2025年6月26日木曜日

2025年6月26日(木) mentally mad・その3

毎日暑すぎる。

この国の酷暑を生き延びるためにはエアコンの使用が不可欠だが、寝るときの温度・風量の設定が非常に難しい。
温度 (テレビ大陸温度) を高めにすると寝苦しいし、低めにすると明け方とかなんか寒い気がする。

ジャストの設定を見つけることができていないため、睡眠がくそになっている気がする。
そのせいであまり疲れも取れない。

前回の記事に書いたが、誤嚥性肺炎にかかり入院してしまった私のおばあちゃんは、入院から一週間もかからぬ内に無事退院した。その生命力に感服する。がんばったね。おばあちゃんが元気になって本当によかった。

私の車は現在修理点検のため車屋に預けてある。

どこの整備工場に問い合わせてもうちでは修理できません、と断られてしまい、唯一見るだけ見てみますよ、という返答をくれた、茨城 (!) にあるパンダに強いお店に頼みました。茨城、遠いね。常磐道を北上しました。

私が店に着くやいなや、そこの社長さんがおもむろに私のパンダのボンネットを開けてエンジンルームを見ていわく、ああ、オイルが漏れてるね、とのこと。あとバッテリーが変なのが付いててこのまま使ってると発火 (!) するよ、とのことで、それが分かっただけでもこのお店に頼むことにしてよかったと思った。
それにしても修理にいくらかかるのか今からとても怖い。怖すぎる。
車を預けた後は電車で2時間半 (!) かけて帰りました……。

それにしても。

車のない生活というのは正直快適である (!?) 。
何より運転しなくていいのがいい (!?!?) 。
車が手元にない以上車を運転できないので、事故を起こしてしまうかも、人を轢いてしまうかも、という非常に強い恐怖とストレスを感じなくて済むのがいい……。

車売ったほうがいいんじゃないの!?

私には何も分からない。

私は手元にある音楽制作のための機材などが壊れているのが非常に嫌いである。

何とかして使える状態にしたい。いつでも安心して使えるようにしたい。
という強い欲求に突き動かされ、すぐに業者に修理に出すなり自分でできそうならDIYで修理を試みる。
私は手先が不器用なので、自分で修理しようとして機材を物故わしてしまうことが今まで何度となくあった。
自分で物故わしてしまったときはめちゃくちゃ悲しく絶望的な気分になる。お金はかかるが業者に依頼するのが確実である。
ただ、機材直っても直ったことに満足しちゃってそこで終わってしまってその機材を結局使わなかったりするんだよね。
直した意味ないよね。

ということで今回車が不調になるや否や直ちに修理してくれるところを探して片っ端から問い合わせ、見てもらうことにしたのである。

しかし。

それが自分の体のこととなると、てんで無頓着というか、私の中で自分の健康についての優先順位が非常に低い。

左足の痺れを放置している。

先日受けたMRI検査の結果、腰には特に異常はなかった。
整形外科の先生も検査結果を見ながら首をひねっていた。

出される薬を飲み続けていても特に何も変わらないので、かかっていた整形外科も行くのをやめてしまった。

ストレッチ整体なるところに行って2度足の施術をしてもらったが、治らなかった。
おじいちゃん先生がもう治ったでしょ、もう全然痺れてないでしょ、としきりに言うので、まだ治ってないが……と思いながらもそうですね、大分よくなりました、と誰の何のためなのか全く分からないウソをついて、そこにも行くのをやめた。

パートナーからは別の整体や鍼灸などを受けることを勧められているが、えらい腰が重く、まだ何のアクションも起こしていない。

自分でおかしいね、と思う。

ジャンクで買った機材が正しく動作しないとどうにかしてこれを復活させたいという強い欲求が働いてすぐにでもどうにかして直したくなるが、自分の足がずっと痺れているのについてはそのように強く思わないのである。

自分を大切にすることが昔から非常に苦手である。

それについて色々書こうと思ったけど、続きを書く元気がありませんので今日はここで筆を置かせていただきます。

お読みいただきありがとうございました。

2025年6月11日水曜日

2025年6月11日(水) mentally mad・その2

生活が苦しい。

正確には生活することが苦しい。

金がないのはもちろんだが、何より生活にまつわる諸々をするのが非常に苦しい。

仕事から帰ってきて夕飯をどうにかするのが大変に苦痛である。
いや、昼間仕事の中で昼食を食べることも大変に苦痛だ。

何より何も食べたいものがない。
昼食は毎日会社の近所の my basket で鶏むね肉の棒棒鶏風サラダと魚肉ソーセージとおにぎりをひとつ食べている。 毎日毎日毎日。もう食べたくないな……と思いながら、それらを手に取りレジに並んでいる。

そんなにうんざりしているなら別のものを食べればいいじゃない (パンがなければお菓子を食べればいいじゃない) 、とマリー・アントワネットじゃなくても思うでしょう。

だけど、どうせうんこの塊みたいなうんこ弁当 (全ての食べ物は最終的にはうんこの塊になる) を食べるよりは、少しでも体にいいものを食べたほうがいい、という強迫観念的なものもあり、結果毎日同じものを食べている。

夕飯も、(1). とにかく金がかからず (2). とにかく調理の手間がかからず (3). 少なからず栄養のあるものを、ということで、毎晩小松菜カレーを食べている。豚肉と小松菜を炒めてレトルトカレーに乗せ、納豆と生卵を乗せて食べるというバカみたいな食事である。

うんざりしている。

金があれば外食できるが、金もないし、そもそも食べたいと思うものがない。

しかし生きていくためには何かを食べないといけない。何も食べなければ動けなくなってしまう。

では動けたからといっていったい何をするというのか?

精神的・肉体的な疲労により何もできず、畳の上に転がって無限にスマホをドゥーム・スクローリングし続けるのが関の山である。

私はアンドロイドを使っているのだが (現代のティーネイジャーはアンドロイドを使っているだけでいじめられるらしい、真偽不明) 、ホーム画面を右にスワイプすると、都度最新のネットニュースが一覧で表示されるようになっている。

そこで目に飛び込んでくるのは、毎日のように日本全国で交通事故で人が死んでいるニュース。また毎日のように日本全国で熊が出没しているニュース。

とにかく毎日人が死んでいる。車のせいで。
なぜか海外のニュースは私のスマホには表示されない。ガザの虐殺やロシア・ウクライナの戦争など毎日海外では地獄のようなことが続いているが、それは私の心に暗い影を落としているが、それよりも日々私の心を暗くするのは交通事故のニュースである。

車を所有していなかったころはこのようなことはなかった。

また交通事故以外でも強盗殺人やなんかよく分からない理由で人が人を殺すニュースなども流れてくる。

以上のように悲惨なニュースが羅列される中、かわいい猫のほのぼの紹介記事なども混ざって流れてくるもんだから、本当に頭がおかしくなってしまう。

毎晩のように何もできぬまま人が死ぬニュースとかわいい猫の記事を脳みそに注入し続けている。

世界は狂気のシステム。と歌ったラッパーがいたが、世界は狂気のシステムである。

そんなにつらい気持ちになるならニュースを見なければいいのでは?と思うでしょうが、では他に何ができますか?
脳みそが終わっているので本は読めないし、機材をいじって音楽をつくる元気もない。

平日元気もモチベーションも皆無のまま何とか力を振り絞ってどうでもいい食事をこしらえ食べた後は、もう何もする気になれない。
ただネットのニュースにより脳みそが疲弊し、心も傷つけられ、うだうだしてるうちに0時近くなっている。

翌日の日中をある程度まともな状態で過ごすには、それなりにまとまった睡眠時間を確保しなくてはならない。ので、0時前後には布団に入らないといけない。それすらままならないことも多いが。
平日の夜が、単なる翌日のための待機時間になってしまっている。

では翌日何が起こるのか?

死にながら働き、くそみたいな食事をとり、くそみたいなニュースを脳みそに注入し、またその翌日のために寝るだけである。

「繰り返す日々に何の意味があるの」、とナナ・フィーチャリング・ミカ・ナカシマも『グラマラス・スカイ』という曲で歌っていたが、本当に苦しい。

いったいこれは何なんですか?

毎日生きているのが苦しい。

足のしびれが治らなかったり所有する車の調子がおかしくなったり (そう、またおかしくなっている、今度は走行系がおかしい) しており、不運 (ハードラック) と踊 (ダンス) っちまっている日々なのであるが、パートナーがもしかして厄年なのでは、と言って、私は3月で40歳になったのだが、前厄は41歳でしょ、と思い気にしていなかったのだが、厄年というのは満年齢ではなく数え年で見るシステムらしく、まんまと私は今年前厄なのでありました。

ということでパートナーの助言により先日神社で厄払いを受けてきた。車の交通安全祈願も一緒にやってもらいました。

色々と靴の中に小石が入りっぱなしになってしまっているような、なるべく小さな不幸せが次々と自分の身に降りかかっている日々だが、昨夜叔母さんより連絡があり、大好きなおばあちゃんがなんと誤嚥性肺炎で入院してしまったというのだ。

おばあちゃんは今年の9月で96歳になる。早くよくなってほしい。

まじで毎日が苦しい。これがミッド・ライフ・クライシスというやつなのか。なんか違う気もするけど。

毎日音楽は聴いているが、残念ながら今の自分を救ってはくれないようだ。

このブログ、もはや日記でも何でもないが、今の自分にはアウトプットできる場所がここにしかありません。

お読みいただきありがとうございました。