ということで、フィアットパンダ141オートマチックセレクタ (1999年製造) のオーナーとなった。
これまでに5~6回運転して、片道2時間近いところまで遠出したりもした。
購入時の車検で不具合が見つかりこのままでは車検が通らない、ということで海外からパーツを取り寄せて交換した左ヘッドライトだが、これが普通に運転していただけなのにもげそうになってしまい、それを直すために私のパンダは今現在車屋にピット・インしている。あとクーラーが全く動作しなかったためそれも見てもらっている。あと右ドアの内張があろうことか剥がれかけており、そこがなんとガムテープで補強されていたことが判明したのでそれも見てもらっている。
ヘッドライトの接着不良は明らかに車屋の不手際なのでパンダが壊れやすいという話とはちょっと違うと思うが、早速クーラー蛾物故割れているのはさすがパンダだな、と思う。
それにしても、車を運転していると、電車ってすごいな、と思う。
座っているだけで目的地まで着くし、スマホを見たり本を読んだりできるし、ヘッドホンで音楽を聴いていても大丈夫だし、何なら飲酒状態でも乗ることができる。乗車賃もガソリン代より安いし、排気ガスが出ないため、車に比べたらはるかに環境にもやさしい。
車は電車とは違い、己で運転しない限りはどこへもたどり着くことはできない。
どんなにへとへとのくたくたになっていようが、自分で運転しなくてはどこにも行けないので、非情な乗り物である。
事故の確率だって電車より車の方が格段に高い。
ほんのちょっとの不注意が事故に繋がってしまう。そしてその事故というのは人の命を奪ってしまうことがある。
車に乗るようになり、ネットニュースで車の事故についての記事を積極的に読むようになった。
ニュースを見ていると、驚くほどに日本全国どこでも毎日のように車の事故があり、またそれにより多くの人たちが命を落としている。
なんという恐ろしい乗り物だろうか。
最近では高速道路などでの逆走およびそれにより引き起こされる事故がトレンドになっているが、いつ自分が逆走車と鉢合わせてしまうか、またいつ自分が間違って逆走してしまうか分かったものではないため、戦々恐々としている。
自宅から徒歩5分の駐車場まで歩いていき、車のドアに鍵をさしてロックを開け (古い車なので当然のごとくリモートの鍵ではない) 、運転席に座ってハンドルを握ると、果たして事故を起こさずに無事目的地までたどり着けるだろうか?と自問する。人を撥ねずに運転できるだろうか?目的地に着いたら駐車スペースはあるだろうか?隣の車とかにぶつけずに無事駐車できるだろうか?と自問する。
目的地に無事たどり着くことができ、無事に駐車を終え、エンジンを止めたとき、何も事故を起こさずにここまで来れたのは、人を撥ねたりせずにここまで来れたのは、ただのまぐれで偶然で奇跡でしかない、と考える。
分かっていたことだが、都内で暮らしていると、移動は基本電車だけで事足りる。
わざわざ車に乗らなくとも、行きたいところにはおおかた行けるのである。
では何のために車に乗るのか?
車を買っといて何だが、いまいちまだよく分かっていない。
せっかく買ったんだから乗らなくちゃ、というある種の義務感をもって、平日仕事の後でへとへとになっていながらもがんばって車に乗り、ちょっとしたドライブがてら電車では行きづらい遠くのラーメン屋へ何度か行ってみた。
せっかく車を買ったのだから、電車では行きづらい遠くのラーメン屋もしくは中古CDなどを扱っている大きめの古本屋もしくはスーパー銭湯などに行こうかな、と思っていたのだが、前述したとおり車というのは大変な乗り物なので、運転するのにある程度覚悟がいる。まだ何も考えずに自然に運転することができない。あと金がないのでそんなに頻繁にラーメン屋などに行くことはあまり現実的ではない。
ただ無目的に道を走って帰ってくる、本当にただ走ることだけを目的としたドライブ、というのはまだやったことがない。
ラーメン屋等で金を使うためのドライブではなく、ただ走るだけのドライブということにして、秘密の夜景スポット (どこ?) に行ったり、コンビニで缶コーヒーでも買って駐車場でひとやすみして帰ってくればいいのだろうか?
先日片道2時間くらいかけてパートナーの住む家まで車を運転していったとき、それなりの過酷さに食らってしまった。
その帰路はなんとなく出張帰りという雰囲気があった。かつてくそくそドドドくそくそブラック企業 (違法企業) で働いていたとき、24/7/365 日本中をひとりで社用車のハイエースを駆って走り回っていたつらい記憶が呼び起された。
正直なところ、まだ車を買って本当によかった、と心から思えていない。
事故を起こしてしまうかもしれない、人を撥ねてしまうかもしれない、という恐怖と重圧を感じながら神経を使って運転して、へとへとな思いで目的地まで、もしくは自分の契約している駐車場までたどり着くことができて、無事故でここまで来れたのはただのまぐれ・偶然・奇跡でしかない、と思って、果たしてそんな思いをしてまで運転する意味とは何だろうか。何も考えずにただ電車にゆられてどっかへ行って帰ってくるほうがはるかにあらゆる負担が少ないのである。
ただ、買ってよかったな、と思うこともちゃんとある。
何より昔からずっとあこがれていた車だし、見た目がめっちゃかわいくて最高だし、運転していて楽しくて、ああ、いい車だな、と思うこともある。
パートナーと一緒にドライブへ出かけて海沿いの道を走ったのもとても楽しかった。
今現在車を車屋に預けているが、パンダを運転したいな、という気持ちになっている。
今後自分の中で、車を所有するということ、自分の車のある生活というものがしっくりくるようになれればいいな、と思う。
とにかく人を傷つけたり人の命を奪ったりすることなく、また車をどこかにぶつけて物を物故わしたり車蛾物故割れたりすることなく、じじいになって腹部を鉄骨が貫通している状態で全裸でパルクールしながら笑って免許を返納するその日まで、平穏無事にこのパンダに乗り続けることができるように、ただ祈るのみである。