2025年7月25日金曜日

2025年7月25日(金) 悪い奴ほどよく眠る

いい奴ほどよく起きる。

ミッションが逝っちまったパンダの件、行政書士の先生に相談して車屋へ内容証明郵便を送った。

追完請求 (※車が安全に走れる状態まで完全に修理・またその費用を全額負担) および専門業者にて修理不可の診断が下った場合は売買契約の取り消し・全額返金 (ほかこれまでかかった車の保管料などの損害賠償) を要求するというもの。 

内容証明は7/21(月)に向こうへ配達済みとなっているが、まだ何の連絡もない。
さっさと全額返金してほしい。

もし向こうが拒否したら、次は訴訟などを検討しなくてはならなくなりますね。

最近は引き続き精神の調子が非常に悪い。

無のまんがはなるべく読まないようにしているが、平日夜に酒を飲む回数が増えた。

しらふで家にいるのが怖い。本当に恐ろしい。

このくそ暑い毎日でも風呂に入れないのが続き、全身がべたべたしてとても気持ちが悪いので、昨夜がんばって風呂に入った。
風呂なんて普通に入れるでしょ、と元気な人なら思うと思いますが、うつ病を抱えている人にとっては風呂というのは本当に大きな障壁で、入浴するのに多大な労力と精神力を要する。

毎日が苦しい。

今日からフジロックが始まった。

そんなに何回も行ったことがあるわけではないが、私はフジロックが好きだ。

かつてツイッター (現X) でフジロックの思い出をツイットしたことがあったが、今まで行ったフジロックは全て私の中で忘れがたい大切な記憶となっている。

今日は事務所で一人きりなので、仕事の合間にフジロックの中継でトリプルファイヤーのフィールドオブヘブンでのライブを観た。

久しぶりに観た彼らのライブはとてもかっこよかった。

かつては秋葉原のクラブグッドマンなどで私MCビル風と何度も対バンした彼らであったが、今やフジロックのトップバッターを飾る存在である。
言うまでもなく、それは彼らのたゆまぬ努力の結果であろう。

トリプルファイヤーとMCビル風、どうして差がついたのか…慢心、環境の違い。

私は何の努力もしていないし、そもそも音楽をつくる元気もないし、もし元気があったとしても音楽をつくらないし、風呂に入ることもできないし、酒ばかり飲んでいるし、買った車は1か月とちょっとでだめになるし、学校ないし家庭もないし、ヒマじゃないしカーテンもないし、花を入れる花ビンもないし、嫌じゃないしカッコつかないし、

窓辺に置きます。

2025年7月22日火曜日

2025年7月22日(火) go mental


RAMONES / GO MENTAL

I've gone mental
I've gone mental

Out of the hospital
Out against my will
Life is so beautiful
I've gone mental
Mental mental

I've killed my family
They thought I was an oddity
Life is so beautiful
I am a vegetable
Mental mental

I've gone mental
I've gone mental

Staring at my goldfish bowl
Popping phenobarbital
Life is so beautiful
I've gone mental
Mental mental

Sitting on my window sill
Life is so beautiful
I've become irrational
I've gone mental
Mental mental

I've gone mental
I've gone mental
I've gone mental

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ラモーンズ / ゴー・メンタル

僕は精神病
僕は精神病

病院を飛び出した
意志に反して
人生は美しい
僕は精神病
精神病 精神病

家族を殺した
みんな僕のことを気ちがいと思ってた
人生は美しい
僕は植物人間
精神病 精神病

僕は精神病
僕は精神病

金魚鉢を眺めて
フェノバルビタールを飲む
人生は美しい
僕は精神病
精神病 精神病

窓辺に座っている
人生は美しい
僕は正気を失った
僕は精神病
精神病 精神病

僕は精神病
僕は精神病
僕は精神病

訳: MCビル風

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私はラモーンズが好きである。

中2のときにアメリカから来たAET (アシスタント・イングリッシュ・ティーチャー) の先生に「GREEN DAYが好きだ」と言ったらラモーンズのベスト盤『RAMONES MANIA』のCDを貸してくれた。

兄が毎月買っていた雑誌『BANDやろうぜ』のパンク特集号にてラモーンズの存在は知っていたが、CDは持っておらず、聴いたことがなかった。その特集に載っていたセックス・ピストルズやディスチャージは先に聴いていた……ような気がする。

80分のカセットテープに貸してもらったCDをダビングし、来る日も来る日も聴き続けていた。

ロリータ18号というバンドのアルバムをラモーンズのジョーイがプロデュースして、その中にはロッカウェイ・ビーチのカバーも収録されていて、それも買って愛聴していた。

ラモーンズは曲も見た目もキャッチ―だし、まんがみたいな確固とした世界観が確立されており、みんなが愛してやまない存在である。

しかし。熱烈なフォロワー (革ジャンスリムジーンズスニーカー、ところによりマッシュルームカットや長髪等) の存在はダサいしその熱狂っぷりが怖いな、と思っている。ラモーンズに影響を受けたバンドは星の数ほどいると思うが、モロに格好を真似して3コードの曲を演奏するバンドはださいし聴く価値がないと思う。本当にくだらないと思う。関係ないけどブルーハーツをはじめとした数々のバンドで活躍してきたヒロトとマーシーの熱狂的ファンの人たちも怖いなと思う。

真似されるアーティスト本人たちが激キャッチ―で激クールなために宗教的なまでのレベルで熱を上げる人たちがいるのは仕方のないことだと思うが、本人たちが激!極!格好良くて素晴らしいアーティストなのにそのファンの人たちが怖かったり寒かったりすると、だいぶ引いてしまう。

というわけでラモーンズは大好きだけど、真似をするほどラモーンズが大好きな人たちとは相容れないなと思っている私であるが、大学に入って軽音サークルに加入した私はバンドを組んでラモーンズをコピーした。

そこで自分で曲を弾いて歌う段になって初めて、その歌詞のやばさに気づいた (遅い) 。

「やることないヨ~ン、やることがほしいからシンナーが吸いたいヨ~ン」とか、「やることもないし行くところもないし、落ち着かないヨ~ン (落ち着きたいヨ~ン) 」とか、まあ今パッと思いつく例はそんなに出てこないんですが、↑で訳した曲もそうだが、彼らの曲は精神疾患についての歌詞が非常に多い。しかもそれを悲哀とユーモアをたっぷりと交えてポップに歌うもんだから、痺れてしまう。

ラモーンズの歌詞は本当にやばい。あらゆるバンドの中で最も精神疾患について歌ったバンドではないか (※ソースも調べる気もなし) 。

私は昔から言っているが、ラモーンズの全歌詞集というのがこの世に存在しないことを大変遺憾に思っている。早急に出版してほしい。ただラモーンズの全曲の全歌詞を掲載した本。まじでほしい。喉から手が出るほどに。

先日古本屋でボブ・ディランのいまいちな時期のアルバムの曲の歌詞を集めた歌詞集 (海外で勝手に誰かが自費出版したもの) を買ったのだが、同じように誰かつくって出版してくれないか。

ラモーンズはフロントの3人は不動だが (※ディーディー脱退後はCJが加入) 、ドラマーはトミーの次はマーキーでずっとマーキーだと思っていたのだが、メンバーの変遷をまとめたファミリーツリーを見たらもっともっとたくさんドラマーが変わっていて驚いた。

私のラモーンズについての知識なんてそんなもんです。

昨夜精神状態が限界に達して非常につらかったのだが、hikaru yamadaがラモーンズについてツイットしていたのを見て、RAMONES MANIAのCDを再生することにより、少しだけ気が楽になった。

本当にありがとうございました。

2025年7月18日金曜日

2025年7月18日(金) mentally mad・その4

家の洗濯機蛾物故割れた。

スタートボタンを押しても動作しない。
いくらスチャチャチャチャ……!と連打してもうんともすんともいわない。

毎日大汗をかくこの酷暑に家で洗濯できないのは非常にまずい。

買い替えるにしても金がない。

コインランドリーまで行くのが大変に面倒くさい。

どうしてこんなにつらいことばかりが私の身に起きるんでしょうか?

昨日仕事から帰ってきて、溜まった洗濯物を洗濯機にぶち込んだところでボタンを押しても動作しないことに気づいた。

サンヨーの2009年製の洗濯機である。

前の家に引っ越すときにジモティーで8,000円だかなんかで売ってもらった。
それから足かけ8年使い続けてきた。

うちのマンションは築深すぎのオールドスクールなマンションのため、当然のごとく洗濯機はベランダ置きである。
長きにわたり直射日光にさらされ、本体上部に設置されたコントロール・パネルのプラッチックが劣化しパリパリになってしまっている。

しかし、これだけ長く使っていればそれは壊れても仕方がないのかもしれない。

でも。

壊れるものをつくるなよ!!サンヨーさんよォー (固い韻) !!

形あるものはみな壊れるし、生きとし生けるものはみな最後には死ぬが、それはしょうがないが洗濯機は壊れないでほしい。冷蔵庫も。

でかい家電は買い替えたり処分するのが大変に面倒くさいので、壊れないでほしい。

家電メーカーは新製品を出し続けて売り続けるのが商売なのであるが、そんなものはこの資本主義社会のレースに無理やり強いられたふざけたゲームでしかないので、こちとらそんなものに乗るつもりはないので、メーカーのみなさんには新製品をつくる代わりに永遠に壊れない洗濯機をつくっていただいて、このような悲劇が起きないようにしてもらいたい。

くそが!!!!

昨日洗濯機がぶっ壊れたことを受け入れることができず、日が暮れてだんだん暗くなっていくベランダの片隅で洗濯機のスタートボタンを20分くらい連打し続けていた。その後過酷な現実から目をそらすために速攻で酒を飲みに出かけた。

最近自分の身に降りかかる災難があまりに多いため、ストレスが閾値を限界突破している。

家に帰るのが怖い。家で何もできないから。

食事や入浴などをどうにかする元気がない。

ストレスから目をそらすために酒を飲みたくなってしまう。家でしらふでいることができない。
仕事からの帰り道、家で過ごす時間が恐怖でしかないので、毎日めちゃくちゃ暗い気持ちになっている。

自分の家すら自分にとってセーフスペースではない。監獄と一緒である。このプリズンはブレイク不可能。

多大なストレスからくる恐怖と焦燥感からどうやって逃げるか。

酒を飲む以外に、スマホで無のまんがをつい読んでしまうようになった。

無のまんがとはどういうものか。

最近読んだのだと、魚屋の社長を務める夫が不倫してその不倫相手の女性と持ち帰り海鮮丼とパンケーキの店・その名も『海パン』 (バカ) という店を始めるが、ずさん過ぎる経営により破滅へと向かう……みたいなやつ。あと『虐殺ハッピーエンド』という人を殺さないと次の日に進めないので毎日人を殺す、みたいなひどすぎるまんがとか。

そういったIQゼロメートル地帯を爆走するくそみたいな無のまんがの数々を畳の上に力なく横たわったまま読んだりしていたのであるが、シャブみがあるだけで内容がなさすぎるそれらのまんがを読むと虚無が加速して時間はあっという間に溶け、寝不足→翌日また何もできない、みたいな負のループに陥るばかりなのである。

しかし!最近のまんがは中身をチラ見せしていいところで終わって続きが気になって続きを読みたくば課金せよ、と迫ってくるものばかりで、なんか主人公やその大切な人などがえらいひどい目にあって、目を覆いたくなるような残虐な目にあってしまったりして、ああ、これはこのあといったいどうなってしまうのか!?このあとで救いはあるのだろうか!?と気になってしまい、つまりまんがの登場人物を世にもおぞましい残酷なひどい目に合わせて読者に多大なストレスとフラストレーションを与え、そして金を払った先で読めるページにて不倫した夫とその相手を地獄に落としたり、愛する者を殺した悪者を八つ裂きにしたりして惨殺することにより、読者が受けた多大なストレスとフラストレーションをスカッと晴らす、という定型のパターンが確立されてしまっている。

これってマウスの脳に刺激を与えるとか猿にボタンを押させてランダムにえさが出てきてボタンを押すとえさが出てくることを覚えてその成功体験に病みつきになり猿をただボタンをスチャチャチャチャ……と連打させるだけのボタン連打機にしてしまうひどい実験と何が違いますの?

そんなくそみたいなシステムで運用されているくそまんがに課金などしたくないためネットでネタバレなんかを検索すると (ネタバレを検索するのかよ) 、やはりこのようなシステムを批判する人たちが山のようにいる。その中で、そのような読者に強いストレスを与える→その後でスカッとさせる、という仕組みの無のまんがのことをただのポルノだと言っている人がいて、そうだねと膝を打った。

このようなまんがはただのシャブ・ポルノである。

登場人物が嫌な目に遭い、本当に最悪の地獄のような嫌な目に遭い、そしてその人物をそのような目に遭わせた悪者をこれまた最悪の目に遭わせることにより、読者は溜飲を下げる。脳みそから何かしらの快楽物質が出るのを感じるが、それってシャブでしかないし、ただのポルノでしょ。

人の心を動かす表現って、そういうものじゃないでしょ。

私は近年の文化のシャブ化をなんとなく憂いている。

脳がストレスを受けてその後スカッとして、ただひたすらそれを反復する。

その先に何があるのか?

何があるのかは私には分かりませんが、私は憔悴しております。脳が疲れている。

朝も起きられなくなってきた。起きなくてはやばい時間なのに布団から出ることができない。寝るのが遅いせいもあるんだけど。

昨夜もシャブ・ポルノまんがを読んでしまい (結局読んでるのかよ) 、時間ばかりが溶けて心底嫌な気持ちになったが、ふとジョジョ第6部のプッチ神父のスタンドってやばかったよな……と思ってそれについて調べていたら、寝るのが3時過ぎになってしまった。

ジョジョ第6部は私が実家にいたころに兄が買っていたジャンプでリアルタイムで読んでいたが、正直話が大変にむつかしいので流し読みしていた。ただなんとなくこれはすごいものを読んでいる、という感覚だけはあったのを覚えている。

荒木飛呂彦先生は誰もが認めるトゥルー・ジニアスである。先生は現代のシャブ・ポルノまんがのことをどう思っているのだろうか。創作で忙しくて別になんとも思ってないか。

何を書いてるんだかわけが分からなくなってきた。

とにかくつらい。苦しいです。

2025年7月17日木曜日

2025年7月17日(木) was it all a dream

私のパンダはもうだめです。

4月の末に納車になったパンダであったが、そこから1か月後の6月頭に遠出した際、高速道路に乗るときアクセルを踏んでもエンジンの回転数が上がっているのにスピードが時速90kmより先に加速しない、という症状が出た。
パンダのオートマCVTミッションが、アクセルを踏んでもシフトアップせず、ギアが滑っているのである。

この症状はオートマのパンダセレクタにあるあるの故障と言われており、CVTは普通のオートマの機構とは異なり、2つの円錐状のプーリーに渡されたベルトがアクセルの踏み込み具合によりプーリーの径を変えながらスピードを変えていくという無段変速の機構である。
作りがかなり複雑なため、CVTがだめになったら修理というのは基本的にはできず、別のCVTのミッションを持ってきて丸ごと乗せ換えるしか直す方法がないのである。

しかし。

パンダは古い車なので当然のごとくメーカーのパーツ供給は終了しており、中古のミッションを探して乗せ換えるしかないのであるが、それが出てくるのはツチノコを発見するよりも確率が低く、また見つかったとて正常に動作するという確証もなく、また乗せ換える場合もパーツ代込みで4~50万円くらいかかるという。

パンダのCVTが壊れたら、それは全ての終わりを意味する。

ギアの滑りを確認した私は気が動転してネットで調べまくってあらゆる整備工場へ問い合わせた。
しかし、無情にもどこの店からも「パンダのCVTの故障はパーツが手に入らないため修理不可・うちでは扱えない」との答えばかりが返ってくる。
ひどいところ (神奈川某所にある某店) では「まだ走るうちに売った方がいいですよ」と言われ、車を買ったばっかのやつにそんなこと言うか!?と思い、心底腹が立って絶叫しながら目の前のPCのモニターを破壊した。

しかし。

あらゆる店から修理を断られる。
とりあえず見てもらう、ということさえできない。
しっかり車を見て調べてもらわない限りは、ミッション本体がだめになっているということは判断できないのに。
私はミッション本体が逝っちまったのではなく、ミッション周りの不良、例えばCVTオイルを交換することにより直ったりしないか、ということに一縷の望みをかけていた。

奇跡的に茨城にあるパンダに強いお店から「うちで見るだけ見ることならできますよ」、という返答をもらい、腹部を鉄骨が貫通している状態で全裸でパルクールしながら手負いのパンダを運転し、常磐道を北へひた走って車を預けてきた。
「今整備が立て込んでいるので見積を出すまで1か月くらいかかる」と言われたので、家で全裸で正座しながら火球待機する。

パンダを買った店は全てがずさんで何の知識もない役立たずのごみくそ販売店なので、何も期待していない。
一応状況について販売店に連絡するが、車は現状販売のため補償はできない、と壊れたbotのように同じことしか言わない。こちらでもミッションのパーツを探してみますよ、などとツチノコ捕ってきますよ、と同等の実現不可能なことを軽い感じでただ言うだけだった。くそが。

ネットでフィアット愛好家の集う海外のフォーラムなどを調べまくったが、パンダセレクタのCVTは『die young or live forever』らしい。

私のパンダのCVTはdie youngしちまったのか?

そして7月11日の金曜日。

パンダを預けた茨城の店より修理見積の連絡あり。

・ドライブシャフトブーツ要交換 (3,500円)
・タイミングベルト要交換 (9,000円)
・ウォーターポンプ要交換 (25,000円)
・オートマオイルクーラーホース2本要交換 (9,000円 x 2 = 18,000円)
※括弧内は部品代・工賃はおおよそ10万円 (修理を進めていくうちにプラスになる可能性あり)
合計155,500円

・フロントブレーキの片効きでハンドルが取られる・フロントブレーキキャリパーの固着あり

・高速道路で試運転したところ、やはりオートマCVTのミッションが不良 (エンジンの回転数が上がっても加速しない・ギアの滑り) その症状を確認
※部品はもう出ないため中古のミッションを探して乗せ換えるしか方法がない
もし中古でミッションが見つかったとしてもそれが動作するかは確証がなく、交換するとしてもパーツ代含め4~50万円かかるだろうとのこと。

つまり事実上修理不可能。

その辺を走るくらいなら大丈夫そうだけど、とのことだったが、高速道路に乗れない車って何。
ミッション回りを155,500円かけて修理したところで、ミッション本体が逝っちまっている手負いのパンダである。

何の意味もない!何の意味もない!

私の頭の中の小島よしおが叫んでいる (小島よしおのカチョマンテ) 。

もし茨城のお店でこのパンダを引き取ってもらえるとしたらいくらくらいになるか、と尋ねたところ、やはりミッションがだめになっているので10万円、とのこと。

前のオーナーがメンテナンスを怠ったからミッションがだめになったんだろうね、とのこと。

車を買ってからのこの2か月半はいったいなんだったんだ。


夢?


今年も海へ行くって
いっぱい 映画も観るって
約束したじゃない
あなた 約束したじゃない
会いたい…


突如チカコ・サワダのクラッシック、『会いたい』の歌詞を挿入したが、パンダの終わりを告げられたときに脳内でこの曲が流れた。

このパンダで楽しい思い出をたくさんつくるはずだったのに。どうしてこうなった。

私が悪いんか?

っていうかパンダが入院している期間も長かったしその回数も多かったし、両手で数えるくらいしか乗ってないが?

何もあてにしていないが販売店に茨城のお店からもらった修理見積の内容と金額を連絡。
初めて買った車がこのようなことになり大変ショックを受けている、販売店として何か補償などしてもらえないのか。
そう尋ねると、「現状での販売のため、補償はできかねます」との返事。

現状販売現状販売ってよォー、それは魔法の言葉なんか?

現状販売の車を買ったこっちが悪いんか?

売りに出てたパンダの中で一番安かったのを買ったのが間違ってたんか?

普通のSUVとかワゴン車とかを扱ってる車屋の隅になぜか1台だけぽつんと置かれていたパンダを買ってしまったのが悪いんか?

海は死にますか?

山は死にますか?

くそごみかす販売店から車を購入した際、誤字のある請求書 (こちらの住所の漢字が間違ってる、車種がパンダセレtクター※原文ママ※になってる) を1枚もらった以外は何の書面も交わしていない。

いい勉強になった。

で済ますにはあまりに金額が大きすぎるし残念すぎる。

くそすぎる。

販売店いわく、補償はできかねるが少しでも春村さんの相談に乗れるように、負担を減らせるような協力をさせていただければとは考えています、とのこと。

パーツ代と修理代の3割を負担してくれるらしい。

だ・か・ら、さぁ~~~~、(GREEN) DA・KA・RAさぁ~~~~、ミッションのパーツ出てこないって言ってんじゃん。ミッション回りを修理したところで高速乗れないじゃん。
CVTの故障を放置すると最悪車が動かなくなるらしいし、ネットで調べても『CVTの故障は買い替え一択!』という元気のいい絶望的な文言が目に飛び込んでくる。

もし車を引き取ってもらうならいくらになるか、と聞くと、春村さんの心情を踏まえた上で、10万円よりは出せると思います、との返答。

現在金額の連絡待ち。

とんだピエロじゃねえ~か。

車買ってはしゃいでたら、2か月半で終了。
両手で数えるくらいしか乗ってない。

笑ってやってくれ。m9(^Д^)プギャーって。

消費者センターにも電話した。消費者センターから紹介された日本中古自動車販売組合連合会とかいうばかみたいな名前の機関にも相談した。
買って2か月乗った後だとだめ (補償はしてもらえない) かもしれませんね、という返答だった。まじで何の役にも立たない。

車好きの友人からは、とりあえずその販売店はくそだが、もう割り切って155,500円かけてミッション回りを修理して、そのパンダは街乗り用として使って清澄白河の喫茶店などに行ったりするだけにしたらどうか、というアドバイスをもらう。

何も分からなくなった私は、考えるのをやめ、とりあえず酒を飲むことにした。


※今回大分トリッキーな文章表現になってしまったが本来このような文章は自分で好きではないがライブ感を重視したためというかライブで書かないと書ききることができなかったためこのような文章と相成りました。



―続く―

2025年7月2日水曜日

2025年7月2日(水) material boi

家に物が多すぎる。

聴かないCDレコード、観ないビデオDVD、読まない本雑誌、使わない機材の数々。

家に物が多いとただ膨大な物が自分の周りにあるというだけでそれにより多大な脳みそのリソースが割かれているように思う。
脳みそが散らかった気分になり、それらを聴いたり観たり読んだり使ったりしなくては、という謎の焦燥感とプレッシャーに襲われる。

じゃあいらないものを売るなり捨てるなり処分したらいいじゃない、と思うでしょうが、それができたらこんなに物ばかり増えていないわけです。

昔、何かの用事で滅多に行かない埼玉の真ん中の方へ行くことがあり、どうせ行くなら、ということでブックオフとハードオフを訪れた。

ディグした膨大な量の100円CDを用いてDJをすることで有名な方がいるのだが、その人に感化され、なんか未だ見ぬ未知の (頭痛が痛い構文) 音楽に出会えたらいいな、くらいの感覚で100円CDをたくさん買ったろ、と思ってのことだった。
ハードオフは大抵駅からは離れたところにあるので、わざわざバスに乗ったり少々長い距離を歩いたりして店まで行った。

店ではとにかく気になったものを片っ端から買い物かごにぶち込んでいき、多分150枚くらい買った気がする。1枚100円 (税込110円) としても16,500円の買い物である。
150枚ものCDを手で持って電車に乗り持ち帰るのは非常に大変だった。20枚くらいの山を4つつくり、巨大なビニールの手提げ袋に入れ、それを2袋持ってえっちらおっちら駅まで歩いていき、電車を乗り継いで帰るのはまさに苦行であった。

さて、そんな大金を使って大変な思いをして持ってかえってきた大量のCDはどうなったでしょうか?

そう、皆さんお察しのとおり、大半のCDをろくに聴かぬままその巨大なビニール袋に入ったままで家の片隅に放置されていたのである。

大量のCD (しかも聴く前から大体がろくでもない内容なのは分かっている) が家の片隅に鎮座しているのはあまり気分のいいものではない。

音楽に貴賎なし。と私は思っているが、音楽に貴賎はないがくそな音楽はくそである。

まあ、いつか聴くでしょう、と思って放置していたのであるが、1日1枚聴いたとして、全部聴き切るには150日かかる。
くそな音楽を聴くために割く時間は残念ながら私にはなかった。同じ時間を消費するのであれば、くそな音楽を聴くよりはかっこいい音楽や素敵な音楽を聴きたい。

100円のCDを150枚買った後も、私は他のかっこいいCDや素晴らしいレコードもコンスタントに買っている。そちらを優先して聴きたくなるのは当然である。

というわけで、もしかしたら未知の素晴らしい音楽が眠っているかもしれない100円CDの山は、CDプレイヤーにセットされることのないまま眠り続けていたのである。

私の住むマンションは4畳半と6畳の2間の2Kの間取りである。4畳半の部屋にエアコンが設置されているため、そちらを居間兼寝室兼たまにボーカルを録音するスタジオバカとして使っている。
6畳の部屋には大量の機材がセットされ、音楽を制作するためのスタジオバカ別館として使っている。

どちらの部屋にも大量のCDレコードがある。それらは棚に収納されていたり、収まり切らない分は床に直置きされている。

以前友人が私の家に遊びに来た時、部屋が狭すぎる、物が多すぎる、としきりに言っていた。
ベランダに出たとき、ベランダが一番広い!と言って驚いていた。歩ける!と言っていた。

4畳半の部屋も6畳の部屋も、歩けるスペースは非常に少ない。なぜなら床に物が置いてあるので。

私はかっこいい音楽や素敵な音楽が収録されているCDやレコードを買うことがライフワークの一つなので、それらは無限に増えていくばかりである。
お金に困ったら聴かないものを売ったりしているが、基本的には売らない。

コレクターが無限にコレクションを増やしていくことは現実的には難しい。収納スペースには限界がある。
今までツイッターなどで公言したことはなかったが、私は数年間レンタル倉庫を借りていた。かつて住んでいた1Kの間取りのマンションには所有する大量の物たちが収まり切らなかったため、苦肉の策であった。
レンタル倉庫の2畳の部屋に、レコードが60枚くらい入る段ボール製の収納ボックスを12箱くらい置いていた。
単純計算でレコード720枚。ほかにCDやレーベルの在庫も置いていたので結構な量であった。

車購入に伴い毎月の駐車場代を捻出する必要があるため、そのレンタル倉庫は解約した。
倉庫に置いていた大量のレコードは、金に困って売りまくったので倉庫を引き払うときには全部で5箱くらいにまで減っていた。
その残った5箱のレコードは今の家の2間の部屋どちらにも置くスペースがないため、あろうことか台所に積み上げてある。レーベルの在庫は風呂場の入り口横に積み上げた。

ということで物を減らさないと頭が変になってしまいます、ということで、ハードオフで買った大量の100円CDをどうにかしましょう、となったんだけど、ケースにハードオフの110円という値札シールがべったり貼り付けてあるもんだから、ディスクユニオンに売るのは一寸 (いっすん) ためらわれる。どうせ値段の付かない1枚10円で引き取ってもらうことになるものばかりだろうからどうでもいいといえばそうなのだが、何となく気になる。
キャッチアンドリリース、ということで、釣った魚を川へ帰すように、ハードオフで買ったCDはハードオフへ持っていけばいいのでは?と思ったが、現在車が入院中のため無理である。

ということでブックオフの宅配買取を利用することにした。
スーパーでいらない段ボール箱を何枚かもらってきて、あとはいらないCDをひたすら箱にぶち込んでいくだけである。はは、楽勝。

そう思ったのであるが、いざ作業を始めると聴いてもないCDを次々箱にぶち込んでいくというのが自分にはできず、大変困惑した。
なぜできないのかというと、そのCDに未だ見ぬ未知の (頭痛が痛い構文) かっこいい音楽や素敵な音楽が眠っていたらどうしよう、という不安によってである。

ということで、愚かなことに1枚ずつ聴きながら選別を始めてしまったのでもうおしまいである。
といっても1枚通して聴いていたら日が暮れてしまうので、冒頭1曲かけてダメなら即箱にぶち込む、というスタイルにした。

それにしても。90年代~2000年代初頭にかけて雨後のたけのこ状態で無限にリリースされた判で押されたような全部似たり寄ったりの内容の大量のR&B系CDの多さに辟易した。買ったのは自分ですが。
胸キュン系のメロ~なR&Bチュ~ンは好きですが、私の好きなプロデュースチームであるUNDERDOGSワークスだけあればいいかもしれない。そう思い、大半は処分することにした。デスチャのアルバムに私の大好きなMASTER P御大が参加しているのに気づいて聴いてみたらかっこよくてくらったが、デスチャのCDを家に置いておかなくてもいいよな……と思う。置いといてもいいんですが。

THE BOOMのCDや久保田利伸のCDなど大量に買ってきているが、果たして自分の人生でこの先彼らの音楽を必要とする日がくるのだろうか?THE BOOMのリミックス盤にMAD PROFESSORリミックスなどが入っているのは非常に興味深いが、いまいちCDプレイヤーにセットする気になれない。
彼らの代表曲である『風になりたい』や『LA・LA・LA LOVE SONG』などは誰もが認める激!極!クラッシックであるが、クラッシックすぎて別に家で聴かなくてもいいというか、説明が難しいが、とにかくなんだか聴く気になれないのである。

110円で投げ売りされているCDは過去に爆裂大ヒットしたため売れまくったのでそのような値段で流通というかハードオフの店頭まで流れ着いてきたのだと思うが、そういったCDの絶妙な聴きたくなさ・聴かなくてよさというのは説明が難しい。同じ1時間を使うなら別のかっこいい音楽や素敵な音楽を聴きたい。

ということでちんたらCDの選別をしていたら脳みそがひどく疲れてしまった。
挙句レコード棚 (普段は積んであるCDのタワーたちの背後に隠れていてアクセスすることができない) に気が行ってしまってCDの整理選別そっちのけでレコード棚の整理が始まってしまった。
棚に刺さっていた80年代終わりや90年代初頭の得体の知れないオブスキュアなマイナーhiphopの12インチの数々にくらくらする。こんなのこの先聴くことあるのか?

しかし愚かな私はまたそれらの12インチをターンテーブルに乗せて聴きながら選別を始めてしまったのでもうおしまいである。
大半が今後私の人生において必要な音楽ではない、という判断となったため、ユニオンの宅配買取用の段ボール箱が半分埋まるくらいの量を棚からなくすことに成功した。

とにかくCDレコードが多すぎて気持ち悪くなってきた。

私は家の片付けというのが非常に苦手で、それはあれこれ考えながらやるので脳みそが非常に疲れるからで、だけどごみ捨てとかはちゃんとするので部屋中に飲みかけのペットボトルや空き缶、お菓子の袋とかのごみが散乱しているということは全くないのであるが、とにかく物が多いので家の中が雑然としている。雑然としている中でも多少の秩序がないと片付いて見えないので床に直置きながらもある程度の秩序を保って物を並べている。
だけどCDレコードに一切興味ない人から見たら全部ごみというか不要なものにしか見えないと思う。

私の住むマンションは築深すぎのため来年3月いっぱいで取り壊すことになり、それまでに引っ越さなくてはならない。
その来るXデーのために、少しずつ物を減らしていかないとまずいのである。

100円CDの処分が終わったら今度は普通のCDレコードも減らしていきたい。できる気がしないが。

40過ぎると自分に残されている時間というのはどうやら限りがあるらしいみたいなことを少し思うようになってきて、くそどうでもいいものに割く時間やパワーというのが非常に無駄に感ぜられるようになってきた。
コスパやタイパなどという考え方とは無縁でいたいと思うが、それでも自分が本当に好きなものにだけパワーを使いたいというか、とにかく脳みそをすっきりさせたい (?) 。

ツイッターで以前ある人がコレクターというのは無限に物を増やし続けられるものではないので、必然的に不要なものを処分していくためコレクションがどんどんソリッドになっていく、とツイットしていた。

私のコレクションはもちろん最高なものも多いがいいんだか悪いんだかよく分からないものはその3倍くらいあるかもしれない。
自分のコレクションをソリッドにする日。来るのでしょうか。引っ越すタイミングでそれになっていられるようにがんばりましょう。