2025年4月21日月曜日

2025年4月21日(月) おいしいもの考

この年になるとおいしいものを食べることくらいしか楽しみがなくなる。

とかつて私がどどどくそくそドドドブラック企業(違法企業)で働いていたときに先輩が語っていた。当時私は27歳くらい、先輩は30代前半とかではなかったか。

おいしいものを食べることくらいしか楽しみがなくなるのはなんだか寂しいことのように聞こえるが、それでもおいしいものを食べるのは喜びである、ということは間違いない。

人類は基本的には経口摂取により生きる上で必要な栄養素を体内に取り入れるのであるが、どうせ何かを食べるならばまずいものよりもおいしいものの方がいいに決まっている。

ということでおいしいものを食べるのは喜びであるのだが、しかし食べている瞬間はおいしいおいしいと食べているが、その瞬間に舌で感得しているおいしさというのは写真や動画のように保存しておくことはできないし、刹那の快楽でしかない。

それにどんなにおいしいものでも一定の速度で箸なりスプーンなりフォークなりを動かし食べ物を口に運んでいたら、必然目の前のおいしい料理は跡形もなく消え去ってしまう。

ということで、おいしいものを食べるとああおいしいなあ、とか、うわーめちゃくちゃうまい!ベスト〇〇(任意の料理の名前)エバー、とか、うう、うますぎる……とか思ったり、なんちゅうもんを食わせてくれたんや……と歓喜の涙を流したりもするのであるが、しかしその一瞬の、刹那の喜びというのがあまりにも刹那のものすぎて、おいしいものを食べると喜びを感じるとともに最近はかなしさ・さびしさを感じるようになってしまった。

年齢のことをあまり言いたくはないが、40代に突入していきなり体に異変をきたしたり、疲れがやばいくらい取れなくなったりしている上に、あまりにも色んなことが秒で、瞬で過ぎ去っていくので、全ての生きとし生けるものはみな最後には死ぬ、みたいなことを思ったりとかして、おいしいものをおいしいおいしいと食べたところで……みたいに思って、かなしくなるのであった。

このおいしいものを食べるときの喜びがあまりに一瞬で消えてなくなってしまうことに対する対抗策のひとつとしては、量を食べることである。
私は普段ろくなものを食べていないので、比較的常にひもじい思いで過ごしているが、たまに限界がきて急に一人で焼肉食べ放題に行ったりしている。

食べ放題といえど所詮は一番安いコースでジェネリック牛カルビやジェネリック豚トロ、ジェネリック牛レバーなどを食べるだけなのでそんなにおいしいわけではないが、制限時間いっぱいに満腹の向こう側へ向けて胃袋にギュウギュウと(牛だけに、)合成肉を押し込んでいると、ものを食べているときの刹那の快楽が長く続くような気がしてかなしさをさほど感じずに済む。

これは過食すればかなしさを忘れられる、ということなのかもしれませんが、過食すると謎の安心感があるのは確かだ(?)。

おいしいものを過食するには金がかかりすぎるので、さほどおいしくないものをたくさん食べてかなしさ・さびしさを感じないようにする。ということでいいですか?

おいしいものは食べるとなくなってしまうし、舌で感じたおいしさというのも消え去ってしまうが、その点CDやレコードというのは購入して手元にあればいつでも聴き返してそのたびにしみじみとああ、いい音楽だなあ、などと思ったりして、繰り返し楽しめるので素晴らしい。これからもCDやレコードを購入していきたいと思う。

2025年4月9日水曜日

2025年4月9日(水) mentally mad

精神の調子が悪い。

左足は依然として痺れたままであるし、買った車が来ない件もあるし、気持ちが沈んでしまっている。

昨夜また家で酒を飲んでしまった。

自炊や風呂をがんばっているが、それらは自分の中でそれなりのプレッシャーとストレスになってしまっているようである。
酒を飲むことによってそれらから逃れようと試み、結果畳の上で気絶し、睡眠がくそになり、余計に精神状態が悪化する。

昨日は過食めいた感じで日中仕事の合間に菓子パンやチョコレート等を食し、帰宅してからは酒を飲みながら複数のスナック菓子を摂取した。
酔っ払って畳の上で気絶してしまったため、夕飯がスナック菓子になるというくそなことをしてしまった。

生活をきちんとして、また生活を成り立たせるために極力無駄遣いをなくして、とにかく正しい状態であり続けるためには相応の努力が必要になるが、やはりそれは自分には荷が重いようだ。
給料日以降、覚えている範囲では平日一度しか外食をしていない。毎日夕飯に小松菜カレーをつくり、外食しないようがんばっている。

昨夜は洗濯機を回しながら酒を飲んでいたが、気絶したため洗濯物を干すことができず、洗濯物を濡れたまま洗濯機の中に放置するというくそなことをしてしまい、今日は帰ったらまた洗濯をやり直さなければならず、つらい。

昨日車屋から連絡があり、先月に提出していた車庫証明や印鑑証明などの車を購入する上で必要な書類の有効期限がもうすぐ切れてしまうらしく、いかんせん車のパーツがまだ海外から届いていないため、その書類を再度提出しなくてはならないとのこと。

それらの書類を入手するには平日に警察署や役所へ赴く必要があり、また発行の際に手数料が合計3,000円ちょいかかる。
勘弁してほしい。なんでこんな思いをしなくてはならないのか。ただただつらい。

とにかく平日の過ごし方をなんとか改善したい。
それにはどうしても自分を律する必要があるが、それをするには上に書いたように相応の努力が要求される。

自分はスーパーマンでもなんでもないので、自分にできることと割ける労力と時間は限られている。
ただ、正しくあろうとすればするほどプレッシャーとストレスにさらされしんどくなってしまう。

少し自分のやっていることを見直す必要があるようだ。

毎年この季節は精神の調子が悪くなる。

今日は頓服を飲んだ。

今夜帰宅してからの時間をうまく使えるよう、祈るような気持ちでいるが、プレッシャーが強い。
がんばりたいとは思うががんばれないときはどうしたらいいのか?

とりあえずもう家で酒を飲むのはやめる。過食めいたこともやめる。

2025年4月7日月曜日

2025年4月7日(月) 車

車が来ない。

前回までのあらすじ―

突如車を購入した春村謙吾であったが、代金を支払ったのが2月の末、車検のときにヘッドライトに不具合があり、交換のパーツが日本だと手に入らないため海外から取り寄せている、しばし待たれよ、という連絡が車屋からあったのが3月の19日。そしてそれ以降今日現在に至るまで何の連絡もないのであった。というかパーツを海外に発注したのが3月10日らしいので、もうすぐ1か月がたっちゃうよ。

こうも車が来ないと自分が買ったのは本当に車だったのだろうか?と疑念が湧いてくる。

せっかく契約した駐車場も、車が来ないので車の停められていない無の空間に対して1か月分の駐車場代を支払うことになってしまった。

車に乗って色んなところに出かけたりして楽しい気持ちになるはずだったのだが、それが叶っていないため悲しい。

何よりも、あろうことか、自分が購入したのと同じ車種で、自分が購入したよりも状態のいいものが自分が購入した金額プラス10万円で売りに出ているのを発見してしまったのである。

これには大変に動揺した。

10万円というのは大金だが、しかし車の値段で考えると10万円というのは誤差の範囲、みたいに思ってしまうのが恐ろしい。
自分が購入した車はあくまで自分の予算内に収まったので購入したのであり、それよりも10万円高いということは自分の予算を超えていたということであり、それは買えなかったということである。それに色は自分が買った車の方が自分の好みに合っている……と思う。

だけど自分が購入した車は塗装も剥げているところがあるし傷もついているし、内装もぼろくなってしまっているし、おせじにもきれいだねとは言えない状態のもので、その最近見つけたプラス10万のやつは自分が購入したものよりもはるかにきれいだ。

だめな子ほどかわいいメソッドでいえばぼろい車でも自分の車の方がいいと胸を張って言えるのかもしれないが、現状手元に車がないもんだから、車屋が販売サイトにアップしていた写真を眺めたり、自分が車屋に車を見にいったときに撮った写真を見返したりして、自分はこの車を買ってよかったのだ、と自分に言い聞かせている。

手元に車が来てさえいれば、実際に乗ってさえいれば愛着も湧き、ほんまに最高、この車を買ってよかった、そう心から思えると思うのであるが、こうも車が来ないとそれができないので心に棘が刺さっているような気持ちになってしまっている。

車買ったらもう車の販売サイトとか見ないほうがいいですね。
自分が車を買うのは人生でこれが最初で最後だと思っているので、買った車を大事に長く乗り続けて、じじいになったら腹部を鉄骨が貫通している状態で全裸でパルクールしながら笑って免許を返納したい。

車を買ったが車が来ない、ということを床屋のお兄さんに言ったら、あー、古い外車だとよくあることですよ、と言われ、そういうものなのか、と思う。

今はただ待つことしかできない。
紅茶を淹れてリリアンでも編みながら気長に待つしかない。

2025年4月3日木曜日

2025年4月3日(木) 春村謙吾のしびれ

最近左足がずっと痺れている。

先週の月曜日くらいから異変に気づいた。
あれ?なんか左足痺れてない?と思ったけど、ほっとけば治ると思って放っておいたのであるが、なんか知らんけどいつまでも治らない。

先週の金曜日、痺れがふくらはぎにまで広がりビリビリとした痛みを伴う痺れになってしまったので、これやばくない?と思って慌てて会社の近所の整形外科を受診。
腰のレントゲン写真を撮ったが、写真を見ながらお医者さんが言うには、う~ん背骨の部分のこれが原因かなあ、というのはあるといえばあるが、とりあえずビタミンB12の錠剤を処方するのでこれを2週間飲んでもらってまた来てください、症状が変わらなければ精密検査をしましょう、とのことだった。

その翌日土曜日の夜パートナーの家に泊まったのだが、痺れている左足の小指周辺に一定の間隔で激痛が走るので、あまりの痛さにこれやばくない?と思って眠るのもままならなくなり、早朝に起きてベッドから抜け出しリビングへ移動する。
携帯していたバファリンを飲んでみるが何も起こらない。

椅子に座ってうなだれている私のことをパートナーの飼っている猫が心配そうに見守っている。私の隣にやってきて身体を伸ばして立ち上がり、大丈夫?と言わんばかりに私の腿にそっと前足をかけてくれた。やさしいね。

パートナーがハーブティーを淹れてくれて、またロキソニンの配合されている湿布をくれたので、ハーブティーを飲み足に湿布を貼ると少し気分が落ち着いたので、再びベッドまで戻り数時間眠ることができた。本当にありがたいことです。

日曜日は兄と二人で幕張メッセで開催されたPUNK SPRINGというパンク系のバンドが出るフェスに行く。イギー・ポップ大先生のライブを拝むために。

足に爆弾を抱え、また激痛のあまり昨夜ろくに眠れていなかったのでコンディションは最悪。半日立ちっぱという過酷なフェスを耐え抜けるだろうか、と不安にかられるも、湿布が効いたのか、それとも足の疲れが痛みを上回ったからなのか、ほとんど痛みは気にならず、無事にフェスを完走することができた。イギー・ポップ大先生のライブはやばすぎた。

帰宅後も足の痛みは大丈夫そうだったので安堵す。

月曜の朝、小指から少し下がった甲のあたりが痛かったので、あれ?患部が移動してる?やばくない?と思ったけど、出勤して仕事をしているうちに痛くなくなり謎だった。

それから木曜の今日に至るまで、あの夜のような激痛は今のところない。
しかし依然として左足は痺れているので非常に気になるし、ビタミン剤を継続して飲んでいるが特に何も変わっていないので不安だ。
ピンポイントで左足だけの痺れなので脳梗塞とかではないと思うけど、血管のどこかがスポットで詰まってしまったりしているのかもしれない。

40代になると体のいたるところに異変が出てくるというが、先月40歳になってから早速体がおかしくなるなんて思ってもみなかった。

ということで整形外科で処方されたビタミン剤を飲み切る来週の金曜日にまた病院へ行くことになっているが、不安である。体に異変があると元気が出ないですね。

2025年4月2日水曜日

2025年3月27日(木) 酒量のはらわた

2025年3月27日(木)

最近平日夜に飲む酒の量が増えている。

昼間仕事で受けるストレスや、季節の変わり目に特に厳しい抑うつ感の増大からきているものと思われる。

金がないので最近は節約のために四文屋などへ行くのを我慢して、スーパーで酒を買い家で飲むようにしている。
ビールの350ml缶を2本ないし500ml缶1本と350ml缶1本、そして適当なスナック菓子を2つ買うのが多い。

昔はビアを買う代わりに安い発泡酒を買っていたが、ある頃からまずい発泡酒を飲むより本物のビアを飲むほうがよい、と思ってそのようにしていた。
しかし金がないので先日久しぶりにトップ・バリュのくそ安い粗悪発泡酒を購入して飲んだところ、ひどく悪酔いしてしまったのであった。

なぜ平日夜にしらふでいられないのか。

私が酒を欲するとき、それは仕事のストレス等で脳も身体もへとへとになってしゃっちょこばってしまっているのをアルコールによって弛緩させ強制的にリラックスさせるために酒を飲みたくなるのであるが、あと酒を飲んで酔っ払うと風呂に入れなくなるので風呂に入れない・入りたくないときの言い訳にするために酒を飲むというふしもある。

ということで平日夜に家で酒を飲むのだが、家で酒を飲むとBAD入るということを忘れていた。
やりたいこと・やらなくてはならないことがあるのに酒を飲んでいる場合なのか……と思って落ち込むし、酔っ払うと何もできなくなるし、最悪畳の上で気絶してしまって睡眠がくそになってしまったりするので、やっぱり家で酒を飲むのはやめたいと思う。

最近はZoogz Riftというアメリカの音楽家(故人)のつくった音楽を好んで聴いている。

悪意とユーモアをもって変な音楽を大量につくった謎の人物なのであるが、彼のWikipediaを見ると『アメリカの音楽家、画家、プロレスラー』とある。また、『フランク・ザッパとキャプテン・ビーフハートとサルバドール・ダリとアイン・ランドに影響を受けた』とも書いてある。ダリを影響源に挙げるのはかっこいいね。

彼のディスコグラフィーはなかなかの量があり、サブスクでも聴ける。サブスクに上がっているアルバムのコピーライトを見るとLaura Riftという名前になっているので、彼の妻(?)が彼の死後音源を管理しているのかもしれません。

曲はとにかく変でおかしいんだけど、変な曲の中にねじくれたポップセンスがふんだんに散りばめられており、キャッチ―で聴いていてとても楽しい。

Zoogz Riftのことは以前私の好きなアーティストのMAMMALことGary Beauvais氏がInstagramのストーリーズにてそのアルバムのジャケを載せていたことで知った。MAMMALについては過去このブログで書いている

Zoogz Riftのアルバムはどうも日本では手に入りづらいようだ。Discogsで買いたいなと思うが、いかんせん金がないので買うことができません。
だけど先日ヤフオクでたまたま彼のアルバム『WARZONE』のレコードがひっそりと売られているのを見かけて、誰とも競り合うことなくひっそりと落札した。意味が分からないジャケが最高だし中身の音楽も最高。

Zoogz Riftはアメリカの変なパンク/ハードコアのバンドをたくさんリリースしているあのSSTレーベルからも多く作品をリリースしている。
他のレーベルからリリースされていた初期作の数々もSSTからリイシューされているようだが、オリジナルとジャケが変わっていたりする。私はオリジナルのジャケの方が好きだ。だけど1stアルバムの『Idiots on the Miniature Golf Course』(いいタイトルですね)はオリジナルのジャケより再発盤のジャケの方が好きだな。

それでは。

2025年3月18日火曜日

2025年3月16日(日) 年を取るということ

2025年3月16日(日)

この週末にパートナーから40歳の誕生日を盛大にお祝いしてもらった。

こんなに幸せなことがあっていいのか、と思うような日々を過ごしている。
夢じゃないかしら、と思って何度も自分の頬をつねるのび太のような気持ちだ。

3月10日で40歳になった。

Stoogesの曲で『1969』という曲があって、その曲の中でイギー・ポップはこう歌っている。


"去年おれは21歳だった
面白いことはそんなになかった
今おれは22歳になる
なんてこった、最悪だよ"

The Stooges 『1969』より (訳: MCビル風)


自分がまだ20歳そこそこだったころ、日々もやもやした気分で過ごしており、この曲に大変感銘を受けていたが、もう40歳にもなるとそんなにやさぐれた気分になることもなく、ただ時間は流れている、という事実を、ある種の驚きと少しの諦めと、そしてなんだか不思議な気持ちをもって受け入れるのみである。

孔子は『四十にして惑わず』と語ったというが、私は自分が果たして年相応に成熟してきているのかどうか、それを知るすべを持たない。

40年というそれなりに長い時間を生きてきて、昔の失敗やつらかったことの数々が急に頭をよぎって絶叫してしまうことが大分増えたが、それとともに別の変化が自分の中で起きていることに最近気づいた。

それはどんなことかというと、過去に自分が経験した些細な出来事、それも本当に取るに足らない、日常のめちゃくちゃどうでもいいような一場面の中で起きたちょっと面白いことが急に思い出されて、ふふふと笑ってしまうことが明らかに増えたのである。

例えばどんなことを思い出して急に笑ってしまうのかいくつか挙げてみたいと思うが、本当にどうでもよすぎて面白さは全く伝わらないと思う。


・昔ドドドくそくそ激くそブラック企業(違法企業)で働いていたとき、とある山中で開催されたレイヴパーティーの現場に駆り出されたことがあったのだが、そのパーティーが朝を迎え、日も大分高くなってきて、そろそろ宴もたけなわ、となりDJが音を止めた。
パーティーが終わった、ということで遊びに来ていた輩っぽいいかつい男性とその彼女がじゃあ帰るわ!といって仲間に告げて去っていったのだが、突如DJがまた曲をかけて再び爆音が鳴り響いたのだが、そしたらその去っていったカップルが踊りながら戻ってきて、それを見た会社の先輩がめちゃくちゃうけて、今の見た!?と言いながら彼らの真似をするので私もそれを見て笑ってしまった。

・昔ドドドくそくそ激くそブラック企業(違法企業)で働いていたとき、社用車のハイエースを駆って24/7/365馬車馬のように働いていたのだが、ハイエースを運転しまくっていて車と自分が一心同体となっていたので、ある日ハイエースで現場に到着した私は会社の先輩が立っている目の前で難しい縦列駐車を一発でバシィッ!と決めたので、その車との一心同体っぷりに先輩が笑っていたので私も笑った。

などなど。


……どうですか?めちゃくちゃどうでもいいでしょう。

めちゃくちゃどうってことないし、色々なことが起こりまくる人生の中で、これらのことはあまりにもどうでもよすぎる出来事で、宝物とか宝石とか呼ぶにはパンチが足りないことばかりなのであるが、それでも自分の中では忘れがたい大切な思い出として、私の頭の中の引き出しにしまわれている。
その引き出しは自分でもよく分からないタイミングで急に開いて、突然中身が飛び出してきては私を微笑ませるのである。

こんなどうでもいいような、だけど思い出すとちょっと笑ってしまうような些細な記憶の数々が、総集編で死の間際に走馬灯として現れるのであればめっちゃ楽しいなと思う。ドクターペッパーとマイクポップコーンを手元に用意して、ふふふと笑いながら眺めようじゃないか。

こんな記憶が年を取るにつれてどんどん増えていくのなら、年を取ることって全然悪くないなあ、とそう思う今日このごろです。


----------------------------------------


MCビル風の名前を冠したブログなのにここで自分の活動をちゃんと告知したりとかもこれまでろくにしていなかったけど、先日onettさんの新譜『LAST ROMANTIC!』発売に際してコメントを寄せましたのでお知らせします。こちらのPASSiON RECORDSさんのサイトで見られます。

onettさんの新譜、めちゃくちゃ素晴らしいのでぜひ聴いてみてください。CDでのリリースで、bandcampや各種サブスクでは全15曲の中から10曲を抜粋した特別編集盤としてリリースされています。ポップミュージックに宿る魔法を愛する方におすすめの傑作です。

2025年3月14日金曜日

2025年3月14日(金) 近況

目まぐるしく日々が過ぎていくのでブログの更新が止まってしまっていた。

私が生きているか心配して連絡してきてくださった方もいて、申し訳なく思うとともにありがたい気持ちです。


私の近況としては、


・恋人ができました
幸せなことに、以前より少しこのブログで書いていた方とお付き合いすることになりました。
突如足元に現れたボール(※こちらの日記参照)を大切に大切に扱いながら、生きている喜びを噛み締めつつ、確かな足取りでこのフィールドを駆け回っています。

・40歳になりました
2025年3月10日で40歳になりました。立派な限界中年CDレコード機材部屋おじさんです。

・車を買いました
長年あこがれていたフィアットの古いパンダ141セレクタです。まじで金がなくなりました。
印鑑登録をして駐車場(都内は高い!)の契約をして車庫証明を取って、と諸々の煩雑な手続きを終えて、納車はもうすぐ。
パンダはやばいくらい故障するらしいですが、壊れながら君を追いかけてく(マサムネ・クサノ)、ということで、何度でも直しながら、事故を起こして人を傷つけたり死なせてしまったりしないよう最大限気を付けながら、大切に乗っていきたいと思います。

・音楽つくってません
全然音楽をつくってません。


以上です。

季節の変わり目は心身ともに負担が大きいので、どうか皆さまお気をつけてお過ごしください。
本当にありがとうございました。