力と苛立ちにあふれた歌詞をポップなメロディーと疾走感のある演奏に乗せて歌いがなっていた彼らはもうどこにもいない。まあ、じじいになってからもずっとそんなこと歌っていたらやばいかもしらんけど。知らんけど。

もうグリーン・デイは自分にとって必要な音楽ではなくなってしまったのだなあ、と3月の来日公演を観ながら思ったのだった (行ってたのかよ) 。

インフルエンザも風邪もとにかくつらいので、皆さまどうぞ体調にはお気をつけください。







2025年8月7日木曜日

2025/8/7(木) I wanna be well



RAMONES / I Wanna Be Well

Yeah
I wanna be well
I wanna be well
I wanna be
Want, I want, I want, I want
I want, I want, I want, I want, I

Yeah
I wanna be well
I wanna be well
I wanna be
Want, I want, I want, I want
I want, I want, I want

I want my LSD, Golly Gee, a DDT, a Wowee
A daddy's broke
Holy smoke
My future's bleak
Ain't it neat?

Yeah
I wanna be well
I wanna be well
I wanna be
Want, I want, I want, I want
I want, I want, I want, I want, I

Yeah
I wanna be well
I wanna be well
I wanna be
Want, I want, I want, I want
I want, I want, I want

I want my LSD, Golly Gee, a DDT, a Wowee
A daddy's broke
Holy smoke
My future's bleak
Ain't it neat?

Yeah
I wanna be well
I wanna be well
I wanna be well



イエー
よくなりたい
おれは元気になりたい
おれはなりたい
なりたい、おれはなりたい、なりたい、
なりたい、なりたい、なりなりなりたい、

イエー
よくなりたい
おれは元気になりたい
おれはなりたい
なりたい、おれはなりたい、なりたい、
なりたい、なりたい、なりなりなりたい、

LSDがほしい、なんてこったい、DDTも、ワーウィー
親父はぶっこわれた
ちくしょう
未来は暗い
どうかな

イエー
よくなりたい
おれは元気になりたい
おれはなりたい
なりたい、おれはなりたい、なりたい、
なりたい、なりたい、なりなりなりたい、

イエー
よくなりたい
おれは元気になりたい
おれはなりたい
なりたい、おれはなりたい、なりたい、
なりたい、なりたい、なりなりなりたい、

LSDがほしい、なんてこったい、DDTも、ワーウィー
親父はぶっこわれた
ちくしょう
未来は暗い
どうかな

イエー
よくなりたい
おれは元気になりたい
おれはよくなりたい
おれは元気になりたい

訳: MCビル風


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ブログにしょうもないことを書いている場合ではない。
そんなことをしても、誰も幸せにならない。

思えばツイッター (現X) は私にとって大切な自己表現の場のひとつであった。

ただ、私はそこで気ちがいじみたうわごとを繰り出すばかりで、それはまるで 24/7/365 自分のゆがんだ脳みその中にガラクタのように詰まった思考の断片を垂れ流すくだらないリアリティーショーのようで、滑稽だったとしか言いようがない。

さらに悪いことに、私のくそみたいなツイットの数々により、人を不快にしたり、傷つけたり、たくさんひどい思いをさせてしまった。

私はそのことをとても申し訳なく思っている。自分はもうツイットするべきではないと思っている。

そして私はツイッターワールドを後にし、このブログに流れ着いた。

ここはまるで無人島のようで、私はツイッター (現X) で書いていた気ちがいじみたうわごとを、長文に変えて誰に宛てるでもなく書いている。

しかし。ただ舞台が変わっただけで、ここでも私はリアリティーショーのようにこの無人島でのサバイバル生活の模様を垂れ流し、またしても滑稽な姿をさらしている。

どうしてこうなった?

それは誰にも分からない。

私は疲弊している。

それはこの日々の猛烈な暑さのせいかもしれない。睡眠がくそだからかもしれない。色々なトラブルを抱えているせいかもしれない。金がないからかもしれない。

というか全部のせいかもしれない。

仕事から帰り、昼間の猛烈な暑さによりサウナ状態となった部屋に冷房をつけ、少しずつ空気が冷えてきて息ができるようになると、私は全てを諦めて畳の上に横たわる。

スマホをひとしきりドゥーム・スクローリングした後、気絶寝してしまうことも多い。

一昨日の夜、畳の上で気絶寝した私は夢を見た。

アメリカのテレビドラマ、フルハウスに登場する主人公の女の子たちと、ビースティー・ボーイズの『Looking Down The Barrel Of A Gun』のフックを歌いながら家の中を練り歩くという夢だった。
「ルッキンダンザバレルオブアガン!サノバガン!サノバビッチ!」と叫びながら列をつくって家の中を練り歩くのは楽しかった。

夢から目覚めた後、ビースティーの同曲が収録されたアルバム『Paul's Boutique』のCDをステレオ・システムで再生したのは言うまでもない。

昨夜も畳の上で気絶寝してしまい、私はまた別の夢を見た。

CDを持っているしライブも観たことのある、とあるアーティストの家に遊びに行き、私の友達のつくった彫刻を一緒に鑑賞するという夢だった。

朝の4時ごろ、そのアーティストの携帯電話が鳴り、「ごめん、電話」と言ってビデオ通話を始めると、その相手はこれまた私が一方的に知っているバンドマンで、このアーティストとこのバンドマンがつながっていたのか……と私は驚いた。
ビデオ通話では、二人とも仲良さそうにどうでもいいふざけたやり取りを続けていた。

そんな夢を見たあと夜中の2時過ぎに目が覚めた私は、歯を磨いて布団を敷いて寝ようとしたのだが、スロッビング・グリッスルのベスト盤のCDをかけていたがなかなか寝付けず、結局CDが全部終わってからようやく眠りに落ちたのであった。

2025年8月6日水曜日

2025/8/6(水) mentally mad・その5

自分がいったい何をやっているのか分からない。

40年間生きてきて、自分がいったい何をやっているのか分かったためしがない。

大丈夫!?

そんな中でも自分が何をやっているのか分かる瞬間というものが確かにあり、そのひとつが音楽をつくっているときである。

音楽をつくっているときは、自分が正しいことをしている、という実感がある。

じゃあ音楽をつくりましょう!さあ!ほら早く!どうぞどうぞ!

どうぞ、おやりなさい。

と思うでしょうが、それで音楽がつくれたら苦しくないのでありんす。

ありんす、ありんす、ありんすと・テレス。

こないだ bandcamp friday の告知に伴い久しぶりにツイットした。
高田馬場の ばん という店でひと口大にカットされた豚の臓物が串に刺さって炭火などで炙って焼かれたものにタレを塗ったり塩を振ったりしたものを食べて酒を飲みながらのことだったため、半分酔った勢いのままツイットしてしまった。

そしたらめちゃくちゃ嫌な気分になって、本当に嫌な気分になって、ツイットしたことを後悔したのであった。

嫌な気分になることはするのをやめましょう!

私はもはやMCビル風ではありません。

じゃあ誰!?

こうやって細かい改行を繰り返してグルーヴを醸し出すブログ構文、好きじゃないんだよね。

でも、やってしまっているよね。

好きじゃないことをするのはやめましょう!

毎日暑すぎる。

愚かな人間の所業の数々によって引き起こされた気候変動により、気温が狂った勢いで年々急上昇し、夏が殺人的な猛暑となって久しい。

このまま行くと、夏の平均気温は摂氏50℃となり、フィリップ・K・ディックの小説よろしく冷風を送るダクトのついた防護服を着ないと外を出歩くことができないようになり、また気候変動によって引き起こされた諸々のせいで熊が渋谷のど真ん中に出没するようになり、冷風ダクトつきの防護服を着た人々が闊歩する渋谷のスクランブル交差点で熊が人を殺してそれを喰らうようになる。

それでいいんですか?

車とか、乗らないほうがいいと思う。

車の排出する二酸化炭素をパリ協定で定められた目標値まで減らさないと温室効果ガスが増え続け、近い未来に渋谷に熊が出没するようになる。

電気自動車とかハイブリッド車とか開発されているが、依然としてガソリン車も生産され続けている。

もう一度『ドラえもん のび太とアニマル惑星』から観ろ (もう一度ジェームス・ブラウンから聴け) 。

私はあのクラッシックを幼少のころ映画館で観、環境破壊によって引き起こされる悲惨な光景の数々に大変な恐怖を覚えた。もう手を洗うときに水を出しっぱなしにするのはやめよう、と思った。
幼少のころの私は潔癖症気味で、ことあるごとに石鹸で手を洗っていたので、劇場の暗闇で『アニマル惑星』を観ているときに隣に座っている父親から「けんごも手ばっかり洗ってちゃダメだぞ」と急に言われたのを覚えている。

熊・交通事故・シャブポルノまんが・かわいい猫。

以上の4つがHIPHOP四大要素ならぬ私の手元のスマホから私の脳みそに刺激がダイレクトに注入される四大要素である。

毎晩毎晩、死にながらスマホをドゥーム・スクローリングし続けることしかできない。

大丈夫!?

音楽がつくれさえすれば、この苦しさはやわらぐはずである。

じゃあ音楽をつくりましょう!さあ!ほら早く!どうぞどうぞ!

どうぞ、おやりなさい。

と思うでしょうが、それで音楽がつくれたら苦しくないのでありんす。

ありんす、ありんす、ありんすと・テレス。

暑くて暑くて毎日なんとか死なずにいることしかできない。

言い訳ばかりして何もせず、それをブログという不特定多数の目に留まる場所に垂れ流して、本当にみじめだね。

明らかにブログの作風 (?) が変わってきているが、それは私の精神の不調のせいです。

窓辺に置きます。

2025年7月25日金曜日

2025年7月25日(金) 悪い奴ほどよく眠る

いい奴ほどよく起きる。

ミッションが逝っちまったパンダの件、行政書士の先生に相談して車屋へ内容証明郵便を送った。

追完請求 (※車が安全に走れる状態まで完全に修理・またその費用を全額負担) および専門業者にて修理不可の診断が下った場合は売買契約の取り消し・全額返金 (ほかこれまでかかった車の保管料などの損害賠償) を要求するというもの。 

内容証明は7/21(月)に向こうへ配達済みとなっているが、まだ何の連絡もない。
さっさと全額返金してほしい。

もし向こうが拒否したら、次は訴訟などを検討しなくてはならなくなりますね。

最近は引き続き精神の調子が非常に悪い。

無のまんがはなるべく読まないようにしているが、平日夜に酒を飲む回数が増えた。

しらふで家にいるのが怖い。本当に恐ろしい。

このくそ暑い毎日でも風呂に入れないのが続き、全身がべたべたしてとても気持ちが悪いので、昨夜がんばって風呂に入った。
風呂なんて普通に入れるでしょ、と元気な人なら思うと思いますが、うつ病を抱えている人にとっては風呂というのは本当に大きな障壁で、入浴するのに多大な労力と精神力を要する。

毎日が苦しい。

今日からフジロックが始まった。

そんなに何回も行ったことがあるわけではないが、私はフジロックが好きだ。

かつてツイッター (現X) でフジロックの思い出をツイットしたことがあったが、今まで行ったフジロックは全て私の中で忘れがたい大切な記憶となっている。

今日は事務所で一人きりなので、仕事の合間にフジロックの中継でトリプルファイヤーのフィールドオブヘブンでのライブを観た。

久しぶりに観た彼らのライブはとてもかっこよかった。

かつては秋葉原のクラブグッドマンなどで私MCビル風と何度も対バンした彼らであったが、今やフジロックのトップバッターを飾る存在である。
言うまでもなく、それは彼らのたゆまぬ努力の結果であろう。

トリプルファイヤーとMCビル風、どうして差がついたのか…慢心、環境の違い。

私は何の努力もしていないし、そもそも音楽をつくる元気もないし、もし元気があったとしても音楽をつくらないし、風呂に入ることもできないし、酒ばかり飲んでいるし、買った車は1か月とちょっとでだめになるし、学校ないし家庭もないし、ヒマじゃないしカーテンもないし、花を入れる花ビンもないし、嫌じゃないしカッコつかないし、

窓辺に置きます。

2025年7月22日火曜日

2025年7月22日(火) go mental


RAMONES / GO MENTAL

I've gone mental
I've gone mental

Out of the hospital
Out against my will
Life is so beautiful
I've gone mental
Mental mental

I've killed my family
They thought I was an oddity
Life is so beautiful
I am a vegetable
Mental mental

I've gone mental
I've gone mental

Staring at my goldfish bowl
Popping phenobarbital
Life is so beautiful
I've gone mental
Mental mental

Sitting on my window sill
Life is so beautiful
I've become irrational
I've gone mental
Mental mental

I've gone mental
I've gone mental
I've gone mental

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ラモーンズ / ゴー・メンタル

僕は精神病
僕は精神病

病院を飛び出した
意志に反して
人生は美しい
僕は精神病
精神病 精神病

家族を殺した
みんな僕のことを気ちがいと思ってた
人生は美しい
僕は植物人間
精神病 精神病

僕は精神病
僕は精神病

金魚鉢を眺めて
フェノバルビタールを飲む
人生は美しい
僕は精神病
精神病 精神病

窓辺に座っている
人生は美しい
僕は正気を失った
僕は精神病
精神病 精神病

僕は精神病
僕は精神病
僕は精神病

訳: MCビル風

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私はラモーンズが好きである。

中2のときにアメリカから来たAET (アシスタント・イングリッシュ・ティーチャー) の先生に「GREEN DAYが好きだ」と言ったらラモーンズのベスト盤『RAMONES MANIA』のCDを貸してくれた。

兄が毎月買っていた雑誌『BANDやろうぜ』のパンク特集号にてラモーンズの存在は知っていたが、CDは持っておらず、聴いたことがなかった。その特集に載っていたセックス・ピストルズやディスチャージは先に聴いていた……ような気がする。

80分のカセットテープに貸してもらったCDをダビングし、来る日も来る日も聴き続けていた。

ロリータ18号というバンドのアルバムをラモーンズのジョーイがプロデュースして、その中にはロッカウェイ・ビーチのカバーも収録されていて、それも買って愛聴していた。

ラモーンズは曲も見た目もキャッチ―だし、まんがみたいな確固とした世界観が確立されており、みんなが愛してやまない存在である。

しかし。熱烈なフォロワー (革ジャンスリムジーンズスニーカー、ところによりマッシュルームカットや長髪等) の存在はダサいしその熱狂っぷりが怖いな、と思っている。ラモーンズに影響を受けたバンドは星の数ほどいると思うが、モロに格好を真似して3コードの曲を演奏するバンドはださいし聴く価値がないと思う。本当にくだらないと思う。関係ないけどブルーハーツをはじめとした数々のバンドで活躍してきたヒロトとマーシーの熱狂的ファンの人たちも怖いなと思う。

真似されるアーティスト本人たちが激キャッチ―で激クールなために宗教的なまでのレベルで熱を上げる人たちがいるのは仕方のないことだと思うが、本人たちが激!極!格好良くて素晴らしいアーティストなのにそのファンの人たちが怖かったり寒かったりすると、だいぶ引いてしまう。

というわけでラモーンズは大好きだけど、真似をするほどラモーンズが大好きな人たちとは相容れないなと思っている私であるが、大学に入って軽音サークルに加入した私はバンドを組んでラモーンズをコピーした。

そこで自分で曲を弾いて歌う段になって初めて、その歌詞のやばさに気づいた (遅い) 。

「やることないヨ~ン、やることがほしいからシンナーが吸いたいヨ~ン」とか、「やることもないし行くところもないし、落ち着かないヨ~ン (落ち着きたいヨ~ン) 」とか、まあ今パッと思いつく例はそんなに出てこないんですが、↑で訳した曲もそうだが、彼らの曲は精神疾患についての歌詞が非常に多い。しかもそれを悲哀とユーモアをたっぷりと交えてポップに歌うもんだから、痺れてしまう。

ラモーンズの歌詞は本当にやばい。あらゆるバンドの中で最も精神疾患について歌ったバンドではないか (※ソースも調べる気もなし) 。

私は昔から言っているが、ラモーンズの全歌詞集というのがこの世に存在しないことを大変遺憾に思っている。早急に出版してほしい。ただラモーンズの全曲の全歌詞を掲載した本。まじでほしい。喉から手が出るほどに。

先日古本屋でボブ・ディランのいまいちな時期のアルバムの曲の歌詞を集めた歌詞集 (海外で勝手に誰かが自費出版したもの) を買ったのだが、同じように誰かつくって出版してくれないか。

ラモーンズはフロントの3人は不動だが (※ディーディー脱退後はCJが加入) 、ドラマーはトミーの次はマーキーでずっとマーキーだと思っていたのだが、メンバーの変遷をまとめたファミリーツリーを見たらもっともっとたくさんドラマーが変わっていて驚いた。

私のラモーンズについての知識なんてそんなもんです。

昨夜精神状態が限界に達して非常につらかったのだが、hikaru yamadaがラモーンズについてツイットしていたのを見て、RAMONES MANIAのCDを再生することにより、少しだけ気が楽になった。

本当にありがとうございました。

2025年7月18日金曜日

2025年7月18日(金) mentally mad・その4

家の洗濯機蛾物故割れた。

スタートボタンを押しても動作しない。
いくらスチャチャチャチャ……!と連打してもうんともすんともいわない。

毎日大汗をかくこの酷暑に家で洗濯できないのは非常にまずい。

買い替えるにしても金がない。

コインランドリーまで行くのが大変に面倒くさい。

どうしてこんなにつらいことばかりが私の身に起きるんでしょうか?

昨日仕事から帰ってきて、溜まった洗濯物を洗濯機にぶち込んだところでボタンを押しても動作しないことに気づいた。

サンヨーの2009年製の洗濯機である。

前の家に引っ越すときにジモティーで8,000円だかなんかで売ってもらった。
それから足かけ8年使い続けてきた。

うちのマンションは築深すぎのオールドスクールなマンションのため、当然のごとく洗濯機はベランダ置きである。
長きにわたり直射日光にさらされ、本体上部に設置されたコントロール・パネルのプラッチックが劣化しパリパリになってしまっている。

しかし、これだけ長く使っていればそれは壊れても仕方がないのかもしれない。

でも。

壊れるものをつくるなよ!!サンヨーさんよォー (固い韻) !!

形あるものはみな壊れるし、生きとし生けるものはみな最後には死ぬが、それはしょうがないが洗濯機は壊れないでほしい。冷蔵庫も。

でかい家電は買い替えたり処分するのが大変に面倒くさいので、壊れないでほしい。

家電メーカーは新製品を出し続けて売り続けるのが商売なのであるが、そんなものはこの資本主義社会のレースに無理やり強いられたふざけたゲームでしかないので、こちとらそんなものに乗るつもりはないので、メーカーのみなさんには新製品をつくる代わりに永遠に壊れない洗濯機をつくっていただいて、このような悲劇が起きないようにしてもらいたい。

くそが!!!!

昨日洗濯機がぶっ壊れたことを受け入れることができず、日が暮れてだんだん暗くなっていくベランダの片隅で洗濯機のスタートボタンを20分くらい連打し続けていた。その後過酷な現実から目をそらすために速攻で酒を飲みに出かけた。

最近自分の身に降りかかる災難があまりに多いため、ストレスが閾値を限界突破している。

家に帰るのが怖い。家で何もできないから。

食事や入浴などをどうにかする元気がない。

ストレスから目をそらすために酒を飲みたくなってしまう。家でしらふでいることができない。
仕事からの帰り道、家で過ごす時間が恐怖でしかないので、毎日めちゃくちゃ暗い気持ちになっている。

自分の家すら自分にとってセーフスペースではない。監獄と一緒である。このプリズンはブレイク不可能。

多大なストレスからくる恐怖と焦燥感からどうやって逃げるか。

酒を飲む以外に、スマホで無のまんがをつい読んでしまうようになった。

無のまんがとはどういうものか。

最近読んだのだと、魚屋の社長を務める夫が不倫してその不倫相手の女性と持ち帰り海鮮丼とパンケーキの店・その名も『海パン』 (バカ) という店を始めるが、ずさん過ぎる経営により破滅へと向かう……みたいなやつ。あと『虐殺ハッピーエンド』という人を殺さないと次の日に進めないので毎日人を殺す、みたいなひどすぎるまんがとか。

そういったIQゼロメートル地帯を爆走するくそみたいな無のまんがの数々を畳の上に力なく横たわったまま読んだりしていたのであるが、シャブみがあるだけで内容がなさすぎるそれらのまんがを読むと虚無が加速して時間はあっという間に溶け、寝不足→翌日また何もできない、みたいな負のループに陥るばかりなのである。

しかし!最近のまんがは中身をチラ見せしていいところで終わって続きが気になって続きを読みたくば課金せよ、と迫ってくるものばかりで、なんか主人公やその大切な人などがえらいひどい目にあって、目を覆いたくなるような残虐な目にあってしまったりして、ああ、これはこのあといったいどうなってしまうのか!?このあとで救いはあるのだろうか!?と気になってしまい、つまりまんがの登場人物を世にもおぞましい残酷なひどい目に合わせて読者に多大なストレスとフラストレーションを与え、そして金を払った先で読めるページにて不倫した夫とその相手を地獄に落としたり、愛する者を殺した悪者を八つ裂きにしたりして惨殺することにより、読者が受けた多大なストレスとフラストレーションをスカッと晴らす、という定型のパターンが確立されてしまっている。

これってマウスの脳に刺激を与えるとか猿にボタンを押させてランダムにえさが出てきてボタンを押すとえさが出てくることを覚えてその成功体験に病みつきになり猿をただボタンをスチャチャチャチャ……と連打させるだけのボタン連打機にしてしまうひどい実験と何が違いますの?

そんなくそみたいなシステムで運用されているくそまんがに課金などしたくないためネットでネタバレなんかを検索すると (ネタバレを検索するのかよ) 、やはりこのようなシステムを批判する人たちが山のようにいる。その中で、そのような読者に強いストレスを与える→その後でスカッとさせる、という仕組みの無のまんがのことをただのポルノだと言っている人がいて、そうだねと膝を打った。

このようなまんがはただのシャブ・ポルノである。

登場人物が嫌な目に遭い、本当に最悪の地獄のような嫌な目に遭い、そしてその人物をそのような目に遭わせた悪者をこれまた最悪の目に遭わせることにより、読者は溜飲を下げる。脳みそから何かしらの快楽物質が出るのを感じるが、それってシャブでしかないし、ただのポルノでしょ。

人の心を動かす表現って、そういうものじゃないでしょ。

私は近年の文化のシャブ化をなんとなく憂いている。

脳がストレスを受けてその後スカッとして、ただひたすらそれを反復する。

その先に何があるのか?

何があるのかは私には分かりませんが、私は憔悴しております。脳が疲れている。

朝も起きられなくなってきた。起きなくてはやばい時間なのに布団から出ることができない。寝るのが遅いせいもあるんだけど。

昨夜もシャブ・ポルノまんがを読んでしまい (結局読んでるのかよ) 、時間ばかりが溶けて心底嫌な気持ちになったが、ふとジョジョ第6部のプッチ神父のスタンドってやばかったよな……と思ってそれについて調べていたら、寝るのが3時過ぎになってしまった。

ジョジョ第6部は私が実家にいたころに兄が買っていたジャンプでリアルタイムで読んでいたが、正直話が大変にむつかしいので流し読みしていた。ただなんとなくこれはすごいものを読んでいる、という感覚だけはあったのを覚えている。

荒木飛呂彦先生は誰もが認めるトゥルー・ジニアスである。先生は現代のシャブ・ポルノまんがのことをどう思っているのだろうか。創作で忙しくて別になんとも思ってないか。

何を書いてるんだかわけが分からなくなってきた。

とにかくつらい。苦しいです。

2025年7月17日木曜日

2025年7月17日(木) was it all a dream

私のパンダはもうだめです。

4月の末に納車になったパンダであったが、そこから1か月後の6月頭に遠出した際、高速道路に乗るときアクセルを踏んでもエンジンの回転数が上がっているのにスピードが時速90kmより先に加速しない、という症状が出た。
パンダのオートマCVTミッションが、アクセルを踏んでもシフトアップせず、ギアが滑っているのである。

この症状はオートマのパンダセレクタにあるあるの故障と言われており、CVTは普通のオートマの機構とは異なり、2つの円錐状のプーリーに渡されたベルトがアクセルの踏み込み具合によりプーリーの径を変えながらスピードを変えていくという無段変速の機構である。
作りがかなり複雑なため、CVTがだめになったら修理というのは基本的にはできず、別のCVTのミッションを持ってきて丸ごと乗せ換えるしか直す方法がないのである。

しかし。

パンダは古い車なので当然のごとくメーカーのパーツ供給は終了しており、中古のミッションを探して乗せ換えるしかないのであるが、それが出てくるのはツチノコを発見するよりも確率が低く、また見つかったとて正常に動作するという確証もなく、また乗せ換える場合もパーツ代込みで4~50万円くらいかかるという。

パンダのCVTが壊れたら、それは全ての終わりを意味する。

ギアの滑りを確認した私は気が動転してネットで調べまくってあらゆる整備工場へ問い合わせた。
しかし、無情にもどこの店からも「パンダのCVTの故障はパーツが手に入らないため修理不可・うちでは扱えない」との答えばかりが返ってくる。
ひどいところ (神奈川某所にある某店) では「まだ走るうちに売った方がいいですよ」と言われ、車を買ったばっかのやつにそんなこと言うか!?と思い、心底腹が立って絶叫しながら目の前のPCのモニターを破壊した。

しかし。

あらゆる店から修理を断られる。
とりあえず見てもらう、ということさえできない。
しっかり車を見て調べてもらわない限りは、ミッション本体がだめになっているということは判断できないのに。
私はミッション本体が逝っちまったのではなく、ミッション周りの不良、例えばCVTオイルを交換することにより直ったりしないか、ということに一縷の望みをかけていた。

奇跡的に茨城にあるパンダに強いお店から「うちで見るだけ見ることならできますよ」、という返答をもらい、腹部を鉄骨が貫通している状態で全裸でパルクールしながら手負いのパンダを運転し、常磐道を北へひた走って車を預けてきた。
「今整備が立て込んでいるので見積を出すまで1か月くらいかかる」と言われたので、家で全裸で正座しながら火球待機する。

パンダを買った店は全てがずさんで何の知識もない役立たずのごみくそ販売店なので、何も期待していない。
一応状況について販売店に連絡するが、車は現状販売のため補償はできない、と壊れたbotのように同じことしか言わない。こちらでもミッションのパーツを探してみますよ、などとツチノコ捕ってきますよ、と同等の実現不可能なことを軽い感じでただ言うだけだった。くそが。

ネットでフィアット愛好家の集う海外のフォーラムなどを調べまくったが、パンダセレクタのCVTは『die young or live forever』らしい。

私のパンダのCVTはdie youngしちまったのか?

そして7月11日の金曜日。

パンダを預けた茨城の店より修理見積の連絡あり。

・ドライブシャフトブーツ要交換 (3,500円)
・タイミングベルト要交換 (9,000円)
・ウォーターポンプ要交換 (25,000円)
・オートマオイルクーラーホース2本要交換 (9,000円 x 2 = 18,000円)
※括弧内は部品代・工賃はおおよそ10万円 (修理を進めていくうちにプラスになる可能性あり)
合計155,500円

・フロントブレーキの片効きでハンドルが取られる・フロントブレーキキャリパーの固着あり

・高速道路で試運転したところ、やはりオートマCVTのミッションが不良 (エンジンの回転数が上がっても加速しない・ギアの滑り) その症状を確認
※部品はもう出ないため中古のミッションを探して乗せ換えるしか方法がない
もし中古でミッションが見つかったとしてもそれが動作するかは確証がなく、交換するとしてもパーツ代含め4~50万円かかるだろうとのこと。

つまり事実上修理不可能。

その辺を走るくらいなら大丈夫そうだけど、とのことだったが、高速道路に乗れない車って何。
ミッション回りを155,500円かけて修理したところで、ミッション本体が逝っちまっている手負いのパンダである。

何の意味もない!何の意味もない!

私の頭の中の小島よしおが叫んでいる (小島よしおのカチョマンテ) 。

もし茨城のお店でこのパンダを引き取ってもらえるとしたらいくらくらいになるか、と尋ねたところ、やはりミッションがだめになっているので10万円、とのこと。

前のオーナーがメンテナンスを怠ったからミッションがだめになったんだろうね、とのこと。

車を買ってからのこの2か月半はいったいなんだったんだ。


夢?


今年も海へ行くって
いっぱい 映画も観るって
約束したじゃない
あなた 約束したじゃない
会いたい…


突如チカコ・サワダのクラッシック、『会いたい』の歌詞を挿入したが、パンダの終わりを告げられたときに脳内でこの曲が流れた。

このパンダで楽しい思い出をたくさんつくるはずだったのに。どうしてこうなった。

私が悪いんか?

っていうかパンダが入院している期間も長かったしその回数も多かったし、両手で数えるくらいしか乗ってないが?

何もあてにしていないが販売店に茨城のお店からもらった修理見積の内容と金額を連絡。
初めて買った車がこのようなことになり大変ショックを受けている、販売店として何か補償などしてもらえないのか。
そう尋ねると、「現状での販売のため、補償はできかねます」との返事。

現状販売現状販売ってよォー、それは魔法の言葉なんか?

現状販売の車を買ったこっちが悪いんか?

売りに出てたパンダの中で一番安かったのを買ったのが間違ってたんか?

普通のSUVとかワゴン車とかを扱ってる車屋の隅になぜか1台だけぽつんと置かれていたパンダを買ってしまったのが悪いんか?

海は死にますか?

山は死にますか?

くそごみかす販売店から車を購入した際、誤字のある請求書 (こちらの住所の漢字が間違ってる、車種がパンダセレtクター※原文ママ※になってる) を1枚もらった以外は何の書面も交わしていない。

いい勉強になった。

で済ますにはあまりに金額が大きすぎるし残念すぎる。

くそすぎる。

販売店いわく、補償はできかねるが少しでも春村さんの相談に乗れるように、負担を減らせるような協力をさせていただければとは考えています、とのこと。

パーツ代と修理代の3割を負担してくれるらしい。

だ・か・ら、さぁ~~~~、(GREEN) DA・KA・RAさぁ~~~~、ミッションのパーツ出てこないって言ってんじゃん。ミッション回りを修理したところで高速乗れないじゃん。
CVTの故障を放置すると最悪車が動かなくなるらしいし、ネットで調べても『CVTの故障は買い替え一択!』という元気のいい絶望的な文言が目に飛び込んでくる。

もし車を引き取ってもらうならいくらになるか、と聞くと、春村さんの心情を踏まえた上で、10万円よりは出せると思います、との返答。

現在金額の連絡待ち。

とんだピエロじゃねえ~か。

車買ってはしゃいでたら、2か月半で終了。
両手で数えるくらいしか乗ってない。

笑ってやってくれ。m9(^Д^)プギャーって。

消費者センターにも電話した。消費者センターから紹介された日本中古自動車販売組合連合会とかいうばかみたいな名前の機関にも相談した。
買って2か月乗った後だとだめ (補償はしてもらえない) かもしれませんね、という返答だった。まじで何の役にも立たない。

車好きの友人からは、とりあえずその販売店はくそだが、もう割り切って155,500円かけてミッション回りを修理して、そのパンダは街乗り用として使って清澄白河の喫茶店などに行ったりするだけにしたらどうか、というアドバイスをもらう。

何も分からなくなった私は、考えるのをやめ、とりあえず酒を飲むことにした。


※今回大分トリッキーな文章表現になってしまったが本来このような文章は自分で好きではないがライブ感を重視したためというかライブで書かないと書ききることができなかったためこのような文章と相成りました。



―続く―

2025年7月2日水曜日

2025年7月2日(水) material boi

家に物が多すぎる。

聴かないCDレコード、観ないビデオDVD、読まない本雑誌、使わない機材の数々。

家に物が多いとただ膨大な物が自分の周りにあるというだけでそれにより多大な脳みそのリソースが割かれているように思う。
脳みそが散らかった気分になり、それらを聴いたり観たり読んだり使ったりしなくては、という謎の焦燥感とプレッシャーに襲われる。

じゃあいらないものを売るなり捨てるなり処分したらいいじゃない、と思うでしょうが、それができたらこんなに物ばかり増えていないわけです。

昔、何かの用事で滅多に行かない埼玉の真ん中の方へ行くことがあり、どうせ行くなら、ということでブックオフとハードオフを訪れた。

ディグした膨大な量の100円CDを用いてDJをすることで有名な方がいるのだが、その人に感化され、なんか未だ見ぬ未知の (頭痛が痛い構文) 音楽に出会えたらいいな、くらいの感覚で100円CDをたくさん買ったろ、と思ってのことだった。
ハードオフは大抵駅からは離れたところにあるので、わざわざバスに乗ったり少々長い距離を歩いたりして店まで行った。

店ではとにかく気になったものを片っ端から買い物かごにぶち込んでいき、多分150枚くらい買った気がする。1枚100円 (税込110円) としても16,500円の買い物である。
150枚ものCDを手で持って電車に乗り持ち帰るのは非常に大変だった。20枚くらいの山を4つつくり、巨大なビニールの手提げ袋に入れ、それを2袋持ってえっちらおっちら駅まで歩いていき、電車を乗り継いで帰るのはまさに苦行であった。

さて、そんな大金を使って大変な思いをして持ってかえってきた大量のCDはどうなったでしょうか?

そう、皆さんお察しのとおり、大半のCDをろくに聴かぬままその巨大なビニール袋に入ったままで家の片隅に放置されていたのである。

大量のCD (しかも聴く前から大体がろくでもない内容なのは分かっている) が家の片隅に鎮座しているのはあまり気分のいいものではない。

音楽に貴賎なし。と私は思っているが、音楽に貴賎はないがくそな音楽はくそである。

まあ、いつか聴くでしょう、と思って放置していたのであるが、1日1枚聴いたとして、全部聴き切るには150日かかる。
くそな音楽を聴くために割く時間は残念ながら私にはなかった。同じ時間を消費するのであれば、くそな音楽を聴くよりはかっこいい音楽や素敵な音楽を聴きたい。

100円のCDを150枚買った後も、私は他のかっこいいCDや素晴らしいレコードもコンスタントに買っている。そちらを優先して聴きたくなるのは当然である。

というわけで、もしかしたら未知の素晴らしい音楽が眠っているかもしれない100円CDの山は、CDプレイヤーにセットされることのないまま眠り続けていたのである。

私の住むマンションは4畳半と6畳の2間の2Kの間取りである。4畳半の部屋にエアコンが設置されているため、そちらを居間兼寝室兼たまにボーカルを録音するスタジオバカとして使っている。
6畳の部屋には大量の機材がセットされ、音楽を制作するためのスタジオバカ別館として使っている。

どちらの部屋にも大量のCDレコードがある。それらは棚に収納されていたり、収まり切らない分は床に直置きされている。

以前友人が私の家に遊びに来た時、部屋が狭すぎる、物が多すぎる、としきりに言っていた。
ベランダに出たとき、ベランダが一番広い!と言って驚いていた。歩ける!と言っていた。

4畳半の部屋も6畳の部屋も、歩けるスペースは非常に少ない。なぜなら床に物が置いてあるので。

私はかっこいい音楽や素敵な音楽が収録されているCDやレコードを買うことがライフワークの一つなので、それらは無限に増えていくばかりである。
お金に困ったら聴かないものを売ったりしているが、基本的には売らない。

コレクターが無限にコレクションを増やしていくことは現実的には難しい。収納スペースには限界がある。
今までツイッターなどで公言したことはなかったが、私は数年間レンタル倉庫を借りていた。かつて住んでいた1Kの間取りのマンションには所有する大量の物たちが収まり切らなかったため、苦肉の策であった。
レンタル倉庫の2畳の部屋に、レコードが60枚くらい入る段ボール製の収納ボックスを12箱くらい置いていた。
単純計算でレコード720枚。ほかにCDやレーベルの在庫も置いていたので結構な量であった。

車購入に伴い毎月の駐車場代を捻出する必要があるため、そのレンタル倉庫は解約した。
倉庫に置いていた大量のレコードは、金に困って売りまくったので倉庫を引き払うときには全部で5箱くらいにまで減っていた。
その残った5箱のレコードは今の家の2間の部屋どちらにも置くスペースがないため、あろうことか台所に積み上げてある。レーベルの在庫は風呂場の入り口横に積み上げた。

ということで物を減らさないと頭が変になってしまいます、ということで、ハードオフで買った大量の100円CDをどうにかしましょう、となったんだけど、ケースにハードオフの110円という値札シールがべったり貼り付けてあるもんだから、ディスクユニオンに売るのは一寸 (いっすん) ためらわれる。どうせ値段の付かない1枚10円で引き取ってもらうことになるものばかりだろうからどうでもいいといえばそうなのだが、何となく気になる。
キャッチアンドリリース、ということで、釣った魚を川へ帰すように、ハードオフで買ったCDはハードオフへ持っていけばいいのでは?と思ったが、現在車が入院中のため無理である。

ということでブックオフの宅配買取を利用することにした。
スーパーでいらない段ボール箱を何枚かもらってきて、あとはいらないCDをひたすら箱にぶち込んでいくだけである。はは、楽勝。

そう思ったのであるが、いざ作業を始めると聴いてもないCDを次々箱にぶち込んでいくというのが自分にはできず、大変困惑した。
なぜできないのかというと、そのCDに未だ見ぬ未知の (頭痛が痛い構文) かっこいい音楽や素敵な音楽が眠っていたらどうしよう、という不安によってである。

ということで、愚かなことに1枚ずつ聴きながら選別を始めてしまったのでもうおしまいである。
といっても1枚通して聴いていたら日が暮れてしまうので、冒頭1曲かけてダメなら即箱にぶち込む、というスタイルにした。

それにしても。90年代~2000年代初頭にかけて雨後のたけのこ状態で無限にリリースされた判で押されたような全部似たり寄ったりの内容の大量のR&B系CDの多さに辟易した。買ったのは自分ですが。
胸キュン系のメロ~なR&Bチュ~ンは好きですが、私の好きなプロデュースチームであるUNDERDOGSワークスだけあればいいかもしれない。そう思い、大半は処分することにした。デスチャのアルバムに私の大好きなMASTER P御大が参加しているのに気づいて聴いてみたらかっこよくてくらったが、デスチャのCDを家に置いておかなくてもいいよな……と思う。置いといてもいいんですが。

THE BOOMのCDや久保田利伸のCDなど大量に買ってきているが、果たして自分の人生でこの先彼らの音楽を必要とする日がくるのだろうか?THE BOOMのリミックス盤にMAD PROFESSORリミックスなどが入っているのは非常に興味深いが、いまいちCDプレイヤーにセットする気になれない。
彼らの代表曲である『風になりたい』や『LA・LA・LA LOVE SONG』などは誰もが認める激!極!クラッシックであるが、クラッシックすぎて別に家で聴かなくてもいいというか、説明が難しいが、とにかくなんだか聴く気になれないのである。

110円で投げ売りされているCDは過去に爆裂大ヒットしたため売れまくったのでそのような値段で流通というかハードオフの店頭まで流れ着いてきたのだと思うが、そういったCDの絶妙な聴きたくなさ・聴かなくてよさというのは説明が難しい。同じ1時間を使うなら別のかっこいい音楽や素敵な音楽を聴きたい。

ということでちんたらCDの選別をしていたら脳みそがひどく疲れてしまった。
挙句レコード棚 (普段は積んであるCDのタワーたちの背後に隠れていてアクセスすることができない) に気が行ってしまってCDの整理選別そっちのけでレコード棚の整理が始まってしまった。
棚に刺さっていた80年代終わりや90年代初頭の得体の知れないオブスキュアなマイナーhiphopの12インチの数々にくらくらする。こんなのこの先聴くことあるのか?

しかし愚かな私はまたそれらの12インチをターンテーブルに乗せて聴きながら選別を始めてしまったのでもうおしまいである。
大半が今後私の人生において必要な音楽ではない、という判断となったため、ユニオンの宅配買取用の段ボール箱が半分埋まるくらいの量を棚からなくすことに成功した。

とにかくCDレコードが多すぎて気持ち悪くなってきた。

私は家の片付けというのが非常に苦手で、それはあれこれ考えながらやるので脳みそが非常に疲れるからで、だけどごみ捨てとかはちゃんとするので部屋中に飲みかけのペットボトルや空き缶、お菓子の袋とかのごみが散乱しているということは全くないのであるが、とにかく物が多いので家の中が雑然としている。雑然としている中でも多少の秩序がないと片付いて見えないので床に直置きながらもある程度の秩序を保って物を並べている。
だけどCDレコードに一切興味ない人から見たら全部ごみというか不要なものにしか見えないと思う。

私の住むマンションは築深すぎのため来年3月いっぱいで取り壊すことになり、それまでに引っ越さなくてはならない。
その来るXデーのために、少しずつ物を減らしていかないとまずいのである。

100円CDの処分が終わったら今度は普通のCDレコードも減らしていきたい。できる気がしないが。

40過ぎると自分に残されている時間というのはどうやら限りがあるらしいみたいなことを少し思うようになってきて、くそどうでもいいものに割く時間やパワーというのが非常に無駄に感ぜられるようになってきた。
コスパやタイパなどという考え方とは無縁でいたいと思うが、それでも自分が本当に好きなものにだけパワーを使いたいというか、とにかく脳みそをすっきりさせたい (?) 。

ツイッターで以前ある人がコレクターというのは無限に物を増やし続けられるものではないので、必然的に不要なものを処分していくためコレクションがどんどんソリッドになっていく、とツイットしていた。

私のコレクションはもちろん最高なものも多いがいいんだか悪いんだかよく分からないものはその3倍くらいあるかもしれない。
自分のコレクションをソリッドにする日。来るのでしょうか。引っ越すタイミングでそれになっていられるようにがんばりましょう。

2025年6月26日木曜日

2025年6月26日(木) mentally mad・その3

毎日暑すぎる。

この国の酷暑を生き延びるためにはエアコンの使用が不可欠だが、寝るときの温度・風量の設定が非常に難しい。
温度 (テレビ大陸温度) を高めにすると寝苦しいし、低めにすると明け方とかなんか寒い気がする。

ジャストの設定を見つけることができていないため、睡眠がくそになっている気がする。
そのせいであまり疲れも取れない。

前回の記事に書いたが、誤嚥性肺炎にかかり入院してしまった私のおばあちゃんは、入院から一週間もかからぬ内に無事退院した。その生命力に感服する。がんばったね。おばあちゃんが元気になって本当によかった。

私の車は現在修理点検のため車屋に預けてある。

どこの整備工場に問い合わせてもうちでは修理できません、と断られてしまい、唯一見るだけ見てみますよ、という返答をくれた、茨城 (!) にあるパンダに強いお店に頼みました。茨城、遠いね。常磐道を北上しました。

私が店に着くやいなや、そこの社長さんがおもむろに私のパンダのボンネットを開けてエンジンルームを見ていわく、ああ、オイルが漏れてるね、とのこと。あとバッテリーが変なのが付いててこのまま使ってると発火 (!) するよ、とのことで、それが分かっただけでもこのお店に頼むことにしてよかったと思った。
それにしても修理にいくらかかるのか今からとても怖い。怖すぎる。
車を預けた後は電車で2時間半 (!) かけて帰りました……。

それにしても。

車のない生活というのは正直快適である (!?) 。
何より運転しなくていいのがいい (!?!?) 。
車が手元にない以上車を運転できないので、事故を起こしてしまうかも、人を轢いてしまうかも、という非常に強い恐怖とストレスを感じなくて済むのがいい……。

車売ったほうがいいんじゃないの!?

私には何も分からない。

私は手元にある音楽制作のための機材などが壊れているのが非常に嫌いである。

何とかして使える状態にしたい。いつでも安心して使えるようにしたい。
という強い欲求に突き動かされ、すぐに業者に修理に出すなり自分でできそうならDIYで修理を試みる。
私は手先が不器用なので、自分で修理しようとして機材を物故わしてしまうことが今まで何度となくあった。
自分で物故わしてしまったときはめちゃくちゃ悲しく絶望的な気分になる。お金はかかるが業者に依頼するのが確実である。
ただ、機材直っても直ったことに満足しちゃってそこで終わってしまってその機材を結局使わなかったりするんだよね。
直した意味ないよね。

ということで今回車が不調になるや否や直ちに修理してくれるところを探して片っ端から問い合わせ、見てもらうことにしたのである。

しかし。

それが自分の体のこととなると、てんで無頓着というか、私の中で自分の健康についての優先順位が非常に低い。

左足の痺れを放置している。

先日受けたMRI検査の結果、腰には特に異常はなかった。
整形外科の先生も検査結果を見ながら首をひねっていた。

出される薬を飲み続けていても特に何も変わらないので、かかっていた整形外科も行くのをやめてしまった。

ストレッチ整体なるところに行って2度足の施術をしてもらったが、治らなかった。
おじいちゃん先生がもう治ったでしょ、もう全然痺れてないでしょ、としきりに言うので、まだ治ってないが……と思いながらもそうですね、大分よくなりました、と誰の何のためなのか全く分からないウソをついて、そこにも行くのをやめた。

パートナーからは別の整体や鍼灸などを受けることを勧められているが、えらい腰が重く、まだ何のアクションも起こしていない。

自分でおかしいね、と思う。

ジャンクで買った機材が正しく動作しないとどうにかしてこれを復活させたいという強い欲求が働いてすぐにでもどうにかして直したくなるが、自分の足がずっと痺れているのについてはそのように強く思わないのである。

自分を大切にすることが昔から非常に苦手である。

それについて色々書こうと思ったけど、続きを書く元気がありませんので今日はここで筆を置かせていただきます。

お読みいただきありがとうございました。

2025年6月11日水曜日

2025年6月11日(水) mentally mad・その2

生活が苦しい。

正確には生活することが苦しい。

金がないのはもちろんだが、何より生活にまつわる諸々をするのが非常に苦しい。

仕事から帰ってきて夕飯をどうにかするのが大変に苦痛である。
いや、昼間仕事の中で昼食を食べることも大変に苦痛だ。

何より何も食べたいものがない。
昼食は毎日会社の近所の my basket で鶏むね肉の棒棒鶏風サラダと魚肉ソーセージとおにぎりをひとつ食べている。 毎日毎日毎日。もう食べたくないな……と思いながら、それらを手に取りレジに並んでいる。

そんなにうんざりしているなら別のものを食べればいいじゃない (パンがなければお菓子を食べればいいじゃない) 、とマリー・アントワネットじゃなくても思うでしょう。

だけど、どうせうんこの塊みたいなうんこ弁当 (全ての食べ物は最終的にはうんこの塊になる) を食べるよりは、少しでも体にいいものを食べたほうがいい、という強迫観念的なものもあり、結果毎日同じものを食べている。

夕飯も、(1). とにかく金がかからず (2). とにかく調理の手間がかからず (3). 少なからず栄養のあるものを、ということで、毎晩小松菜カレーを食べている。豚肉と小松菜を炒めてレトルトカレーに乗せ、納豆と生卵を乗せて食べるというバカみたいな食事である。

うんざりしている。

金があれば外食できるが、金もないし、そもそも食べたいと思うものがない。

しかし生きていくためには何かを食べないといけない。何も食べなければ動けなくなってしまう。

では動けたからといっていったい何をするというのか?

精神的・肉体的な疲労により何もできず、畳の上に転がって無限にスマホをドゥーム・スクローリングし続けるのが関の山である。

私はアンドロイドを使っているのだが (現代のティーネイジャーはアンドロイドを使っているだけでいじめられるらしい、真偽不明) 、ホーム画面を右にスワイプすると、都度最新のネットニュースが一覧で表示されるようになっている。

そこで目に飛び込んでくるのは、毎日のように日本全国で交通事故で人が死んでいるニュース。また毎日のように日本全国で熊が出没しているニュース。

とにかく毎日人が死んでいる。車のせいで。
なぜか海外のニュースは私のスマホには表示されない。ガザの虐殺やロシア・ウクライナの戦争など毎日海外では地獄のようなことが続いているが、それは私の心に暗い影を落としているが、それよりも日々私の心を暗くするのは交通事故のニュースである。

車を所有していなかったころはこのようなことはなかった。

また交通事故以外でも強盗殺人やなんかよく分からない理由で人が人を殺すニュースなども流れてくる。

以上のように悲惨なニュースが羅列される中、かわいい猫のほのぼの紹介記事なども混ざって流れてくるもんだから、本当に頭がおかしくなってしまう。

毎晩のように何もできぬまま人が死ぬニュースとかわいい猫の記事を脳みそに注入し続けている。

世界は狂気のシステム。と歌ったラッパーがいたが、世界は狂気のシステムである。

そんなにつらい気持ちになるならニュースを見なければいいのでは?と思うでしょうが、では他に何ができますか?
脳みそが終わっているので本は読めないし、機材をいじって音楽をつくる元気もない。

平日元気もモチベーションも皆無のまま何とか力を振り絞ってどうでもいい食事をこしらえ食べた後は、もう何もする気になれない。
ただネットのニュースにより脳みそが疲弊し、心も傷つけられ、うだうだしてるうちに0時近くなっている。

翌日の日中をある程度まともな状態で過ごすには、それなりにまとまった睡眠時間を確保しなくてはならない。ので、0時前後には布団に入らないといけない。それすらままならないことも多いが。
平日の夜が、単なる翌日のための待機時間になってしまっている。

では翌日何が起こるのか?

死にながら働き、くそみたいな食事をとり、くそみたいなニュースを脳みそに注入し、またその翌日のために寝るだけである。

「繰り返す日々に何の意味があるの」、とナナ・フィーチャリング・ミカ・ナカシマも『グラマラス・スカイ』という曲で歌っていたが、本当に苦しい。

いったいこれは何なんですか?

毎日生きているのが苦しい。

足のしびれが治らなかったり所有する車の調子がおかしくなったり (そう、またおかしくなっている、今度は走行系がおかしい) しており、不運 (ハードラック) と踊 (ダンス) っちまっている日々なのであるが、パートナーがもしかして厄年なのでは、と言って、私は3月で40歳になったのだが、前厄は41歳でしょ、と思い気にしていなかったのだが、厄年というのは満年齢ではなく数え年で見るシステムらしく、まんまと私は今年前厄なのでありました。

ということでパートナーの助言により先日神社で厄払いを受けてきた。車の交通安全祈願も一緒にやってもらいました。

色々と靴の中に小石が入りっぱなしになってしまっているような、なるべく小さな不幸せが次々と自分の身に降りかかっている日々だが、昨夜叔母さんより連絡があり、大好きなおばあちゃんがなんと誤嚥性肺炎で入院してしまったというのだ。

おばあちゃんは今年の9月で96歳になる。早くよくなってほしい。

まじで毎日が苦しい。これがミッド・ライフ・クライシスというやつなのか。なんか違う気もするけど。

毎日音楽は聴いているが、残念ながら今の自分を救ってはくれないようだ。

このブログ、もはや日記でも何でもないが、今の自分にはアウトプットできる場所がここにしかありません。

お読みいただきありがとうございました。



2025年5月30日金曜日

2025年5月30日(木) 春村謙吾のしびれ・その2

前回までのあらすじ―

なんか知らんけど3月の終わりくらいから突然左足の小指~かかとくらいにかけて常にピリピリと痺れを感じるようになってしまった春村謙吾であったが、整形外科の先生曰くひとまず薬を飲んで様子を見ましょう、痺れが取れるまで2~3か月はかかるのでじっくり治療していきましょう、ということになった。

ということで薬を一か月くらい飲み続けても特に症状に変わりがなかったので、一度精密検査を受けてください、ということになり、先日専門の医療施設へ行ってMRI検査を受けてきた。

ECDの最後の著書『他人の始まり因果の終わり』で、癌で闘病していたECDがMRI検査を受けるくだりがあったのだが、そこでの描写が凄まじかったのを覚えている。

ECDは激しい闘病により弱り切った体でMRIを受けるのだが、MRIの機器の内部に台上で横たわった状態で入っていき、検査中機械の動作音が爆音で鳴り続ける。機器の内部で横たわり検査を受けるその間、弱り切ったECDが耐えかねて「助けてーっ!」「死にたくないよーっ!」と絶叫し続ける、といったものだったと思うが (うろ覚え) 、私が自分でMRI検査を受けることになり、その壮絶な描写を思い出して震え上がっていた。

ということで検査当日。朝一の検査を予約したため、普段仕事へ行くときよりも早く起きて、支度をしてクリニックへと向かう。

クリニックへ着き、簡単な問診を受けた後、検査着に着替えていざMRIの機器が鎮座ましましている部屋へ。

そこはスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』さながらのような気もしないでもなくもないような部屋のど真ん中にでかい機械があり、なんでも台の上に横たわってMRIの機器内部に吸い込まれていくらしい。

私はびびっていた。問診のときに閉所恐怖症ではないですか、と問われていたので自分は特に閉所恐怖症の気はないが、そう聞かれると急になんだか狭いところに数十分の間閉じ込められるのが怖いような気がしてきて不安が加速する。

台上には頭の形にくりぬかれたような頭部を固定する部分があり、そこに頭を入れて横になるのだが、検査中は大きい音が鳴るのでヘッドホンをしてください、と言われてヘッドホンを渡される。ヘッドホンをした状態で頭がスポッと固定部にぴったりはまるので、ぴったり……と思った。ヘッドホンからは検査中の不安感を和らげるためにイージーリスニングの穏やかなピアノ曲が流れ続けている。検査の間、目は開いててもつぶっててもいいですよ、とのこと。

そしていざ検査開始、ということで、台がウイーンと動き出し、巨大な筒の中へ。

せ、せまい……。すぐ目の前には白い婉曲した壁がある。

自分は閉所恐怖症ではない、そう思っていたが、いざMRIの機器の中に突っ込まれると、なんだか怖くなって呼吸が浅くなり息苦しい感じがしてきた。

ヘッドホンから流れ続けるイージーリスニングのピアノは私の不安感をなんら軽減するものではない。もっとなんかユーロビートとかEDMとかのBPMの速いぶち上げパーティーチューンを爆音で流してほしい。

強い不安感と息苦しさにより、私は迷わず固く目を閉じた。

ヘッドホンの向こうからピーーーーーーーとかガーーーーーーーーとかゴウゴウゴウとかのインダストリアル・ノイズが爆音で鳴っているのが聞こえてくる。
私はWHITEHOUSEなどのパワエレとかノイズとかのCDレコードを若い時分に収集しており、ノイズ・ミュージックに多少慣れ親しんでいたので、そのノイズはさほど不快ではなかった。

早く終わってほしい、とただ祈っていたのだが、今度はそのうちに便意を催してきた。おならがしたいのだが、検査中は動くな、と言われていたので身体を動かしておならの気をそらすことができない。

それにしても、足が痺れていること以外はなんら身体に異常のない健康体の自分でさえMRI検査はしんどいのだから、もっと大変な病気を患っている人にとっては大変負担の大きい検査であろう。

ECDのことや、私の大好きなおばあちゃんのことを思う。うちのおばあちゃんは健康だが。

15分~20分くらい筒の中にいただろうか?検査終わりです、と告げられ、自分の横たわっている台がウイーンと動き出し、筒から出された。

検査着から着替えて待合室で10分ほど待ち、検査結果のデータの入ったディスクを渡されて終了。保険適用で検査費用が8,000円近くかかり、血の涙を流す。

今度はこの検査結果を持って通っている整形外科へと行って先生の話を聞かなくてはならない。

めんどくさい……し、もしMRI検査で大きな問題が見つかっていたらどうしよう。手術とかになったらどうしたらいいんだ。怖すぎるし嫌すぎる。

次回へつづく―

2025年5月21日水曜日

2025年5月21日(水) みんな元気か

「BRKZ spit the flow みんな元気か みんなって誰? I don't know...」

というリリックが『MCビル風のテーマ』という曲の冒頭であるのだが、自分で自分のリリックを引用するようになったら終わりだが、私はラッパーとしてはもう終わっているので構わない。

みんな元気か (みんなって誰) ?

私にはかつて大勢の友達がいたが、今はそのほとんどと疎遠になり、友達と呼べる人もだいぶ少なくなってしまった。

かつて私の友達が、人と人との関係というのは惑星の配列のようなものだ、と言っていた。
それぞれの軌道で周回し続ける惑星たちが、偶然に近づき、そしてまた離れてゆく。

私にそう語ったその人とは、ずいぶん昔に私のせいで絶交されてしまった。笑うしかない。
もう一生会うこともないだろう。

周知のとおり生きとし生けるものみな全て最後には必ず死ぬので、好きな人や会いたい人にはできるだけ会ったり連絡を取ったりしたほうがいい。死んだら会ったり連絡を取ったりすることができないので。

好きな人たちのことを考える。

先日DEV LARGEとLarge Professorの対談が読みたくてFRONTという古い雑誌を某ルカリで購入したのだが、その雑誌に連載されていたDEV LARGEのコラムにてNIPPSからのラブ・ポエムが掲載されていた。
NIPPSの言葉遣い・言葉選びがILLすぎて読んだら度肝を抜かれたのであるが、そこでNIPPSはnothing changes but 天気、という文句を連発していて、要するにこちらは特に変わりなくやっているよ、変わるのは天気くらいだよ、というくらいの意味だと思うが、韻を踏んだその語感は常時あいさつとして使いたいくらいのキャッチ―なものであるが、果たして変わらないものなどあるだろうか。

「いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか」とヒロト・コウモトが『情熱の薔薇』という曲でうたっていたが、「あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が今はもう通わない」とザ・フォーク・クルセダーズのカズヒコ・カトウとオサム・キタヤマがうたったとおり、この世に変わらないものというのはおそらくないと思われる。

「僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ ただひとつ 今も思い出すよ」とバンプ・オブ・チキンのモトオ・フジワラが『天体観測』という曲でうたっていたが、私も元気でいるし、しかし心配事は金がないことをはじめ色々あるが、ただひとつ今も思い出すし、宛名の無い手紙も崩れる程重なっているのである。

私が何を言ってるのかわからねーと思うが、催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねーのである。
「神様 時間止めて」とザ・コレクターズもうたっていたが、時間を止められるのはディオ・ブランドーと空条承太郎の二人だけであるし、また彼らはまんがの登場人物である。

それぞれの軌道で周回し続けている惑星たちが、今日もまた近づいては離れてゆく。
それぞれの置かれた場所で花々が咲いている。

年齢を重ねるにつれ、それぞれ各人の置かれている環境・生活というのは変わっていくものであるし、会うのが困難になる場合もある。

いつまで経っても変わらない そんなものあるだろうか、ということだけど、まあ過去というのは変わらないというか変えたくても変えようがないので、過去に関しては既に起こった確実なもの、と言えなくもないと思うので、私の中の確かなことといえば、

「こういった場所すべてに それぞれの瞬間がある それにまつわる恋人や友達を 僕はいまだに思い出せる 死んだ人もいるよ 生きている人もいる 僕の人生で 僕はその人たちをみんな愛していた」

とザ・ビートルズのジョン・レノンが『イン・マイ・ライフ』という曲でうたっていたように、私の人生で私はその人たちをみんな愛しておりました。

2025年5月20日火曜日

2025年5月20日(火) 轟



ということで、フィアットパンダ141オートマチックセレクタ (1999年製造) のオーナーとなった。

これまでに5~6回運転して、片道2時間近いところまで遠出したりもした。

購入時の車検で不具合が見つかりこのままでは車検が通らない、ということで海外からパーツを取り寄せて交換した左ヘッドライトだが、これが普通に運転していただけなのにもげそうになってしまい、それを直すために私のパンダは今現在車屋にピット・インしている。あとクーラーが全く動作しなかったためそれも見てもらっている。あと右ドアの内張があろうことか剥がれかけており、そこがなんとガムテープで補強されていたことが判明したのでそれも見てもらっている。

ヘッドライトの接着不良は明らかに車屋の不手際なのでパンダが壊れやすいという話とはちょっと違うと思うが、早速クーラー蛾物故割れているのはさすがパンダだな、と思う。

それにしても、車を運転していると、電車ってすごいな、と思う。

座っているだけで目的地まで着くし、スマホを見たり本を読んだりできるし、ヘッドホンで音楽を聴いていても大丈夫だし、何なら飲酒状態でも乗ることができる。乗車賃もガソリン代より安いし、排気ガスが出ないため、車に比べたらはるかに環境にもやさしい。

車は電車とは違い、己で運転しない限りはどこへもたどり着くことはできない。
どんなにへとへとのくたくたになっていようが、自分で運転しなくてはどこにも行けないので、非情な乗り物である。

事故の確率だって電車より車の方が格段に高い。
ほんのちょっとの不注意が事故に繋がってしまう。そしてその事故というのは人の命を奪ってしまうことがある。

車に乗るようになり、ネットニュースで車の事故についての記事を積極的に読むようになった。
ニュースを見ていると、驚くほどに日本全国どこでも毎日のように車の事故があり、またそれにより多くの人たちが命を落としている。

なんという恐ろしい乗り物だろうか。

最近では高速道路などでの逆走およびそれにより引き起こされる事故がトレンドになっているが、いつ自分が逆走車と鉢合わせてしまうか、またいつ自分が間違って逆走してしまうか分かったものではないため、戦々恐々としている。

自宅から徒歩5分の駐車場まで歩いていき、車のドアに鍵をさしてロックを開け (古い車なので当然のごとくリモートの鍵ではない) 、運転席に座ってハンドルを握ると、果たして事故を起こさずに無事目的地までたどり着けるだろうか?と自問する。人を撥ねずに運転できるだろうか?目的地に着いたら駐車スペースはあるだろうか?隣の車とかにぶつけずに無事駐車できるだろうか?と自問する。

目的地に無事たどり着くことができ、無事に駐車を終え、エンジンを止めたとき、何も事故を起こさずにここまで来れたのは、人を撥ねたりせずにここまで来れたのは、ただのまぐれで偶然で奇跡でしかない、と考える。

分かっていたことだが、都内で暮らしていると、移動は基本電車だけで事足りる。
わざわざ車に乗らなくとも、行きたいところにはおおかた行けるのである。

では何のために車に乗るのか?

車を買っといて何だが、いまいちまだよく分かっていない。

せっかく買ったんだから乗らなくちゃ、というある種の義務感をもって、平日仕事の後でへとへとになっていながらもがんばって車に乗り、ちょっとしたドライブがてら電車では行きづらい遠くのラーメン屋へ何度か行ってみた。

せっかく車を買ったのだから、電車では行きづらい遠くのラーメン屋もしくは中古CDなどを扱っている大きめの古本屋もしくはスーパー銭湯などに行こうかな、と思っていたのだが、前述したとおり車というのは大変な乗り物なので、運転するのにある程度覚悟がいる。まだ何も考えずに自然に運転することができない。あと金がないのでそんなに頻繁にラーメン屋などに行くことはあまり現実的ではない。

ただ無目的に道を走って帰ってくる、本当にただ走ることだけを目的としたドライブ、というのはまだやったことがない。
ラーメン屋等で金を使うためのドライブではなく、ただ走るだけのドライブということにして、秘密の夜景スポット (どこ?) に行ったり、コンビニで缶コーヒーでも買って駐車場でひとやすみして帰ってくればいいのだろうか?

先日片道2時間くらいかけてパートナーの住む家まで車を運転していったとき、それなりの過酷さに食らってしまった。

その帰路はなんとなく出張帰りという雰囲気があった。かつてくそくそドドドくそくそブラック企業 (違法企業) で働いていたとき、24/7/365 日本中をひとりで社用車のハイエースを駆って走り回っていたつらい記憶が呼び起された。

正直なところ、まだ車を買って本当によかった、と心から思えていない。

事故を起こしてしまうかもしれない、人を撥ねてしまうかもしれない、という恐怖と重圧を感じながら神経を使って運転して、へとへとな思いで目的地まで、もしくは自分の契約している駐車場までたどり着くことができて、無事故でここまで来れたのはただのまぐれ・偶然・奇跡でしかない、と思って、果たしてそんな思いをしてまで運転する意味とは何だろうか。何も考えずにただ電車にゆられてどっかへ行って帰ってくるほうがはるかにあらゆる負担が少ないのである。

ただ、買ってよかったな、と思うこともちゃんとある。

何より昔からずっとあこがれていた車だし、見た目がめっちゃかわいくて最高だし、運転していて楽しくて、ああ、いい車だな、と思うこともある。
パートナーと一緒にドライブへ出かけて海沿いの道を走ったのもとても楽しかった。

今現在車を車屋に預けているが、パンダを運転したいな、という気持ちになっている。

今後自分の中で、車を所有するということ、自分の車のある生活というものがしっくりくるようになれればいいな、と思う。

とにかく人を傷つけたり人の命を奪ったりすることなく、また車をどこかにぶつけて物を物故わしたり車蛾物故割れたりすることなく、じじいになって腹部を鉄骨が貫通している状態で全裸でパルクールしながら笑って免許を返納するその日まで、平穏無事にこのパンダに乗り続けることができるように、ただ祈るのみである。

2025年4月28日月曜日

2025年4月28日(月) 続・車

前回までのあらすじ―

2月に突如車を購入した春村謙吾であったが、車検時にライトに不具合が見つかり、パーツが国内では手に入らないため海外から取り寄せることに。それが入荷するまで2~4週間かかるとのことで、そのせいで納車が遅れることになってしまった。それにより先日車屋に提出した車庫証明書が期限切れとなり再取得する羽目に。証明書を取るには平日警察署へ赴く必要があり、また申請に必要な書類を準備するのが大変に面倒くさい (自宅から駐車場までの地図を書いたりしなくてはならないのでまじでくそだるい) ため絶叫しながら諸々の手続きを行った。まじで大変だった。再取得した車庫証明書を車屋に送付し、車屋からの連絡を真顔で待ち続ける春村であった。



車、明日納車になったので引き取りに行きます。無事運転して帰ってこれるよう、そして車を停めるとき駐車場の隣に停めてあるでかいベンツにぶつけないよう祈っていてください。本当にありがとうございました。

2025年4月21日月曜日

2025年4月21日(月) おいしいもの考

この年になるとおいしいものを食べることくらいしか楽しみがなくなる。

とかつて私がどどどくそくそドドドブラック企業(違法企業)で働いていたときに先輩が語っていた。当時私は27歳くらい、先輩は30代前半とかではなかったか。

おいしいものを食べることくらいしか楽しみがなくなるのはなんだか寂しいことのように聞こえるが、それでもおいしいものを食べるのは喜びである、ということは間違いない。

人類は基本的には経口摂取により生きる上で必要な栄養素を体内に取り入れるのであるが、どうせ何かを食べるならばまずいものよりもおいしいものの方がいいに決まっている。

ということでおいしいものを食べるのは喜びであるのだが、しかし食べている瞬間はおいしいおいしいと食べているが、その瞬間に舌で感得しているおいしさというのは写真や動画のように保存しておくことはできないし、刹那の快楽でしかない。

それにどんなにおいしいものでも一定の速度で箸なりスプーンなりフォークなりを動かし食べ物を口に運んでいたら、必然目の前のおいしい料理は跡形もなく消え去ってしまう。

ということで、おいしいものを食べるとああおいしいなあ、とか、うわーめちゃくちゃうまい!ベスト〇〇(任意の料理の名前)エバー、とか、うう、うますぎる……とか思ったり、なんちゅうもんを食わせてくれたんや……と歓喜の涙を流したりもするのであるが、しかしその一瞬の、刹那の喜びというのがあまりにも刹那のものすぎて、おいしいものを食べると喜びを感じるとともに最近はかなしさ・さびしさを感じるようになってしまった。

年齢のことをあまり言いたくはないが、40代に突入していきなり体に異変をきたしたり、疲れがやばいくらい取れなくなったりしている上に、あまりにも色んなことが秒で、瞬で過ぎ去っていくので、全ての生きとし生けるものはみな最後には死ぬ、みたいなことを思ったりとかして、おいしいものをおいしいおいしいと食べたところで……みたいに思って、かなしくなるのであった。

このおいしいものを食べるときの喜びがあまりに一瞬で消えてなくなってしまうことに対する対抗策のひとつとしては、量を食べることである。
私は普段ろくなものを食べていないので、比較的常にひもじい思いで過ごしているが、たまに限界がきて急に一人で焼肉食べ放題に行ったりしている。

食べ放題といえど所詮は一番安いコースでジェネリック牛カルビやジェネリック豚トロ、ジェネリック牛レバーなどを食べるだけなのでそんなにおいしいわけではないが、制限時間いっぱいに満腹の向こう側へ向けて胃袋にギュウギュウと(牛だけに、)合成肉を押し込んでいると、ものを食べているときの刹那の快楽が長く続くような気がしてかなしさをさほど感じずに済む。

これは過食すればかなしさを忘れられる、ということなのかもしれませんが、過食すると謎の安心感があるのは確かだ(?)。

おいしいものを過食するには金がかかりすぎるので、さほどおいしくないものをたくさん食べてかなしさ・さびしさを感じないようにする。ということでいいですか?

おいしいものは食べるとなくなってしまうし、舌で感じたおいしさというのも消え去ってしまうが、その点CDやレコードというのは購入して手元にあればいつでも聴き返してそのたびにしみじみとああ、いい音楽だなあ、などと思ったりして、繰り返し楽しめるので素晴らしい。これからもCDやレコードを購入していきたいと思う。

2025年4月9日水曜日

2025年4月9日(水) mentally mad

精神の調子が悪い。

左足は依然として痺れたままであるし、買った車が来ない件もあるし、気持ちが沈んでしまっている。

昨夜また家で酒を飲んでしまった。

自炊や風呂をがんばっているが、それらは自分の中でそれなりのプレッシャーとストレスになってしまっているようである。
酒を飲むことによってそれらから逃れようと試み、結果畳の上で気絶し、睡眠がくそになり、余計に精神状態が悪化する。

昨日は過食めいた感じで日中仕事の合間に菓子パンやチョコレート等を食し、帰宅してからは酒を飲みながら複数のスナック菓子を摂取した。
酔っ払って畳の上で気絶してしまったため、夕飯がスナック菓子になるというくそなことをしてしまった。

生活をきちんとして、また生活を成り立たせるために極力無駄遣いをなくして、とにかく正しい状態であり続けるためには相応の努力が必要になるが、やはりそれは自分には荷が重いようだ。
給料日以降、覚えている範囲では平日一度しか外食をしていない。毎日夕飯に小松菜カレーをつくり、外食しないようがんばっている。

昨夜は洗濯機を回しながら酒を飲んでいたが、気絶したため洗濯物を干すことができず、洗濯物を濡れたまま洗濯機の中に放置するというくそなことをしてしまい、今日は帰ったらまた洗濯をやり直さなければならず、つらい。

昨日車屋から連絡があり、先月に提出していた車庫証明や印鑑証明などの車を購入する上で必要な書類の有効期限がもうすぐ切れてしまうらしく、いかんせん車のパーツがまだ海外から届いていないため、その書類を再度提出しなくてはならないとのこと。

それらの書類を入手するには平日に警察署や役所へ赴く必要があり、また発行の際に手数料が合計3,000円ちょいかかる。
勘弁してほしい。なんでこんな思いをしなくてはならないのか。ただただつらい。

とにかく平日の過ごし方をなんとか改善したい。
それにはどうしても自分を律する必要があるが、それをするには上に書いたように相応の努力が要求される。

自分はスーパーマンでもなんでもないので、自分にできることと割ける労力と時間は限られている。
ただ、正しくあろうとすればするほどプレッシャーとストレスにさらされしんどくなってしまう。

少し自分のやっていることを見直す必要があるようだ。

毎年この季節は精神の調子が悪くなる。

今日は頓服を飲んだ。

今夜帰宅してからの時間をうまく使えるよう、祈るような気持ちでいるが、プレッシャーが強い。
がんばりたいとは思うががんばれないときはどうしたらいいのか?

とりあえずもう家で酒を飲むのはやめる。過食めいたこともやめる。